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闇が呼んでいる

2020.12.25 公開 ポスト

#2 濡れ衣を着せられて…亡霊が迫りくる戦慄のミステリー赤川次郎

女子大生4人組を薬で眠らせ、暴行する事件が発生。彼女らはみずからの薬物使用を隠ぺいするため、ある男子学生にすべての罪を着せ、自殺に追い込んでしまう。数年後、別々の道を歩み始めた4人に、奇妙な手紙が届く。差出人は、死んだ男だった……。ベストセラー作家、赤川次郎さんによるミステリー小説『闇が呼んでいる』。本当に死んだはずの男がよみがえり、復讐を始めたのか? 気になる本書の試し読みをお届けします。

→第1話から読む

*   *   *

2 誓い

ドアが開くと、三人は一斉に振り向いた。

(写真:iStock.com/Rattankun Thongbun)

美香は中へ入ってドアを閉めると、この小部屋に「鏡」がないことを確認していた。

「どうだった?」

と、一人が訊いた。

美香は空いていた椅子を引いて座ると、

「西川君がいたわ」

と言った。

他の三人が、顔を見合せる。

「――どんな様子だった? 怒ってたでしょうね」

「そりゃそうよね、何もしてないのに、突然引張って来られて――」

「何言ってるの!」

と、美香が一声、鋭く叩きつけるように言うと、三人がギクリとして椅子から飛び上りそうになる。

「よく聞いて」

と、美香は三人の顔を一つ一つしっかりと見回して、「私たちは決めたのよ。今さら、『あれは勘違いでした』なんて言えないの。分る?」

「分るけど……」

「犯人は西川勇吉。――四人が一致してそう言い張れば、誰も疑いやしないわ」

「もし、西川君にアリバイがあったら?」

「その可能性はないと思うわ」

と、美香は言った。「もし、アリバイがあれば、西川君はすぐに主張するでしょう。でも、少なくとも今は何も言ってない」

「でも……どこからも西川君の指紋一つ出ないわ。刑事さんがおかしいと思わないかしら?」

「私たちの証言よ、何よりも」

と、美香は言った。「一人ならともかく、四人が口を揃えて、私たちに薬をのませて暴行したのが西川勇吉だって言えば、誰だって疑うもんですか。それに今、うちの父がこっちへ向ってるわ」

「外務大臣のお嬢さんの言葉なら、信用されるか」

「ともかく、私たちが迷わないこと。分った?」

美香の言葉に、三人はためらいながら肯いた。

「――西川君、可哀そう」

ポツリと一人が言った。

「それを考えちゃだめよ!」

と、美香はくり返して、「いい?『西川君』と『君』づけで呼ぶのはやめるの」

「どうして?」

「自分に薬をのませて乱暴した獣のような男なのよ。『君』なんてつけて呼んだら不自然でしょ」

「そうか」

「決めたのよ、もう」

と、美香は念を押すように言った。「分った? 西川勇吉が犯人なの。自分にもそう信じ込ませるの」

重苦しい沈黙があって、ドアのノックの音がそれを破った。

「コーヒーをお持ちしました」

と、女性の声がした。

「私、頼んだの」

と、美香は立ち上って、ドアを開けた。

「失礼します」

ウエイトレスの制服の若い女の子が、ポットとコーヒーカップを運んで来た。

コーヒーの匂いが小部屋の中をすぐに一杯に充たすと、何となくこわばっていた空気がホッと緩んだ感じがした。

「すみません、サインいただけますか」

と、ウエイトレスが、コーヒーを注ぎ終ると伝票を出した。

「はい」

美香がつい気軽にサインして、ウエイトレスが出て行くと、「――あれ? 私がサインしたってしょうがないんだよね」

四人は一緒に笑った。

「――今の子、いくつだろ?」

「高校生ぐらいじゃない? バイトよ、きっと」

「若いっていうか」

「初々しいよ」

「ねえ」

口々に、気軽な会話が弾み、コーヒーを飲む。

そう。これでいい。

美香は、他の三人を見ながら思った。

たとえ、自分が無実の人間を罪に陥れたからといって、コーヒーの味がしなくなるわけじゃない。香りも消えはしない。

むしろ、自分が刑務所へ入れば、こんなコーヒーはもう飲めなくなる。それがどんなに辛いことか、想像もつかないが……。

そう。――これでいい。

私たち四人は変らない。

そのために、一人、運の悪い男が辛い目に遭ってくれるのだ。でも、一人で四人が救われるのなら、それは「いいこと」じゃないの……。

(写真:iStock.com/DmitryMo)

だから、私はやめた方がいいって言ったのに。

でも、美香は私の言うことなんか聞きやしない。いつでも私が美香の言うなりにして来た。

でも、今度は――今度こそは私の方が正しかった。ね、そうでしょ?

