女子大生4人組を薬で眠らせ、暴行する事件が発生。彼女らはみずからの薬物使用を隠ぺいするため、ある男子学生にすべての罪を着せ、自殺に追い込んでしまう。数年後、別々の道を歩み始めた4人に、奇妙な手紙が届く。差出人は、死んだ男だった……。ベストセラー作家、赤川次郎さんによるミステリー小説『闇が呼んでいる』。本当に死んだはずの男がよみがえり、復讐を始めたのか? 気になる本書の試し読みをお届けします。
* * *
これ以上は手をつけられない。ここの警察に任せなくてはならない。
真野は玄関へ戻って、ドアを開けると、マスコミを整理していた警官を手招きして、小声で事態を説明した。
「えらいことですな……」
と、その警官は呆然としている。「とんでもないことだ」
「知らせて下さい」
「分りました」
「マスコミの連中にはまだ言わないで下さい。入って来られても困る」
「承知しました!」
わざわざ敬礼して駆け出して行く。
真野は茶の間へ戻ると、二通の封書を見付けた。一通は〈皆様へ〉とあり、もう一通は〈勇吉へ〉とある。
真野は、少し考えていたが、西川勇吉宛の一通を取ってポケットへ入れた。
宛名の字は滑らかできれいな草書である。母親の手だろう。落ちついた文字で、乱れている気配はない。
真野は、茶の間の古風な電話を手にした。通じている。死ぬときに、ちゃんと戻したのだろう。
署長の自宅へかけた。
「――奥さんですか。真野です。ごぶさたして。――お帰りですか」
「いえ、今夜は遅くなると……」
「そうですか。まだ署ですかね」
「いえ、何だか今夜はどなたか偉い方と食事だと申してましたけど」
偉い方……。真野には分った。
「分りました。結構です」
電話を切ると、真野は急に体の力が抜けてしまうような気がして、茶の間を出た。
ドドド、という音が近付いて来たと思うと、玄関のドアが開いた。
「両親が自殺したって、本当ですか!」
という声がいくつも飛んで来て、真野は立ちすくんだ。
カメラが真野に向いて、一斉にシャッターが切られる。まぶしいフラッシュの光に、真野は思わず手を上げて光をよけると、顔をそむけた。
しかし、カメラのシャッター音が雨のように降り続け、閃光が真野を白い光で染め上げていた……。
6 始末
ハイヤーが夜の道へ消えると、加東はホッと息をついて、料亭の中へ戻った。
座敷へ入ると、田渕が一人で酒を飲んでいる。
「先生、誰か呼びましょう」
「いらん。自分でやっている方が気楽だ」
座敷には、酔った息づかいの名残りが充満していた。
「署長は帰ったか」
「はい」
「ちゃんと手みやげは渡したな」
「間違いなく。しっかり受け取りましたよ」
「後で返すと言われても受け取るなよ」
「承知しています。そのために、一切こちらの名は入れてないのですから」
「まあ、分っているだろう、中身のことぐらいは。――加東、お前も飲め」
「はあ……」
加東は田渕の注ぐ酒をお猪口に受けて、一気に流し込んだ。
「この接待を受けてるんだ。品物だけ受け取らんということはない」
「そうですね」
「現金は古い札だな」
「はい。一千万円、使った札で用意してあります。番号ももちろん続いていませんが、一応控えてあります」
「よし」
と、田渕は肯いた。
加東はあぐらをかくと、
「お嬢様はいかがです」
と訊いた。
「至って平然としている。――あいつは何を考えているか分らん奴だからな」
と、田渕が苦笑して、「こっちがどれだけ苦労してるか……」
「いえ、直接おっしゃらないだけで、内心は感謝しておいでですよ」
と加東は言って、部屋の電話が鳴り出したので、急いで立って行った。
「――はい。――そうです。――私は秘書ですが」
加東は田渕の方を見た。「――いつですか? ――間違いないんですね。――分りました。ありがとう」
田渕は加東のこわばった表情をじっと見つめて、
「どうした?」
「西川勇吉の両親が、自殺しました」
田渕は、ゆっくりと肯いた。
「――そうか」
「マスコミが家の前で張っていましたからね。今、大騒ぎのようです」
田渕は少しの間目をつぶっていたが、すぐに張りつめた声で、
「両親が死んだことを、西川勇吉へ知らせるんだ」
と言った。
「私がですか?」
「署長を呼び出せ。ハイヤーへ電話すればいい」
「分りました」
加東はハイヤー会社へ電話して、署長の乗った車の電話番号を聞くと、すぐにかけた。
「出たら、俺が代る」
と、田渕は言った。
「美香、TV、見た?」
初めに電話して来たのは池内小百合だった。
「うん」
自分の部屋で、ベッドに腰をおろして美香はTVを見ていた。
「死んじゃったって、西川君の両親……」
「知ってるわよ。『西川君』じゃなくて『西川』でしょ。そう決めたでしょ」
「あ……ごめん」
「何を怖がってるの?」
「だって……化けて出ないかな、私たちの所に」
小百合は本気で怯えていた。
美香は小百合を小さいころから知っている。昔から怖がりで、いつも美香にくっついて歩いていた。
はた目には、美香が小百合を子分にしているように見えただろう。確かに、そういう面もあった。しかし、実際には小百合の方がついて来たのだ。
美香にいばられ、何かと「おつかい」に行かされながら、小百合は美香に守ってもらってもいた。その点、美香は本当に小百合の「お姉ちゃん」役として、この「妹」を守って来た。
頼りない妹を。
「小百合、今までだって、いつも私が何とかして来たでしょ? 今度だって大丈夫。私に任せておいて。いいわね?」
「うん……」
いつもなら、これで安心してしまう小百合だが、今日ばかりはかなり参っているようだ。
