作り上げてきた「自分」というアカウントからログアウトしたら、「本当の自分」になれると思っていた――
ゲイも、少年少女も、おじさんも、自分を生きるために明日への一歩を踏み出していく。痛みと希望を詰め込んだ一冊『#塚森裕太がログアウトしたら』。その冒頭を試し読みとして公開いたします!
前回「僕は清水瑛斗。塚森裕太ではない。だからこそ僕にとって、この世界は本当に生きづらい。ーー同族、清水瑛斗(1)」
* * *
去年、今まで「県内では強い」ぐらいだった僕の高校の男子バスケットボール部が、インターハイに出場して上位に残る快挙を成し遂げた。
インターハイ出場が決まった時点で、帰宅部の僕の耳に情報が入ってくるぐらいの騒ぎになっていた。準決勝まで行ったところで、夏休み中なのに応援に誘う連絡が学校から回って来た。その準決勝で負けてしまったけれど、結果は全国ベスト4。十分すぎるほどに十分だ。燃え広がった熱は夏休みが明けた後も、一人の選手を中心に長く燻り続けた。
その選手が当時の二年生エース、塚森裕太。
僕は試合を観に行っていないけれど、噂によると塚森裕太はインターハイで八面六臂の大活躍を見せたらしい。バスケットボール雑誌のインターハイ特集では「今大会一番の仕上がり」と絶賛されていたそうだ。ただ僕は、男子バスケ部メンバーの中から塚森裕太が特に注目を浴びて学校で話題になったのは、インターハイの活躍とはまた違う要因があると考えている。
それは塚森裕太という男子生徒の人間性──スペックだ。
芸能人が文字通り「顔負け」する甘いマスク。バスケットボールで鍛えられた引きしまった身体。頭も大変によく、性格は誰からも愛される真っ直ぐな好青年らしい。そんな男がインハイベスト4の成績を残した運動部のエースなのだ。注目されないわけがない。
だから、そいつがSNSでカミングアウトすれば、こういうコメントもつく。
『感動しました! 塚森先輩がどんな人でも、わたしは塚森先輩を支え続けます!』
『俺も今年の方が手応えある。優勝目指そう!』
『まあ色々あるみたいだけど、これからもダチってことでよろしく』
僕はため息をついた。スマホから目を離し、騒がしい朝の教室を見渡す。男子のグループと女子のグループ。多人数のグループと少人数のグループ。うるさいグループと静かなグループ。様々な切り口で集団を分類しながら、もしこいつらが塚森裕太のカミングアウトを話題にしたらどういう風になるのだろうと、意味もなくぼんやり想像する。
「清水」
呼ばれて、振り返る。このクラスにおける唯一の友人、瀬古口がいつの間にか後ろの席に座っていた。
小太り眼鏡の見るからにオタクな男子で、実際にオタク。人は見た目ではないなんて言うけれど、見た目による判断が裏切られることなんてそうはない。瀬古口も痩せ眼鏡でオタクの僕について、きっと同じ感想を抱いていることだろう。
「おはよう」
「おはよう」
瀬古口が自分のスマホをいじり出した。目の前に友人がいるのに最低限の挨拶だけ交わしてスマホ。当然だ。スマホと僕のどちらがより興味深い情報を提供できるかなんて考えるまでもない。自然に動けば、人は人と向き合うよりスマホと向き合うようになっている。
僕も自分のスマホに視線を落とした。さっきまで見ていた塚森裕太のカミングアウトが目に入る。瀬古口はこれ知ったらどう思うかな。分かりやすく親指の脳で動いている瀬古口を前に、そんなことを考える。
「なあ、塚森裕太って知ってる?」
考えが行動に繋がった。瀬古口は顔を上げずに答える。
「塚森裕太?」
「ほら、去年インハイで活躍したバスケ部の」
「あー、あれか」
「そいつさ、ゲイだったんだって」
「へー」
興味なさげ。もう少し、続けてみる。
「インスタでカミングアウトしてんの。ほら、これ」
スマホを瀬古口につきつける。瀬古口が親指を止めて顔を上げた。そして示された画面をしばらく眺めた後、口を開く。
「清水、インスタやってたんだ」
──そこ?
予想外のところにコメントが来た。さすが瀬古口。マイペース。
「意外。俺らインスタって感じじゃないじゃん」
「見る用のアカ持ってるだけだよ」
「インスタって面白い?」
「さあ。そんなに見ないから」
「そっか」
会話終了。瀬古口が再び己の支配権を親指の脳に譲渡する。結局、カミングアウトについてはノーコメントだ。本当に興味のあるなしがはっきりしている。
「そういや今日、解禁日じゃん」
スマホをいじりながら、瀬古口が独り言みたいに話しかけてきた。僕たちの間で解禁日と言えば、よく学校帰りゲームセンターに寄ってプレイしている、ロボット対戦アクションゲームの新機体が使用可能になる日のことを指す。二人でチームを組んで戦うゲームで、僕と瀬古口が仲良くなったのもそのゲームの影響が大きい。というか、ほとんどそれ。
「そうだね」
「帰りゲーセン寄ろうぜ」
「あー、ごめん。今日は無理」
「なんか予定あんの?」
うん。ツイッターで知り合った三十三歳の男の人に抱かれに行く。
「ちょっとね」
「そっか。分かった」
踏み込まれない。塚森裕太のカミングアウトに興味がないように、僕のプライベートにも興味がないのだろう。もし今言わなかった言葉を口にしたら、瀬古口はどういう風に反応したのか。気になるけれど、もちろん今度は行動には繋がらない。
教室を見渡し、「インスタって感じ」のグループを探してみる。サッカー部の岡田を中心とした男子グループと、クラス委員長の篠原を中心とした女子グループは、いかにも「インスタって感じ」だ。着崩した制服や凝った髪型を見れば、インスタ映えするラテアートに金を出せるタイプの人間だと分かる。
きっと何人かは非童貞だし非処女だろう。だけどSNSで知り合った自分の倍ぐらいの年齢の大人とセックスをしているやつは、たぶんいないと思う。
僕は空気。クラスの連中は誰も僕になんて注目していない。だけどそんな僕が、きっとこのクラスで一番すごいことをしている。
そういう状況に、僕がまるで優越感を覚えていないかというと、それは嘘になる。
* * *
次回に続きます。
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高3のバスケ部エース・塚森裕太は自分がゲイだとInstagramでカミングアウト。それがバズって有名に。
このカミングアウトが、同じ学校の隠れゲイの少年、娘がレズビアンではないかと疑う男性教師、塚森を追いかけるファンのJK、塚森を崇拝しているバスケ部の後輩へと変化をもたらしていく。そして塚森自身にも変化が表れ…。
作り上げてきた「自分」からログアウトしたら、「本当の自分」になれると思っていた――痛みと希望が胸を刺す青春群像劇。
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