大阪人はおもしろくて当たり前、大阪といえばたこ焼き、熱狂的な阪神ファン、ドケチなおばはん……大阪に対してこんなイメージを持っていませんか?
大阪のステレオタイプなイメージは、実はメディアによって作られ広められたものだった?! 庶民的な部分ばかりに注目され、面白おかしく誇張されがちな大阪像。幻冬舎新書『大阪的 「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた』ではその謎を解き明かします。
* * *
世界へはばたく「浪速のバルトーク」
「浪速のバルトーク」とよばれた作曲家が、かつて大阪にいた。大栗裕(ひろし)である。大栗は、しばしば自作の楽曲に、大阪土着の音楽をとりいれた。「大阪」をうたった曲もある。
バルトークはハンガリー生まれの作曲家である。母国の民俗音楽に取材した作品を、数多く発表した。大栗がバルトークになぞらえられるのは、そのためである。
「浪速のハチャトゥリアン」と言われることも、ないではない。ロシアのハチャトゥリアンも、民衆的な音楽を自作にいかした作曲家であった。「バルトーク」と「ハチャトゥリアン」に、愛称としての本質的なちがいはない。
当人は、1918年に大阪の船場で生まれている。小間物商の御曹司であった。父には義太夫の心得があったという。その意味では、大阪の俗曲世界にはぐくまれた作曲家だと、みなしうる。
若いころから、吹奏楽に興味をもちだした。ホルンをまなび、その途で身をたてるようにもなっている。1950年には、関西交響楽団、のちの大阪フィルハーモニー交響楽団でホルン奏者となった。このオーケストラをひきいた朝比奈隆から、じかにまねかれて。
指揮者の朝比奈は、1956年に渡欧する。ベルリンでは、ベルリン・フィルの指揮台にたつ機会も、あたえられた。ベルリン側は、事前に朝比奈へ日本人の現代音楽を持参するよう、もとめている。あまりヨーロッパ的ではない曲を、ベルリン・フィルの演奏で紹介してほしい、と。
この要請を、朝比奈もうけいれた。曲作りの能力もある大栗に、一曲こしらえてくれと、たのんでいる。大栗の代表作である『大阪俗謡による幻想曲』(ファンタジー・オン・オオサカ・フォーク・チューンズ)は、こうしてなりたった。天神祭の御囃子(おはやし)めいた音などを、しばしばひびかせる管弦楽曲が、できあがったのである。
興味をいだかれた方は、ナクソスのCDに収録された大フィルの演奏を聴いてほしい。1970年の改訂版だが、下野竜也の指揮でおさめられている。ついでに書くが、関西の現代音楽をよくとりあげるナクソスに、私は敬意をいだいている。
ベルリンでの御披露目は、たいそうよろこばれたらしい。以後これは、朝比奈が海外で公演をするさいの、挨拶代わりめいた楽曲に、なっていく。「ベルリン・フィルにささげる」。そうしるされた大栗の原譜は、今も同フィルの資料庫におさめられている。
さて、戦前の朝比奈は、メッテルからヨーロッパの猿真似をやめろと言われていた。日本人なら、日本人らしい音楽をこしらえよ、と。ロシア帝政期に、「国民楽派」を生きたメッテルの、それは遺訓でもあった。その延長線上にこの曲も位置づけたいが、どうだろう。
大阪フィルの渡欧をあとおしした市民の熱意
1975年のことである。大阪フィルハーモニー交響楽団は、はじめてのヨーロッパ公演をなしとげた。オーストリアやドイツなどで、20回におよぶ演奏会をひらいている。
と、そう書くのはたやすいが、しかしなかなかかんたんにできることではない。なにしろ、オーケストラの数十人におよぶ団員を、海外へおくりこむのである。旅費、滞在費のやりくりで、財務担当者はいやおうなく頭をかかえることになる。
おまけに、当時は石油ショックのまっただなかであった。どこの企業も、経費をきりつめている。不要不急とみなされる出費は、誰もがてびかえた時期である。
大フィルは、行政と財界の支援にささえられている。そして、そのスポンサー筋は、たいてい渡欧に難色をしめしていた。大フィルをバックアップする協会の理事長も、指揮者の朝比奈隆にあらがったらしい。「頼むからやめてくれ」、と(『朝比奈隆わが回想』1985年)。
だが、当時の大島靖大阪市長は、またちがった判断を下している。苦境の時だからこそ応援をしたいということで、市からの援助をおしまなかった。
のみならず、この時市井の音楽愛好家が、義援金あつめにたちあがっている。“大フィルをヨーロッパにおくろう”。この掛け声とともに、街頭や演奏会場の前で募金をはじめたのである。あるいは、有志のところへ、献金をたのみにいっている。インターネットもない時代の、クラウドファンディングであったと言うべきか。
この光景を見て、財界からきていた理事長も態度をあらためる。理事会をやりなおし、予算をくみかえた。手続きとしては問題もありそうなそういう経緯をへて、大フィルは旅だったのである。
大阪のクラシック好きが、じつは大阪だけでもないのだけれど、気持ちをよせあった。アカデミックな音楽に、市民が情熱をかきたてられている。大フィルのヨーロッパ公演という壮挙には、それだけの輝きがあったということか。
これも、とおりいっぺんの大阪人論では見すごされそうな逸話である。であるだけに、こんな一面も大阪にはあったのだと強調しておきたい。
2012年には、大阪市が新しい市政改革の方針をうちだしている。これにより、ざんねんながら、大フィルへの補助金は、大きくけずられた。オーケストラは今、くるしい運営をしいられている。
大フィルへの期待値が、下がったのか。それとも、行政や市民がせちがらくなったのか。あるいは、マエストロ・朝比奈隆の、今はありえないカリスマ性に、脱帽するべきか。いずれにせよ、大阪と大フィルが夢をわかちあった時代は、すぎさったようである。
大阪的 「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた
大阪人はおもしろくて当たり前、大阪といえばたこ焼き、熱狂的な阪神ファン、おおさかのおばはん……大阪に対してこんなイメージを持っていませんか?
大阪のステレオタイプなイメージは、実はメディアによって作られ広められたものだった?! 庶民的な部分ばかりに注目され、面白おかしく誇張されがちな大阪像。幻冬舎新書『大阪的 「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた』ではその謎を解き明かします。