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年齢は捨てなさい

2020.11.27 公開 ポスト

60歳の記念に夢だったリサイタルを実現。そして私は「年齢」から卒業しました下重暁子

「今日という日が人生で一番若い」「年を重ねた今が一番自分らしい」とおっしゃるのは、元NHKアナウンサーで、現在は作家・エッセイストとして活躍されている下重暁子さん。年齢なんかに束ねられない、もっと自由に自分らしい、さらに個性的な生き方とは。

樹木希林さんや瀬戸内寂聴さんといった方々のエピソードとともに、年齢にとらわれない生き方のヒントが書かれている書籍『年齢は捨てなさい』から、抜粋してご紹介します。

*   *   *

私の年齢は60歳。文句ありますか

60歳からの私は、新しく生まれ変わって好きなことをやっていくと決心していました。そこで考えたのです。いっそ加齢はここまでで停止しようと。

そのために、区切りをつける。好きなこと……と考えた時、迷いなく出てきたのが歌でした。大々的に自分で企画・演出し、伴奏のピアノ以外は全部自分でやる。

(写真:iStock.com/jacoblund)

私は中学高校時代、東京藝術大学出の先生について歌を習っていました。戦後漸(ようや)く落ち着いて、演奏会も開かれるようになった頃、私は藤原歌劇団の砂原美智子、大谷洌子(きよこ)といったプリマドンナに憧れていました。

鏡の前で、体にシーツを巻きつけたり、バラの花をくわえたりして「椿姫」「カルメン」などのアリアの真似をしていました。あの華やかな舞台で歌いたい……。憧れが募って学校の帰りに牛屋先生という女性の先生の門をたたいていました。

大学を選択する前に先生に相談すると、他の歌なら大丈夫だけれど、オペラだけは数千人を前にマイクなしで声が通らなければといわれて、やせて小さな私の体では無理だと悟り、全てをやめて聞く方にまわっていましたが、あの夢がもどってきました。

そうだ、歌のリサイタルをやろう!

歌の練習だけは趣味として、二期会オペラ歌手で藝大などでも教えている日比啓子さんのところで時々レッスンをしてもらい、発声練習の結果、オペラのアリアもなんとか歌いこなせるようになりました。

でも身のほどはわきまえて、オペラのアリアは7曲ほどシャンソンを歌った後、「マダム・バタフライ(蝶々夫人)」から「ある晴れた日に」と決めていました。あってもなくてもアンコールに歌おうと決めたのです。それから、その日を迎えるまでの楽しかったこと。やっぱり好きなことはいいものです。

60歳にかけて、60人を御招待するとして、今まで私を支えてくれた友人知人だけ厳選し、地方からも来てもらうことにしました。

 

場所は五反田のフレンチレストラン。知人のやっていた店で、音楽好きが高じてプロの声楽家や演奏家を招いてディナーショーを催していた所を一夜借り切ることに。ちょうど60人分のフルコースを今までの感謝を込めてみなさんに御馳走し、食べ終わって一服したところで、私の歌を聞いていただく。まずシャンソンを7曲、エディット・ピアフをはじめ仲のよかった岸洋子さんのよく歌っていた歌など。「群衆」や「回転木馬」は私の十八番でした。原点には古典落語の「寝床」がありました。

「寝床」は、義太夫を語るのが大好きな横町の御隠居さんがいて、みんなを集めて聞かせたいのですが、誰も聞きたがらない。そこで、御馳走で釣って長屋の衆などを集め、無理やり聞かせる。それをやってみたかったのです。

招待状には「寝床」をやりたいと書きましたから、もらった人は何のことかわからなかったかもしれません。

60歳ということはわかっていましたから、日本各地から親しい人々が集まってくれました。

司会ももちろん私本人。会の趣旨を説明し、各テーブルに着席してもらって、歓談しながら食事。ワインも私が吟味し、セレクト。各テーブルをまわって一人ひとりとお喋りします。

 