美香は、そんなこと認めやしないわ。

危いってことで有名だった六本木の店に私たちを連れてったのも美香。

アメリカ人らしい男の子三人連れに誘われて、どこかの小さな部屋へ行き、マリファナを喫った。

初めてじゃなかったけど、あれは何か薬がしみ込ませてあったんじゃないかしら? 妙な匂いがした。

でも、ともかくビールやカクテルを飲んでて、みんな気が大きくなってたし、他の子の前で臆病な所は見せたくないので、平気な顔をして喫った。

それから……。どうなったんだろう?

――池内小百合は、この三人の中では一番美香との付合いが長い。小学生からの友だちである。

といっても、いつも美香が小百合を「従えて」いるのだった。二十一になった今も、基本的には変らない。

美香が「こうしよう」と言えば、いつもそうして来た。慣れてしまうと、美香のご機嫌を取りながら、同時に自分も得をするのは悪くなかった。

でも――今度ばかりは……。

小百合は西川のことを心配しているわけではない。ただ、本当のことが分ったときどうなるか。――それを考えると、恐ろしいのだ。

でも、どうせ美香の言う通りにするしかない。

分ってるんだ……。

池内小百合は半ば安堵しながら、それでも不安が消えてなくならないことに苛々していた。

一生忘れないだろう。

あの瞬間のことは。――息苦しいような、淀んだ空気の中で目がさめたとき……。

体の芯までこごえるような、あの寒さ。

どうしたの? 私、どうしてこんなに寒いの?

