作り上げてきた「自分」というアカウントからログアウトしたら、「本当の自分」になれると思っていた――
ゲイも、少年少女も、おじさんも、自分を生きるために明日への一歩を踏み出していく。痛みと希望を詰め込んだ一冊『#塚森裕太がログアウトしたら』。その冒頭を試し読みとして公開いたします!
前回「あいつと僕たちは住む世界が違うんだ。ーー同族、清水瑛斗(4)」
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山崎さんの部屋を出てすぐ、スマホでツイッターを開く。
歩きながら親指を動かし、例のツイートを見つける。呟いたのはゲイのおじさん。他のツイートは性的少数者を取り巻く社会問題について呟いたものばかりで、少なくともセフレ探し用アカウントとして運用しているわけではなさそうだった。塚森裕太のカミングアウトを紹介したのも応援のつもりなのだろう。いい人なのだと思う。いい人の定義次第ではあるけれど。
紹介されているリンクから、塚森裕太のインスタグラムに飛ぶ。写真もキャプションも変化はない。だけどコメントがとんでもなく増えている。特に僕や塚森裕太と同じ、同性愛者のそれが。
『僕もゲイです。投稿に勇気づけられました。本当にありがとうございます』
『大丈夫。大したことないよ。少なくとも俺はそうだった。君に幸あれ』
『今度の試合、応援しに行きます。あなたと同じようにこの世に生まれた仲間として、あなたの勝利を祈らせてもらいます。頑張ってください』
こいつらは、何を考えて生きているのだろう。
お前はお前、塚森裕太は塚森裕太だ。こういうやつらは、例えばゲイの殺人鬼が少年を強姦して殺害したら、まるで自分が罪を犯してしまったかのように落ち込むのだろうか。本当に、ちっとも理解できない。
インスタグラムからツイッターに戻る。バズっているツイートを眺めながら、これからのことを考える。学生はSNSを友達と繋がるツールとして使うことが多い。僕も表のアカウントでは瀬古口と繋がっている。だからこのツイートが学校の誰かに届き、そいつがリツイートすれば、繋がっている同じ学校の仲間にカミングアウトが伝わる。そしてその仲間がまたリツイートすることで、情報はどんどんと広がっていく。
すると広まった情報を元に、学校の連中が言葉を交わすようになる。今朝バスで聞いたような話を、今後はより多く耳にすることになる。そうなればきっと話題は「塚森裕太」に留まらない。同性愛がどうこうとか、そういう話だって聞こえてくる。
──ふざけんなよ。
お前は、塚森裕太はいい。お前を嫌うやつなんてきっといないから、どれだけ話題になっても何の問題もない。でも僕は違う。このクラスにもゲイがいるんじゃないか。清水とか怪しいぞ。そんな風になったら耐えがたい。いや、名前が出なくても、そういう話題になるだけで肩身が狭くてしょうがない。
アカウントが「ノボル」の方であることを確認し、親指をせわしなく動かす。感情を文字に変え、勢いに任せて送信。すぐにメッセージがネットワークを通じ、バズっているツイートへのリプライという形で全世界に放たれた。
『こいつと同じ高校のゲイだけどこういう自分に酔ったカミングアウト本当に迷惑。人生充実してるキラキラマンには話題にされたくないって感覚が分からないのかな。みんなお前みたいに強いわけじゃないんだけど』
ざまあみろ。胸中で悪態をつき、スマホをポケットにしまう。夕暮れに長く伸びる自分の影が、なぜかろうそくの炎みたいに、不安定にゆらめいているように見えた。
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試し読みはここまでとなります。
気になる続きはぜひ購入して読んでみてくださいね。
#塚森裕太がログアウトしたら
高3のバスケ部エース・塚森裕太は自分がゲイだとInstagramでカミングアウト。それがバズって有名に。
このカミングアウトが、同じ学校の隠れゲイの少年、娘がレズビアンではないかと疑う男性教師、塚森を追いかけるファンのJK、塚森を崇拝しているバスケ部の後輩へと変化をもたらしていく。そして塚森自身にも変化が表れ…。
作り上げてきた「自分」からログアウトしたら、「本当の自分」になれると思っていた――痛みと希望が胸を刺す青春群像劇。
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