作り上げてきた「自分」というアカウントからログアウトしたら、「本当の自分」になれると思っていた――
ゲイも、少年少女も、おじさんも、自分を生きるために明日への一歩を踏み出していく。痛みと希望を詰め込んだ一冊『#塚森裕太がログアウトしたら』。その冒頭を試し読みとして公開いたします!
前回「そのアカウントからログアウトしたら、いったい何が現れるのだろう。ーープロローグ」
* * *
僕の親指には、脳がある。
その脳はスマホをいじっている時に目覚める。ツイッターをやっている最中が活発だ。頭が「いいねしろ」と命令を下し、親指が「分かりました」と動くのではない。親指が「いいねしたよ」と結果を報告し、頭が「分かった」と情報を処理する関係が、二つの脳の間に築かれている。
いいねしたよ。分かった。リツイートしたよ。分かった。タイムライン読み込んだよ。分かった。リツイートしたよ。分かった。
いいね──
「なあ、塚森がゲイだって知ってた?」
親指の脳が、機能を停止した。
小学生男子が辞書をめくっている途中、エロい単語を見つけて指を止めるのと同じ。頭の脳が聞き捨てならない単語を拾い、親指の脳に「ちょっと止まれ」と指令を出した。夏服の高校生を詰め込んだバスに、わずかに高さの残る男声が響く。
「塚森って、あの?」
「そう。去年、同じクラスだったあの塚森裕太」
こっちは座っていて、話しているやつらは立っているから、声は上から降ってくる。僕は膝の上で学生鞄を抱え、目の前でつり革につかまっている男子生徒二人を見やった。ネクタイに緑のラインが入っているから、一つ上の三年生だ。二人ともシャツの裾をだらしなくズボンから出している。高校生活を楽しむためのおまじないみたいに。
「マジで?」
「マジで。インスタでカミングアウトしてんの」
僕から見て右側の男子がスマホをいじり出した。左側が首を伸ばし、手元を横から覗き込む。やがてバスが停留所に着き、車体がぐらりと揺れたのに合わせ、左側が口を開いた。
「うわっ。マジだ」
プシュ。無機質な音と共に、バスのドアが開いた。
「どーりで、あんなモテるのに彼女作らねえわけだ」
「もったいねえよな。お前が代わりにホモになれよ」
「あ?」
バスが動き出す。僕はじゃれ合う三年生たちから自分のスマホに意識を戻し、インスタグラムのアプリを開いた。ツイッターと違って慣れていないから動作がぎこちない。親指の脳は眠ったまま、頭の指令で指が動く。
名前で検索をかけ、塚森裕太のアカウントを見つける。目鼻立ちのくっきりと整った少年が爽やかに笑うアイコンは、どこかのモデルのアカウントだと言っても問題なく通用しそうだ。ユーザーネームの横に公式マークをつけたくなる。
最新の投稿は、同年代の男女一人ずつと肩を並べて笑う塚森裕太だった。向かって右はガタイのいい短髪の男子で、左は髪を頭の後ろでまとめた女子。二人とも塚森裕太と同じように笑っていて、女子の方はカメラに向かってピースサインを出している。
写真をタップ。画面をスワイプさせ、キャプションを読む。
『今日は、みんなに二つ報告があります。
一つ目。インハイ予選、決勝リーグ一戦目、勝ちました。インハイ進出に向けて大きく前進です。卒業した先輩たちは怒るかもしれないけれど、俺の感覚では去年よりも手応えがあります。このまま勝ち進んで、目指すは全国優勝。本気で、全力で、狙っていきます。
そして、二つ目。
今日、俺は大切な友達に、自分が同性愛者であることを明かしました。
思っていたより恐怖はなかったです。二人は本当の俺を受け入れてくれると分かっていたから。そういうやつらだって、信じていたから。そしてやっぱり、その通りでした。二人とも、俺を俺として見てくれた。「お前が誰を好きでも、お前はお前だろ」。そう言ってくれた。本当に嬉しくて、心強かったです。
そんな二人の優しさに触れて、俺は決心しました。もう嘘はつかない。自分らしく生きる。俺、塚森裕太は改めてここに宣言します。俺は同性愛者です。男だけど男しか愛せない。そういう人間です。
この投稿を読んで、驚いている人もいるでしょう。中には、俺のことを無理になった人もいるかもしれない。でもきっと、それ以上に理解してくれる人がいる。俺はそういう仲間たちに囲まれている。根拠なんて何もないけれど、心からそう思っています。
いきなり変な話をしてすいません。とりあえず今は、次の土曜にある決勝リーグ二戦目のことで頭がいっぱいです。応援、よろしくお願いします!
#LGBT #カミングアウト #自分らしく #最高の仲間に #ありがとう』
チッ。
舌打ちが漏れた。バスが学校近くの停留所に着き、生徒たちがぞろぞろと降りる。僕も流れに乗ってバスを降り、だけど学校に向かう流れには乗らず、足を止めてスマホでツイッターを開いた。
バスの中で使っていたアカウントを、別名義のアカウントに切り替える。通知ゼロ。いいねもリツイートも増加なし。また、舌打ちが漏れそうになる。
『50いいねでモザイク外そうかな(笑)』
勃起したペニスにモザイク処理を施した下半身の写真と、一定以上の反応があればモザイクを外すという文言をセットにしたツイートを眺める。昨日の夜に投稿して現時点で38いいね。目標は30ぐらいにしておけばよかっただろうか。目的はいいねを稼ぐことではなく、ツイートを広めて仲間から交流のお誘いをいただくことだけど、こういうものは達成しないとすこぶるダサい。
スマホをポケットにしまう。晴れた初夏の空を見上げて歩きながら、塚森裕太のカミングアウトを思い返す。満面の笑みを浮かべる塚森裕太。その隣で同じように笑う友人たち。そしてその友人が塚森裕太にかけた、優しくて温かい言葉。
──お前が誰を好きでも、お前はお前だろ。
その通りだ。僕は男が好き。そして僕は清水瑛斗。塚森裕太ではない。だからこそ僕にとって、この世界は本当に生きづらい。
* * *
次回に続きます。
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#塚森裕太がログアウトしたら
高3のバスケ部エース・塚森裕太は自分がゲイだとInstagramでカミングアウト。それがバズって有名に。
このカミングアウトが、同じ学校の隠れゲイの少年、娘がレズビアンではないかと疑う男性教師、塚森を追いかけるファンのJK、塚森を崇拝しているバスケ部の後輩へと変化をもたらしていく。そして塚森自身にも変化が表れ…。
作り上げてきた「自分」からログアウトしたら、「本当の自分」になれると思っていた――痛みと希望が胸を刺す青春群像劇。
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