「今日という日が人生で一番若い」「年を重ねた今が一番自分らしい」とおっしゃるのは、元NHKアナウンサーで、現在は作家・エッセイストとして活躍されている下重暁子さん。年齢なんかに束ねられない、もっと自由に自分らしい、さらに個性的な生き方とは。
樹木希林さんや瀬戸内寂聴さんといった方々のエピソードとともに、年齢にとらわれない生き方のヒントが書かれている書籍『年齢は捨てなさい』から、抜粋してご紹介します。
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ガン治療より仕事を優先した樹木希林さん
老いも死も、いつかは必ずやってくる。慌てることはありません。
周りから年齢による圧力を受ける必要もなく、何歳だからこう生きなければという、一切の束縛から解き放たれて、悠々と死に向かおうではありませんか。
年齢をごく自然に受け入れて、2018年に亡くなった女優・樹木希林さん。
2017年10月、私は伊豆の修善寺で希林さんと一緒に仕事をしました。日本ペンクラブの主催で「ふるさとと文学2017~川端康成の伊豆」というテーマで、各地でその土地に縁の深い作家の作品を取り上げる催しの一つでした。
希林さんには、川端康成の短編の朗読をお願いしました。
前夜祭から出席され、話をする機会がありました。第一印象は「静けさ」でした。
波も立たぬ水面のように、隠やかで静か。若い頃、久世光彦さんのドラマに出ていた頃の激しさや厳しさは全く感じられませんでした。
付人もマネージャーもつけず、一人でいる。そこだけが存在感に満ちていました。
次の日も伊豆の温泉場に泊り、翌日は名古屋での仕事のためにテレビ局のディレクターが迎えに来ました。
隠やかで静かなのに、確かに希林さんがいた。御一緒出来てよかったとつくづく思いました。
彼女には年齢など必要ありません。多分実年齢は、私より少し下のはずですが、樹木希林という存在に年齢など関係ない。年齢などすでに卒業して達感したものを感じました。
「全身ガン」と御本人は笑っていっていましたが、悲愴感(ひそうかん)はどこにもありません。
しばらくして、希林さんの訃報を聞いて驚きました。
その後、ドリアン助川さんに伺ってみました。お知らせがあって密葬にも立会ったと聞いたからです。
ドリアンさんの小説『あん』の映画化にあたり、主役を樹木希林さんが務めた関係で、ドリアンさんと希林さんはずっとおつきあいがありました。
ドリアンさんの話によると、毎年地方まで定期的にガンの治療に行っていた希林さんでしたが、「あん」をはじめ、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを取った是枝裕和監督の「万引き家族」など次々に映画の仕事が入り、治療に行くことが出来なかった。それは、仕事を取るか治療を取るかの選択だったと思います。
定期的に治療に行かなければ、ガンを抑えることが出来ないとわかっていながら、希林さんは最終的に映画を取りました。それは死を覚悟しての選択だったと思われます。
そしてガンは確実に希林さんの体を蝕(むしば)み、その命を奪いました。それも全て希林さんの中では織り込み済みだったと思われます。
運命に逆らうことなく、自分の意志で死を選んだ。私にはそう思えるのです。
希林さんにとって年齢とは何だったのでしょうか。亡くなったのがおいくつだろうと、たまたまその年であっただけで、いくつであっても希林さんは希林さんでしかありません。
彼女は最初文学座に入り、演技の基礎を杉村春子さんなどからたたき込まれています。ふっと力の抜けたような、さり気ない演技の出来る数少ない女優さんでした。
つきあいのあった人に人柄を聞くと、いかにもさりげなく、フラリと現われてフラリと消える。私がかつて属していた渋谷にあった事務所を訪れる時も、いつもそうだったといいます。
もし希林さんに年齢のことを聞いたら、「それなりに……」という答えが返ってくるかもしれません。かつて希林さんがやって大ヒットした富士フイルムのCMのセリフ(美しい人はより美しく、そうでない方はそれなりに)そのままに。
年齢は捨てなさい
「今日という日が人生で一番若い」「年を重ねた今が一番自分らしい」とおっしゃるのは、元NHKアナウンサーで、現在は作家・エッセイストとして活躍されている下重暁子さん。年齢なんかに束ねられない、もっと自由に自分らしい、さらに個性的な生き方とは。
樹木希林さんや瀬戸内寂聴さんといった方々のエピソードとともに、年齢にとらわれない生き方のヒントが書かれている書籍『年齢は捨てなさい』から、抜粋してご紹介します。