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大阪的 「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた

2020.11.19 公開 ポスト

大阪の象徴「くいだおれ太郎」は飲食業を引退していた井上章一

大阪人はおもしろくて当たり前、大阪といえばたこ焼き、熱狂的な阪神ファン、ドケチなおばはん……大阪に対してこんなイメージを持っていませんか?

大阪のステレオタイプなイメージは、実はメディアによって作られ広められたものだった?! 庶民的な部分ばかりに注目され、面白おかしく誇張されがちな大阪像。幻冬舎新書『大阪的 「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた』ではその謎を解き明かします。

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くいだおれ太郎の狙い

かつて、大阪の道頓堀では、「くいだおれ」という会社が外食のビルをてがけていた。1階から8階までの全階に、食堂や居酒屋、そして割烹店などをならべたビルである。2008年から、同社は飲食にかかわるビジネスを停止した。それでも、多くの人は、「くいだおれ」の光景を、おぼえている。

(写真:iStock.com/bushton3)

記憶にやきついているのは、ビルの1階正面にあった人形のせいである。はでな衣裳に身をつつみ、太鼓をたたくその姿は、チンドン屋をしのばせた。「くいだおれ太郎」とよばれ、あの界隈でもめだっていたものである。

道頓堀を紹介するテレビの画面も、よくこの「太郎」をとりあげた。あのあたりを代表する街の顔にも、なっていただろう。いや、大阪そのものを象徴する、アイドルでもあった。

今、「くいだおれ」は、外食産業から身をひいている。しかし、「太郎」のキャラクター展開はやめていない。さまざまな事業者に、マスコットとしてかしだすマネジメント業は、つづけている。人形の訴求力じたいは、うしなわれていないということか。

 

「太郎」が道頓堀にはじめてその姿をあらわしたのは、1950年であった。まだ、ビルをたてる前、食堂が発足してまもないころから店先をかざっている。

チンドン屋風の人形に、まずひきよせられたのは、当時の子供たちであったろう。子供のよろこぶあの店へでかけ、家族みんなで食事をたのしみたい。そんな家族づれをいざなう務めが、「太郎」にはたくされていたと考える。

じつは、同じ1950年に、東京でも銀座の不二家が、店先へ人形をおきだした。「ペコちゃん」である。ここでも、子供を不二家へさそいこむことがねらわれた。高級洋菓子店であった不二家は、これで規模の拡大にのりだしたのである。

 

それまでの飲食業は、子供を主たる消費者としては、みなしてこなかった。外食は、大人だけの楽しみだったのである。だが、20世紀の中葉には、子供へねらいをさだめた店が浮上した。子供の言うことも聞いてやろうとする、戦後的な家族像にあわせた営業が。

「食いだおれ」という言葉は、大人の食道楽をほんらいさしていた。そんな言葉は、「太郎」のいる店が名のったことでも、意味をかえていったろう。グルメというもとの含みをうすめる、その一翼ぐらいは、ここもになったような気がする。

あの人形をとりはずせ

「くいだおれ」は、1949年に大阪の道頓堀で創業した。しかし、その当初から8階建てのビルをもうけていたわけではない。はじめのうちは、こぢんまりした建物で、食堂をいとなんでいた。ビルをたてたのは、1959年、創業の10年後である。

ビルの建設にさいしては、銀行からの融資をうけていない。「くいだおれ」は、銀行をたよらずに、事業の拡大へふみきった。

銀行に依存しなかった理由は、はっきりしている。当時、「くいだおれ」がつきあっていた銀行は、店頭の人形に難色をしめしていた。

あれをのこすのなら、金はかさない。融通をしてほしいなら、新しいビルからは人形をとりはずせ。そんな条件も、店は銀行からつきつけられていた。そして、「くいだおれ」は、けっきょくこれをはねつけ、自前で資金を調達したのである。

(写真:iStock.com/taa22)

のちに、人形の「くいだおれ太郎」は一大マスコットとなっている。通天閣や大阪城なみの、大阪を代表するシンボルにもなりおおせた。飲食業のほうはやめても、キャラクターとしての営業はつづけられるまでに。

だが、そこまでの可能性を、1959年段階の銀行は、まだ見ぬけていない。融資元は、「太郎」を大人げない玩具としてしか、とらえていなかった。日本社会が、キャラクター・ビジネスに気づくのは、もう少しあとになってからである。

 

じっさい、「太郎」じたいが世の耳目をあつめだしたのは、いわゆるバブル期からだろう。そして、関西国際空港ができた1994年には、もう偶像化されていた。開港直後の関空から、「太郎」がしばしば海外へとびたっていたことを想いだす。大阪からの、ちょっとした親善使節として。

「くいだおれ太郎」という名前がつけられたのも、このころではなかったか。それまでは、「くいだおれ」の人形というふうにしか、よばれていなかったと思う。

もとは、子供をひきつけるために、店頭へ設置された人形である。銀行からも、あなどられていた。あんなものは、子供だましの景物(けいぶつ)だ、と。その「太郎」に、大阪を世界へ印象づける役目が、今はあたえられている。それだけ、現代社会は幼児化したのだろうか。

いずれにせよ、「食いだおれ」という言葉は、今日しばしばあの人形を想いおこさせる。グルメにうつつをぬかす食通のことは、やはり脳裏をよぎりづらくなっているようである。

関連書籍

井上章一『大阪的 「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた』

大阪と聞いて何を思いうかべるだろうか? 芸人顔負けのおばちゃん、アンチ巨人の熱狂的阪神ファン、“金もうけとど根性”の商売人……しかしそれらは東京のメディアが誇張し、大阪側も話を盛ってひろがった、つくられた大阪的イメージだ。「おもろいおばはん」の登場は予算のない在阪テレビ局が素人出演番組を安く量産した結果だし、阪神戦のテレビ中継がまだない一九六〇年代、甲子園球場は対巨人戦以外ガラガラだった。ドケチな印象はテレビドラマが植えつけたもので、「がめつい」は本来、大阪言葉ではなかった。多面的な視点から、紋切型の大阪像をくつがえす。

井上章一『日本の醜さについて 都市とエゴイズム』

個人主義で自己主張の強い欧米人とくらべ、日本人は集団主義的で協調性があり、「和をもって貴し」とする民族だと言われてきた。しかし、ひとたび街に目をむければ、それはまちがいだと気づく。利権まみれで雑多な東京。くいだおれ太郎やかに道楽など人形だらけで幼稚な大阪。“千年の都”と称されながらスクラップ・アンド・ビルドをくりかえす京都。ローマと東京、ヴェネツィアと大阪、フィレンツェと京都――街並をくらべるかぎり、近代化に成功し、本物の自由を勝ちとったのは欧米ではなく日本なのだ。都市景観と歴史が物語る、真の日本人の精神とは?

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