デザートをはさんで、一休みした後、いよいよリサイタルの始まりです。

逆ではないかって? 確かに普通のディナーショーでは歌を聞いた後、食事が定番かもしれません。

それを逆にして食事を先にしたのにはわけがあります。そう「寝床」ですから、先においしいものを食べていただくと、御招待ですから、逃げるわけにはいかないでしょう。

我慢してでも歌を聞かないわけにはいかない。ピアノはシャンソンを教えてもいた小泉源兵衛さんというレジェンド。よく永六輔さんの伴奏などをしていたピアノの名手でしたが、亡くなってしまい残念です。

構成も自分ですから、適当にアドリブを入れながら、無事7曲歌い終えました。そこで、あってもなくてもアンコール。もちろん、ありましたよ。いざという時のために、サクラも仕込んでありましたから。

 

観客には仕事の関係者(編集者やテレビ関係者)、あとはプライベートな友人知人。私の仕事を裏方で支えてくれる人々ももちろんいます。

盛大な? アンコールに応えて、いよいよ「マダム・バタフライ」から「ある晴れた日に」。

本格的に歌うと結構長く、高音域からセリフのようなものまで、それらしくやって本人は大満足でした。お客様はどう思ったか、などというのは野暮な質問です。私が気持ちよければいいのです。間違いなくフランス料理はおいしかったはずです。

その証拠に誰も逃げ出しませんでしたから。

「ある晴れた日に」はクラシックなので、ピアニストは武蔵野音大出の橘美和子さん。それまでにも様々な場面で私を助けてくれた人です。

みなさんにお礼の挨拶をして、無事終了。

この日のための予算は積み立ててありました。

 

ただ一つ残念だったのは、いささかあがったことです。私は人前で喋ったり朗読したりしてもほとんどあがったことがないのですが、歌は別物だと悟りました。カラオケでも演歌からオペラまで歌いますが、やっぱり舞台は違うのですね。

つれあいは聞きたくないといって、歌の間はどこかへ行ってしまいましたが、正解だったかもしれません。

すっきりしました。ともかくこれで私の60年とはバイバイです。私に年齢はなくなりました。

ここが再スタート、もう一度ゼロ歳から積み上げていくことが出来るのです。ゼロ歳というと今までの人生を否定することになるので、私の年齢は60歳で終わりとしましょう。

ここから先は、何年経っても60歳。実年齢をつきつけられても、それは他人から見た年齢に過ぎず、私の年齢は私自身が決めます。文句ありますか。

関連書籍

下重暁子『年齢は捨てなさい』

年齢を気にせず好きなことに没頭している人は、みな若くてイキイキしている。一方で「もう年だから」が口癖の人は総じて老け込み、わびしい人生を送っている。ことほどさように年齢を意識しすぎることは何の得にもならず、生き方を狭めてしまうだけである。「年齢を聞くことは品のない行為」「『還暦祝い』が嬉しい人はいるのか」「今日という日が人生で一番若い」「外見の若さを求め続けると、いつか破綻する」「年齢を自分で決めると楽になる」等々、年齢を超越し、充実した人生を送るヒントが詰まった一冊。

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年齢は捨てなさい

「今日という日が人生で一番若い」「年を重ねた今が一番自分らしい」とおっしゃるのは、元NHKアナウンサーで、現在は作家・エッセイストとして活躍されている下重暁子さん。年齢なんかに束ねられない、もっと自由に自分らしい、さらに個性的な生き方とは。

樹木希林さんや瀬戸内寂聴さんといった方々のエピソードとともに、年齢にとらわれない生き方のヒントが書かれている書籍『年齢は捨てなさい』から、抜粋してご紹介します。

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下重暁子

早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。女性トップアナウンサーとして活躍後、フリーとなる。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。ジャンルはエッセイ、評論、ノンフィクション、小説と多岐にわたる。公益財団法人JKA(旧・日本自転車振興会)会長等を歴任。現在、日本ペンクラブ副会長、日本旅行作家協会会長。『家族という病』『家族という病2』『極上の孤独』(すべて幻冬舎新書)など著書多数。

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