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闇が呼んでいる

2020.12.28 公開 ポスト

#3 俺の目はごまかせない…亡霊が迫りくる戦慄のミステリー赤川次郎

女子大生4人組を薬で眠らせ、暴行する事件が発生。彼女らはみずからの薬物使用を隠ぺいするため、ある男子学生にすべての罪を着せ、自殺に追い込んでしまう。数年後、別々の道を歩み始めた4人に、奇妙な手紙が届く。差出人は、死んだ男だった……。ベストセラー作家、赤川次郎さんによるミステリー小説『闇が呼んでいる』。本当に死んだはずの男がよみがえり、復讐を始めたのか? 気になる本書の試し読みをお届けします。

→第1話から読む

*   *   *

3 容疑者

「それで?」

と、真野は言った。「どうなんだ?」

(写真:iStock.com/kostsov)

西川は、机の表面をじっと見つめているかのようだったが、その実、何も見てはいなかった。

「――はい」

間があってから西川が肯いたので、真野刑事は当惑した。

「やったのか? お前がやったと認めるのか?」

西川はぼんやりと顔を上げて、

「何ですか?」

「今、『はい』と言ったじゃないか」

「あ……。四人とも知ってるかと訊かれたので、『はい』って答えたんですけど……」

「十分も前の質問に、今ごろ返事するな!」

真野は苛々していた。

この半月、かかり切りだった事件が、何とも後味の悪い形で終り、がっくりしているところへ、

「おい、こいつ、見てくれ」

と、ポンと肩を叩かれたのが、この暴行事件だ。

西川勇吉。――S大の学生にしては垢抜けない、パッとしない男の子だ。

S大といえば、「金持の子の行く大学」というイメージが、真野などにはある。

被害者の四人の女子学生は、正にそんなイメージにぴったりのS大生だ。しかも一人は外務大臣の娘。

「四人は知ってる、と」

「同じ講義取ってますから」

「付合いは?」

西川が少し迷って、

「あの……」

「何だ、はっきり言え!」

「田渕美香さんとは……少しお付合いしたことがあります」

こいつが大臣の娘と?

真野の目には、どう考えても成立しない組合せだ。

「どれくらい付合ってたんだ?」

「半年……足らずです」

「半年で――何回デートした?」

「五回です」

「ためらわずに答えるな。憶えてるのか」

「もちろんです」

自分が置かれている立場など忘れてしまった様子で、西川は、一瞬、その楽しかった日々を追想して微笑んだらしかった。

その付合った相手が、西川を告発しているのだ。

「結局、喧嘩別れか。いつごろ別れた?」

「もう……一年以上前です。喧嘩なんかしてません。僕は美香さんに逆らうなんて、考えたこともありません」

初めてスラスラと言葉が出て来た。

「恨んでたか」

「美香さんを? ――まさか」

「しかし――振られたわけだな」

「だって当然じゃないですか」

真野は淡々と話すこの西川という大学生をふしぎな親近感を持って眺めていた。

「しかし、あくまでやってない、と言うんだな」

「僕、何もしてません」

「ゆうべはどこにいた?」

西川は少し考えて、

「自分のアパートに」

と答えた。

「誰かと一緒だったのか?」

「いいえ」

「一人? ずっと?」

「そうです」

「何してたんだ?」

西川は少し首をかしげて、

「ゲームやったり、TV見たり……。ビデオを見てました」

「レンタルビデオ? 借りに行ったのか?」

ビデオ屋の人間が、もし西川を憶えていれば、時間によってはアリバイになる。真野は身をのり出した。

だが西川は、

「前から借りてたんです。――あれ、まだ返してないな」

と、気が付いた様子で、「期限が切れちゃうんですけど、返しておいてもらえますか」

真野は呆れて、何とも返事ができなかった。

 

