浅原ナオトさん待望の新作『#塚森裕太がログアウトしたら』。
三宅香帆さんが書評を寄せてくれました。
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この人を好きだと思ったら、それが世界のぜんぶになるし、だからこそ好きだと言うことも好きだということを認めることも、中高生にとってはあまりに重大事件だ。
――好きになる相手が同性であろうと異性であろうと、その重大事件っぷりは、変わらないんじゃないか、と思えるほどに。
『#塚森裕太がログアウトしたら』という小説は、高校三年生のバスケ部のエース・塚森裕太が、自分は同性愛者だ、とインスタグラムで明かす場面から始まる。その投稿は周囲のひとびとをざわつかせながらも、むしろ「感動した」「これからも友達で」などの肯定的なコメントとともに受け入れられる。インスタに「#最高の仲間に #ありがとう」なんてハッシュタグをつけて投稿する明るい好青年の塚森に対して、周囲のひとびとはSNSで肯定的な姿勢を示すのだ。
だけど実際のところ、だれかの秘密に対して、最初から100パーセント肯定的に受け止められる人間なんて、そうそういない。SNSにアップされない感情を『#塚森裕太がログアウトしたら』という小説は描いている。
日々SNSを眺めていると、うっすらと、「こういう話題にはこういう反応をしなくてはいけない」といった規定がさだめられているように感じる時がある。もちろん誰が決めた正しさでもないんだけど、なんとなく、その暗黙の規定を察して窮屈に感じるときがある。
誰かが誰かを好きだと呟いた時、ほんとうは、感じ方はさまざまなはずだ。たとえば友達の彼氏を見て、なんとなく褒めなきゃいけないのはわかってるけど「この人でいいの!?」と苦笑したくなった経験がある人は多いんじゃないか。あるいは「本当は恋愛が好きじゃない」と言った友達に対して、これまで無邪気に恋愛の話題を振った自分に対して冷や汗をかくこともあるかもしれない。
だけど『#塚森裕太がログアウトしたら』の登場人物たちは、塚森の告白に対して、まず同性愛を理解しなきゃ、とか、肯定する姿勢をとらなきゃ、とか、あるべき感情を先に決めている。「肯定的な反応をしなきゃ!」と、SNSにコメントをつけて、「いいね!」を送る。
もちろんそれは正しい反応かもしれない。……だけど、本当にそこからこぼれ落ちるものはないのか?「こうでなくてはいけない」ありかたを先に決めることで、自分の本当に抱いている感情を、ないものにしていないだろうか?
『#塚森裕太がログアウトしたら』という小説は、世間の「こうではなくてはいけない」ありかたからこぼれ落ちる感情を、丁寧に描く。
学校なんて、十代の子どもたちばかりが集まる場所。そりゃ、みんながみんな正しくいられるわけじゃない。もちろん大人だってみんなが正しい向き合い方をできるわけじゃない。
それでも登場人物たちは、最後には自分の感情をすくいあげ、そのうえで、塚森裕太あるいは自分の大切な他人や自分自身と向き合うことになる。
『#塚森裕太がログアウトしたら』は、SNSの画面に浮かぶものと、そこには浮かばずに沈んでいる感情の両方を描く。
十代特有の素直さや、素直でいることの難しさが、読んでいてみずみずしくて、「正しくいなくちゃいけない」という抑圧が強い私たちの感情をどこか癒してくれる。だからこそLGBTというテーマのみならず、さまざまな抑圧を跳ねのけようとする青春小説として読めるんだと思う。
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作り上げてきた「自分」からログアウトしたら、「本当の自分」になれると思っていた――痛みと希望が胸を刺す青春群像劇。
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