起き上ろうとして、自分が裸だと気付いたときの、底知れない穴へ落ちていくような感覚。

あの狭苦しい部屋で、四人とも裸で寝ていた。一人はベッドの上で、一人は小さなソファで、そして淳子ともう一人は床で……。

「――美香!」

淳子は自分の声が震えているのがはっきり分っていた。「起きて! 小百合! さとみ!」

何があったのか――。

混乱した頭でも、断片の記憶だけで、それを理解するのは容易だった。

あの三人のアメリカ人らしい男の子たちに何か薬をのまされ、何が何だか分らなくなって……。

それでも、すりむいた膝や肘、そして鈍く痛むあざを見れば、体が思い出してくる。

「何……どうしたの……」

小百合が寝ぼけた声を出す。

「美香!」

淳子は、美香を揺ぶって起した。

そしてさとみが、

「いやだ、こんな格好して……」

と、夢でも見ているのかという顔で起き上った。

四人は、それきりどれだけ呆然としていただろう。

「――今、何時?」

美香が部屋の中を見回して、自分のバッグや服が投げ出されているのを急いで拾った。

腕時計を見て、

「十時だ……。朝だね」

「どうしたの、私たち?」

小百合が、まだよく分っていない様子。

「やられたのよ」

と、淳子は言った。「あの三人に」

「――お金もそのまま残ってる」

美香は、バッグの中を調べて、「みんな、何も盗られてない?」

――ショックはすぐにはやって来ない。

ともかく、今、その寒さと、裸でいるのを何とかしなきゃ。それが第一だった。

「ここ、どこ?」

と、小百合が言った。

「あのクラブの上のフロアよ」

美香が言った。「それぐらい憶えてるでしょ? ここへ来たときは少し酔っ払ってるくらいだった」

「――見て」

さとみが言った。

下着が切り裂かれている。――他の三人も同様だった。

でも、ブラウスやスカートは無事で、ともかく四人は着られるものを身につけた。

「あいつら、許せない!」

やっと、さとみが言った。

しかし、怒りよりも恐怖の方が大きかった。――これが知れたら。

轟淳子は、まず「絶対に親に知られたくない」と思った。

「――ともかく、ここから出よう」

と、美香が言った。

ドアを開けると、美香は廊下を見回して、

「大丈夫。――もう誰もいないわ」

四人は、廊下へ出ると、まるで山の頂上にでも来たかのように深呼吸した。

小部屋の中は、マリファナの匂いがこもっていたのだ。

「あの三人、まだいるのかしら」

と、黒沼さとみは言った。

「もういないでしょ、朝よ」

と、小百合が言った。

「――頭が痛い」

淳子が顔をしかめる。

「ともかく、外へ出よう」

美香が階段の方へ歩き出したときだった。

突然、下の方で何かドシンという大きな音がしたと思うと、急に悲鳴や怒鳴り声が聞こえて来た。

「警察だ! 静かにしろ!」

という声。

さとみは青ざめて、思わず淳子の手を握った。

「家宅捜索する! みんな動くな!」

足音がいくつも入り乱れて、階段を駆け上って来るのも何人かいる。

「――どうしよう!」

と、小百合が泣き出しそうになる。

「逃げられない?」

「無理よ! 窓も何もないのに」

――四人は、固まって立ちすくんでいた。

ゆうべは日曜日だった。おそらく、このクラブのあちこちで、麻薬を使ったパーティらしいものが開かれていたのだ。

「美香――」

と、さとみは言った。「このまま見付かったら……」

「捕まるわね。もう二十一だもの、私たち」

「どうしよう?」

「待って。――待って」

美香が、こんなときでも必死に逃げ道を考えていることに、さとみは感心した。

「部屋の中へ戻るのよ!」

と、美香が言った。「急いで!」

他の三人は、わけも分らず、ともかく美香に促されるまま、小部屋の中へ戻った。

「――聞いて」

と、美香は言った。「ここで捕まったら、薬をやってたことも分っちゃうわ。退学はもちろん、成人だから刑務所よ」

「そんなのってひどい!」

と、淳子は悲痛な声を出した。「私たち、あの男の子たちにやられたのよ!」

「それよ」

と、美香が言った。「私たちは被害者なの。分る? 騙されて薬で眠らされ、ここで気が付いた。それで通すの」

「でも……」

「相手は誰かって訊かれたら?」

と、さとみは言った。

美香が考え込む。

そのとき、バタバタと足音がして、階段を誰かが上ってくる。

突然、美香がドアを開けて廊下へ飛び出したと思うと、

「助けて! 誰か助けて!」

と、大声を上げた……。

――黒沼さとみは、美香の熱演に、感心するより唖然としてしまった。

刑事が小部屋を覗いて、

「君たちだけか?」

三人が肯く。

「よし。もう大丈夫だ。心配するな」

三人は廊下へおずおずと出て行った。

刑事が部屋の中を見回している間に、美香は小声で言った。

「いい? 私たちは被害者よ」

刑事は、厳しい顔で出てくると、

「犯人はどんな奴だった? 憶えてるか」

と訊いた。

分りません、とさとみが言いかけたとき、

「知ってる男です」

と、美香が言った。「同じ大学の――男子学生です」

「同じ大学の?」

「はい。三年生で、よく知ってます。だから、まさかこんなことになるなんて……」

美香が声を詰らせる。

「分るよ。――そいつらの名前は?」

「『そいつら』じゃないんです。一人です、やったのは。西川勇吉って男です」

美香の言葉に、他の三人は言葉もなかった……。

関連書籍

赤川次郎『闇が呼んでいる』

女子大生四人組を薬で眠らせ、暴行する凶悪事件が発生。四人組は自らの薬物使用を隠蔽するため、同じ大学の男子学生に全ての罪を着せ、自殺に追い込んでしまう。数年後、別々の道を歩み始めた四人に、奇妙な手紙やFAXが……。差出人は、死んだ男だった。葬ったはずの男が甦り、復讐を始めたのか?闇の中の亡霊が迫り来る戦慄のミステリー!

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赤川次郎

1948年、福岡県生まれ。76年に「幽霊列車」でオール讀物推理小説新人賞を受賞。『東京零年』で第50回吉川英治文学賞受賞。著書は600冊以上を数える。ユーモア・ミステリーの他、サスペンス小説、恋愛小説などで活躍。

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