「――ね、この件が落ちついたら、私たち四人で海外旅行でもしようか。もちろん費用は私がもつから」
「海外旅行なんて……」
「いやなことを忘れるのには、時間だけじゃなくて、空間的にも離れるといいのよ。十日も行ってくれば、何もかも忘れてる。――世間の方もね」
「そうかな……」
「心配することないって。西川は留置場の中よ。仕返ししたくたって、できやしないわ」
西川君……。
可哀そうな西川君。――美香は、自分の中では「君」をつけて呼んでいた。
四人の中で、西川勇吉をよく知っていたのは美香だけである。少なくとも四、五回はデートしたことがあった。
いや、今の基準で言えば――ということは、美香の基準でも――とてもデートなどと呼べたものじゃなかった。
でも、西川はそれで充分に幸せそうだった。美香と一緒にいられて、「手の届く所に憧れの彼女がいる」というだけで、西川は満足していたのだ。
西川君。あなたは今、私の役に立ってるのよ。
幸せでしょ?「何でも、君の役に立てればいい」って言ってたんですもの。
私は、西川君を陥れたわけじゃない。「西川勇吉」に罪を着せ、「西川君」を幸せにしたはずだ。
他の三人には分らないのだ。私のことを、「冷酷で怖い女」だと思っている。
そうじゃない。――そうじゃないのよ。
「でも……どこへ行くの?」
しばらくして、小百合が言った。
「どこ、って?」
美香がちょっと戸惑うと、
「海外って――パリとかローマに連れてってくれる?」
怯えて、ふくれっつらをして、そのままで海外旅行の話をしているのだ。
美香は、
「もちろんよ。向うでうんとブランド品を仕入れて来ようね」
と言いながら、笑い出したくなるのを必死でこらえていた……。
今は、個人としてのあんたに礼を言ってるんだ。
――田渕はそう言った。
うまいことを言うものだ。そんな言い分が通用しないことぐらい、お互いに百も承知である。
しかし、その一方で、それが通用すると「信じたがっている」自分がいる。
田渕は、人の心理に通じている。――あるいは、俺が単純すぎるのか?
この手みやげ。漬物か何かの包装だが、中身はおそらくそうではない。
恐ろしくもあり、同時に期待してもいた。
とんでもないことだ。署長としては、許されないことである。
個人として。――個人として、か。
そっと、その「手みやげ」の包みを、なでてみる。
ハイヤーの電話が鳴って、運転手が出た。
「――お待ち下さい」
少しスピードを落として、「お電話です」
「ああ……」
何ごとだ? 忘れものでもしたかな。
「はい」
「間に合って良かった!」
田渕が言った。「あんたに、もう一つ頼みたいことができた」
「何ごとです?」
「西川勇吉の両親が自殺した。聞いたかね」
不意打ちだった。却って、驚くこともできなかった。
「知りませんでした」
「そうか。今、TVで大騒ぎをしている」
真野の奴が行っているはずだ。――何をしてたんだ、あいつは?
「あんたにもう一つの頼みというのはな、そのことなんだ」
と、田渕は言った。
「そのこと、というと?」
田渕は、さっき料亭で言ったセリフをくり返した。
「これは、あんた個人に頼むんだ。――署長としてのあんたに頼むのなら、署長を辞めた時点で、その縁は切れる。しかし、そうでなくて、個人としてのあんたに頼む、ということは、いつまでもあんたの恩を忘れないということなんだ」
「何をしろとおっしゃるんですか。はっきりおっしゃって下さい」
田渕の言葉に心を動かされそうになっているのは署長でなく、個人としての山科昭治なのだ。
山科昭治。――それが「署長」の名である。
深夜の三時近かったが、ともかく真野は署へ戻った。
とても、そのまま自宅へ戻る気になれない。
なぜわざわざ両親の家を訪ねたのか、地元の警察に説明しなくてはならなかった。
幸い、マスコミは本当に出前に来た店員が両親の死を発見したと思っている。今ごろは、
「あれはどの店の出前だったのか」
と、あちこち必死になって訊き回っているだろう。
「――やあ」
残っていた同僚が顔を上げた。「どこへ行ってたんだ?」
「ちょっと遠出を」
と、真野は欠伸をした。
疲れが一気に出た。今日は色んなことがありすぎた。早く帰って寝たい。
しかし――西川の両親の死に様が目に浮んで、やはりこのままでは帰れない、と思い直す。
長い話はできないが、あの両親の手紙を、せめて宛名の当人に開封させ、読ませたい。
「大変だぜ、西川の親が死んで」
「うん」
「知ってたのか」
真野は少し迷って、
「車のラジオで聞いた」
と、出まかせを言った。「署長はいないだろ?」
いるわけがないと思いつつ、念のために訊く。
「ああ、いない。――夕方から出かけてたみたいだな」
「そうか」
却ってホッとした。会えば自分が何を言い出すか分らない。
「でも、一度戻って来たけどな」
と、同僚が思い出したように、「十一時過ぎだったかな。何だか落ちつかない様子だった」
真野は足を止めて、
「どうして戻って来たか、言ってたか?」
「いいや。こっちも訊かなかった。またじきに帰ってったよ」
真野の中に不安がふくれ上った。――十一時。その時間には、既にニュースが流れていただろう。
「まさか」
と、真野は呟いた。「いくら何でも……」
そんなことはないよな。そんなひどいことは。
まさか。――まさか。
真野は立ちすくんで、しばし動けなかった。
怖かったのだ。
自分がこれから見るかもしれないものが、怖かったのだ。
「何してるんだ?」
同僚が、ふしぎそうに声をかけた。
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