「オタク同士、分かり合える人が身近にいるって最高!」「適度な距離感を保てる仲間との暮らしっていい」など、ネットで話題の藤谷千明さんの著書『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』。
恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表で、「恋愛とジェンダー」をテーマにコラムやラジオなどで発信している清田隆之さんに、書評をお寄せいただきました。
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私も以前、友人たちとルームシェアをしていたことがある。男2人暮らし、男3人暮らし、男2女1の3人暮らし…と、時折メンバーチェンジを挟みつつルームシェア生活は約12年も続いた。
お金はなかったし、将来は不透明だったけど、飲んだり騒いだり、ゲームしたりパーティしたり、イライラしたり怒られたり、いろんなことがあった。私が所属している恋バナ収集ユニット「桃山商事」のメンバー3人で暮らし、早朝6時からPodcastの収録なんかもしていた。振り返ると青春時代のようでとてもエモい。この暮らしがずっと続けばいいなと、あの頃は本気で思っていた。
本書はフリーライターである著者が、37歳のときに突然の不安に襲われ、そこから思い立ってオタク仲間3人と都内の一軒家でルームシェアを始めるエッセイ集だ。
テンポがよくて言葉づかいもコミカルで、物件探しや家事分担、固定費の削減や共用費の管理など実用的なノウハウが満載の上、メンバー集めや生活環境の整備、各種イベントや住人それぞれの推し活まで、シスターフッドと“疑似家族み”にあふれる坂元裕二脚本のドラマを観ているようなわくわく感があった(これは絶対にドラマ化されると思う)。
個人的にグッときたのは4人の間で交わされるコミュニケーションだ。ネットでめぼしい物件を見つけてはリンクを共有し、購入する家具のイメージを話し合いながら絞り込み、日々の家事はToDoアプリで管理、使用頻度の高い食材の在庫は冷蔵庫に貼ったお手製のシートで見える化…と、暮らしに必要なルールやシステムが合理的かつ民主的に構築されていくプロセスが本当に圧巻だった。
〈細々したことは、各自でこだわりの度合いが違う。基本的にそれぞれに関して一番こだわりがある人に合わせましょう、と取り決めた。こうしたすり合わせを重ねて、現状、家事に関しては誰がコレをやるといった指定はせず、その時々で手の空いている人がやればいいという形になっている〉
本書でも述べられているように、こうしたやり方だと多くの場合、分担量に差ができてしまい、誰かしらに不満が生じやすい。しかしこの暮らしではそういった事態は発生していない。むしろ各自が率先して家事をやっている。
〈これは甘えが発生するレベルの親友同士ではなく、いい意味で他人行儀な仲だからなのかもしれない〉
この暮らしが快適に回っているのはおそらく、4人が織りなすコミュニケーション──基本的にグループLINEでなされるその絶妙な距離感と速度感がポイントだ。「人は人、自分は自分」という個人主義をベースに、互いを尊重しながら重なり合う部分を丁寧に作っていくその姿は、大げさではなく民主主義のお手本のように私には感じられた。
家は散らかっていたし、ルールもシステムもゆるゆるで、振り返ると自分のルームシェア生活はなかなかに稚拙だった。でもこの暮らしがずっと続けばいいなと、あの頃は本気で思っていた。家賃が4~5万円台で抑えられたことで生活の不安はかなり軽減されたし、家に人を呼びやすく、仕事とプライベートの垣根なく人間関係が広がって楽しかった。他者と習慣や価値観をすり合わせることの訓練にもなったし、30代の始めに失恋・震災・独立と大きな出来事が続いたときは、ルームメイトの存在が本当に支えになった。
しかし一方で、周囲から「ルームシェアなんて遊びみたいなものでしょ?」「早く落ち着いたほうがいいよ(笑)」「どうせメンバーが結婚したら終わるって」みたいなことを言われまくり、この暮らしをいつまで続けられるんだろう……という不安も常にあった。この社会はロマンティック・ラブ・イデオロギーや家族主義的な風潮が強く、友人同士の暮らしはとかく“遊び”や“モラトリアム”のように受け取られがちだ。
私は当時、そういったまなざしに憤りを感じ、「結婚」とか「家族」といった概念が心底イヤになってしまった。今思えば意固地で極端なマインドだったと思うが、今の時代、生活スタイルのバリエーションが増えること自体はめちゃくちゃ重要なことだと思う。
推し活という人生の主軸を持ち、それ以外の部分で発生する不安や不都合を経済的かつ合理的に解消していきつつ、適度な距離感を保ちながら全体の幸福度を高めていく──。「淡々と」「粛々と」という言葉が似合う4人のルームシェア生活だが、自分には理想的な共同体のあり方のひとつに映った。いつかまたあんな暮らしができたらいいな。