大阪人はおもしろくて当たり前、大阪といえばたこ焼き、熱狂的な阪神ファン、ドケチなおばはん……大阪に対してこんなイメージを持っていませんか?
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くいだおれ太郎の狙い
かつて、大阪の道頓堀では、「くいだおれ」という会社が外食のビルをてがけていた。1階から8階までの全階に、食堂や居酒屋、そして割烹店などをならべたビルである。2008年から、同社は飲食にかかわるビジネスを停止した。それでも、多くの人は、「くいだおれ」の光景を、おぼえている。
記憶にやきついているのは、ビルの1階正面にあった人形のせいである。はでな衣裳に身をつつみ、太鼓をたたくその姿は、チンドン屋をしのばせた。「くいだおれ太郎」とよばれ、あの界隈でもめだっていたものである。
道頓堀を紹介するテレビの画面も、よくこの「太郎」をとりあげた。あのあたりを代表する街の顔にも、なっていただろう。いや、大阪そのものを象徴する、アイドルでもあった。
今、「くいだおれ」は、外食産業から身をひいている。しかし、「太郎」のキャラクター展開はやめていない。さまざまな事業者に、マスコットとしてかしだすマネジメント業は、つづけている。人形の訴求力じたいは、うしなわれていないということか。
「太郎」が道頓堀にはじめてその姿をあらわしたのは、1950年であった。まだ、ビルをたてる前、食堂が発足してまもないころから店先をかざっている。
チンドン屋風の人形に、まずひきよせられたのは、当時の子供たちであったろう。子供のよろこぶあの店へでかけ、家族みんなで食事をたのしみたい。そんな家族づれをいざなう務めが、「太郎」にはたくされていたと考える。
じつは、同じ1950年に、東京でも銀座の不二家が、店先へ人形をおきだした。「ペコちゃん」である。ここでも、子供を不二家へさそいこむことがねらわれた。高級洋菓子店であった不二家は、これで規模の拡大にのりだしたのである。
それまでの飲食業は、子供を主たる消費者としては、みなしてこなかった。外食は、大人だけの楽しみだったのである。だが、20世紀の中葉には、子供へねらいをさだめた店が浮上した。子供の言うことも聞いてやろうとする、戦後的な家族像にあわせた営業が。
「食いだおれ」という言葉は、大人の食道楽をほんらいさしていた。そんな言葉は、「太郎」のいる店が名のったことでも、意味をかえていったろう。グルメというもとの含みをうすめる、その一翼ぐらいは、ここもになったような気がする。
あの人形をとりはずせ
「くいだおれ」は、1949年に大阪の道頓堀で創業した。しかし、その当初から8階建てのビルをもうけていたわけではない。はじめのうちは、こぢんまりした建物で、食堂をいとなんでいた。ビルをたてたのは、1959年、創業の10年後である。
ビルの建設にさいしては、銀行からの融資をうけていない。「くいだおれ」は、銀行をたよらずに、事業の拡大へふみきった。
銀行に依存しなかった理由は、はっきりしている。当時、「くいだおれ」がつきあっていた銀行は、店頭の人形に難色をしめしていた。
あれをのこすのなら、金はかさない。融通をしてほしいなら、新しいビルからは人形をとりはずせ。そんな条件も、店は銀行からつきつけられていた。そして、「くいだおれ」は、けっきょくこれをはねつけ、自前で資金を調達したのである。
のちに、人形の「くいだおれ太郎」は一大マスコットとなっている。通天閣や大阪城なみの、大阪を代表するシンボルにもなりおおせた。飲食業のほうはやめても、キャラクターとしての営業はつづけられるまでに。
だが、そこまでの可能性を、1959年段階の銀行は、まだ見ぬけていない。融資元は、「太郎」を大人げない玩具としてしか、とらえていなかった。日本社会が、キャラクター・ビジネスに気づくのは、もう少しあとになってからである。
じっさい、「太郎」じたいが世の耳目をあつめだしたのは、いわゆるバブル期からだろう。そして、関西国際空港ができた1994年には、もう偶像化されていた。開港直後の関空から、「太郎」がしばしば海外へとびたっていたことを想いだす。大阪からの、ちょっとした親善使節として。
「くいだおれ太郎」という名前がつけられたのも、このころではなかったか。それまでは、「くいだおれ」の人形というふうにしか、よばれていなかったと思う。
もとは、子供をひきつけるために、店頭へ設置された人形である。銀行からも、あなどられていた。あんなものは、子供だましの景物(けいぶつ)だ、と。その「太郎」に、大阪を世界へ印象づける役目が、今はあたえられている。それだけ、現代社会は幼児化したのだろうか。
いずれにせよ、「食いだおれ」という言葉は、今日しばしばあの人形を想いおこさせる。グルメにうつつをぬかす食通のことは、やはり脳裏をよぎりづらくなっているようである。
大阪的 「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた
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