「今日という日が人生で一番若い」「年を重ねた今が一番自分らしい」とおっしゃるのは、元NHKアナウンサーで、現在は作家・エッセイストとして活躍されている下重暁子さん。年齢なんかに束ねられない、もっと自由に自分らしい、さらに個性的な生き方とは。
樹木希林さんや瀬戸内寂聴さんといった方々のエピソードとともに、年齢にとらわれない生き方のヒントが書かれている書籍『年齢は捨てなさい』から、抜粋してご紹介します。
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80を過ぎても働きたい人はいる!
中年にさしかかった女性の再就職は、相変わらず難しい。女性の再就職が叫ばれて久しいのですが、出産、子育ての段階で一度仕事をやめてしまうと、その後、なかなか職を得られません。その人にいくら実力があっても、応募の時点で切られてしまうことが圧倒的に多いのです。
しかし、社会は大きく変わろうとしています。高齢人口はどんどん増え、しかも元気で100歳などザラ。その人達の知恵と経験を生かさぬ手はないでしょう。
例えば82歳の私が今、就職をしようと履歴書を出して受け取ってくれるところがあるでしょうか。
面接に私が現れたら珍しいものでも見るように哀れみの表情を浮かべ、「ご家族は?」だの、「御主人や一緒に暮らす人は?」などとしつこく聞かれ、世帯収入や年齢その他、詳しく突っ込まれるのは間違いありません。
82歳で働きたいということが、そんなに変でしょうか。私はたまたま物書きをして仕事に追われていますが、出来れば最後まで仕事をしていたい、どこかで必要とされていたいと思っています。
私は、子供の頃の結核に始まり、長い間、偏頭痛をはじめ様々な病気に悩まされてきました。今が一番、「健康でやる気がある」と断言出来ます。
偏頭痛も年齢と共になくなり、仕事をしていればいつも元気です。
高齢者から仕事を奪うことは、早く死ねといっているようなものです。
社会で必要とされ、生き生きと自己実現をして生きられることこそ幸せであり、何もせずに施設に入れられたり、おじいちゃん、おばあちゃんなどといわれながら孫の面倒を見ることがほんとうに嬉しいのでしょうか。
私はいやです。死ぬまでひまもなく、自分らしい人生を送ることだけが望みです。
そんなこといっても体がいうことを聞かない? 骨折すれば固定すればいいし、治らなければ、車椅子でも出来る仕事を見つけて働くことは可能なはずです。実際に私は、骨折しても車椅子で移動をして一日も休まずに仕事をこなしてきました。
誰にとっても、死が訪れるまでの貴重な時間、とてもひまなどないはずです。
「もう年だから」というたびに醜くなる
いつも、自分は今年いくつで、来年はまた年を重ねるなどと気にしている人は、年齢に引っ張られて生きているといっても過言ではありません。
気にしようがしまいが時間の経過に伴って年は取るわけで、わざわざ気にする必要などないのです。
口癖のように「もう年だから……」という人がいますが、そのセリフは人生を諦めていることを表しています。
「もう年だから……」。その後に続くのは多分「仕方がない」「何かを始めるにはもう遅い」、あるいは「何もしたくない」といった否定的な言葉。
そんなセリフを口癖のようにいう人が、美しく魅力的であるはずがありません。
自分で自分を諦めるくらい、ばかばかしいことはないでしょう。
私はいつも「期待は自分にすべきもの」といっていますが、自分を諦めた人は、自分で自分の可能性の芽を摘んでしまっているのです。
そんな人に、奇跡のような素敵な人生が舞い込んできたり運が開けたりすることは、まずありません。
自分を信じて自分に期待している人には、いつか必ず何かが起こります。なぜならその人は、気付かぬうちに少しずつ努力をしており、その結果が積み重なって、ある時、花開くからです。
「もう年だから……」を言い訳のように使っている人は、それを口にするたびに、醜くなっていることは間違いありません。
ためしに鏡を手に「もう年だから……」といってみてください。実年齢がいくつであろうと、10歳は老け込んで見えるはずです。「もう年だから」というたびに、鏡の中のあなたが復讐してくることは確実。ますます落ち込んで、限りないどん底に落ちていくだけです。
誰も手を差し伸べてなどくれません。自分で掘った穴からは自分で這い上がるしかないと覚悟して、二度と「年だから」とはいわないことです。
年齢は捨てなさい
「今日という日が人生で一番若い」「年を重ねた今が一番自分らしい」とおっしゃるのは、元NHKアナウンサーで、現在は作家・エッセイストとして活躍されている下重暁子さん。年齢なんかに束ねられない、もっと自由に自分らしい、さらに個性的な生き方とは。
樹木希林さんや瀬戸内寂聴さんといった方々のエピソードとともに、年齢にとらわれない生き方のヒントが書かれている書籍『年齢は捨てなさい』から、抜粋してご紹介します。