「――おい、本当にあいつがやったのか?」

真野は、一旦自分の席に戻ると、同僚の刑事に言った。

「女子学生たちがそう言ってる」

「しかしな……。俺には、とてもそんなことをやりそうな奴に見えない」

「芝居じゃないのか?」

真野はムッとして、

「おい、俺を何だと思ってる。あんな若造が俺の目をごまかせるとでも?」

と、顔をしかめた。「よく調べた方がいい。こいつは何だか、見かけ通りの事件じゃないと思うぜ」

そのとき、署内がざわついた。

「――署長だ」

と、誰かが言った。「あれ、大臣じゃないか」

真野は、田渕とかいう(よく憶えていなかった)大臣が、署長を引き連れてやって来るのを見て、いやな予感がした。

「おい、大臣のお嬢さんの事件は?」

と、署長が見回す。

真野は仕方なく、

「私が……」

と、立ち上った。

田渕が大股に近寄ってくると、

「そいつはどこだ」

と言った。

「そいつ、とおっしゃいますと?」

「犯人だ!」

「容疑者でしたら、今、取調中ですが」

「会わせろ」

「そういうわけには――」

「大臣」

署長が取りなすように、「お嬢様がお待ちです。そちらへ、ぜひ」

「ああ……。西川とかいったな」

「一応、取調中ですので――」

「娘がはっきりそいつのことを犯人だと言っとるんだろう。だったら間違いないじゃないか」

「ですが、一応証拠が必要ですので――」

「早く揃えて、奴を刑務所へぶち込め!」

田渕は怒りに声を震わせた。「何をのんびりしてる!」

真野は頭に来ていた。

「お言葉ですが――」

やめとけ、という署長の目配せを無視して、真野は言った。「その前に裁判という手続きがございまして」

田渕はジロリと真野を見て、

「そんなことぐらい、分っとる!」

「だったらよろしいんですが」

真野は澄まして言った。

「大臣、お嬢様が――」

田渕が振り向くと、美香がやってくるところだった。

「美香!」

田渕も急いで迎えるように両手を広げた。

美香は父親の腕の中へ飛び込んだ。

「お父さん……」

「もう大丈夫だ。もう心配することはないぞ。いいから泣くな」

田渕は娘を抱いて、目を潤ませていた。

「ごめんなさい……。こんなことになるなんて思わなかった」

と、美香はしゃくり上げた。

「分ってるとも。お前は何も悪くない」

――やれやれ、と真野はため息をついた。

何も悪くない、か……。あの辺は、物騒な所がいくつもある。

S大の学生が、そんなことを知らないわけがない。

「もう何も心配することはないぞ」

田渕は娘の肩を抱いて、「犯人は捕まえてある。もう何もできんのだからな」

「うん……」

美香が涙を拭きながら、「叱らないでね、他の子たちも。みんなひどい目に遭ったんだから」

「分ってるとも!」

署長が、

「大臣……」

と、おずおずと声をかける。「どうぞ、奥の方でごゆっくり……」

「ありがとう。――しっかり頼むぞ」

「は、恐れ入ります」

「どうも、やる気のない奴もいるようだからな」

田渕が真野の方を見て、聞こえよがしに言った。真野も、いちいちそんなことで腹を立てはしない。

「お父さん!」

と、美香が父親にすがりつくようにして、「もし、あの男が釈放されたりしたら……。私たち、今度は皆殺しにされるわ」

「心配するな。そんなことにはさせん」

田渕は娘の肩を叩いて、奥へと姿を消した。

「――やれやれ」

真野はため息をついて、「署長がどうしてああペコペコしてなきゃいけないんだ?」

「まあ、落ちつけ」

「俺は落ちついてる。――なあ、いいか」

「何だい?」

「賭けてもいい。西川は犯人じゃない」

と、真野は言った。

(写真:iStock.com/kuppa_rock)

4 対話

車のそばに、秘書の加東が立っていた。

「お嬢様。ご無事で安心しました」

と、美香へ言うと、

「ありがとう」

美香は素気なく言って、「今度からはあなたを連れて出かけるわ」

「何でも申しつけて下さい」

「加東、前に乗ってくれ」

と、田渕が言った。「自宅へ美香を送ってから、官邸へ行く」

「分りました」

加東が助手席に、田渕と美香は後部席にかけて、仕切りを閉めた。

車が動き出すと、

「美香」

「何?」

「病院で詳しく検査を受けろ。目立たないように手を打っておく」

「ええ。――それじゃ、他の子たちも一緒に」

「いいとも。早い方がいいだろう。明日の午後、みんなを迎えに行くと言っておけ」

「分った」

美香は、さっき父親の胸にすがって泣いたのとは別人のようで、「――でも、心配しないで。相手も、エイズとか心配してたんでしょうね、ちゃんとつけてたわよ。妊娠の心配はないわ」

田渕はちょっと顔をしかめて、

「初めてじゃなかったんだな」

と言った。

美香が、呆れたように笑って、

「二十一よ。そんな子が今の大学にいると思ってるの?」

「まあいい。しかし、下手に遊んだりするから、逆恨みされるんだ。もっと相手を選べ」

「お父さんに言われたくないわね」

と、美香は言い返した。

「口のへらない奴だ」

と、田渕は苦笑いした。

そして、娘の手を握った。

「――よしてよ、気持悪い」

「本当に心配したんだ。これでも親だからな」

美香は目を伏せて、

「ごめんなさい」

と言った。「あんな所へ行くんじゃなかったわ」

田渕は、握った娘の手を軽く振って、

「お前が謝るのを聞いたのは何十年ぶりかな」

「私、まだ二十一よ」

「じゃ、生れて初めてかもしれん」

「ひどいわ」

父と娘は、顔を見合せて笑った。

それこそ、何年ぶりのことだったか。

「――あの男を、どうする?」

「裁判で有罪になるかしら」

「させるとも。必ず。――しかし、殺人ってわけじゃない。何十年も入っちゃいないぞ」

「怖いわ。出て来てから仕返しに来るかも」

「刑期まではどうしようもないが……」

田渕は少し考えて、「任せろ。俺があいつを叩き潰してやる」

「本当?」

「ああ。――二度と立ち上れないように、徹底的にやるんだ。安心してろ。奴はたとえ無事に刑期を終えても、出て来たときは廃人同様だ」

「それなら安心ね」

「ああ。何も心配ない」

「お父さん」

「何だ?」

「ありがとう」

何年ぶりかの言葉が飛び交う日だった。

関連書籍

赤川次郎『闇が呼んでいる』

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赤川次郎

1948年、福岡県生まれ。76年に「幽霊列車」でオール讀物推理小説新人賞を受賞。『東京零年』で第50回吉川英治文学賞受賞。著書は600冊以上を数える。ユーモア・ミステリーの他、サスペンス小説、恋愛小説などで活躍。

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