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大阪的 「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた

2020.11.05 公開 ポスト

「大阪のおばちゃん」は80年代のテレビ番組で生まれた井上章一

大阪人はおもしろくて当たり前、大阪といえばたこ焼き、熱狂的な阪神ファン、ドケチなおばはん……大阪に対してこんなイメージを持っていませんか?

大阪のステレオタイプなイメージは、実はメディアによって作られ広められたものだった?! 庶民的な部分ばかりに注目され、面白おかしく誇張されがちな大阪像。幻冬舎新書『大阪的 「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた』ではその謎を解き明かします。

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大阪人「にも」ユーモアがある

大阪の人は、話がおもしろい。言葉のやりとりが、漫才のように聞こえる。上方芸能のいわゆるお笑いは、たがいにおどけあうことをよろこぶ大阪人が、はぐくんだ。そんな大阪文化論を、我われはしばしば耳にする。

(写真:iStock.com/BBuilder)

私じしん、そう力説している大阪弁の男を、東京で見かけたことがある。たまたま入った居酒屋で、隣の席からくだんの文化論は聞こえてきた。見れば男は、関東弁の連れたちと、大阪の漫才を語りあっている。

そして、その話題に関するかぎり、彼は指導者のようにふるまっていた。にわかじこみの大阪弁で漫才の真似事におよぶ、ほぼ同年代の関東者をたしなめてもいる。師匠が弟子を、きたえるかのように。

あかん、あかん。そんな間合いでやったら、笑いはとれへん。ええか、ボケとツッコミは、ただそれらしい文句をゆうたらええんとちゃうんや。ボケのボケぶりは、活かすも殺すも、ツッコミのタイミングしだいなんやから……。

とまあ、彼は以上のような口調で、その場をしきっていた。たいしたことを言っていたわけではない。だが、大阪の人間は、素人であっても、大阪からきたというだけで、笑いの師となりうる。そのことを、目に焼きつけさせられた一瞬ではあった。

 

前にもふれたが、東京生まれの谷崎潤一郎は、関西へうつりすんでいる。そして、大阪見聞の随想を書いた(「私の見た大阪及び大阪人」1932年)。80年以上前の記録だが、そのなかで谷崎は大阪の人びとを、都会人としてみとめている。関西では、大阪だけが都会的だとさえ、書ききった。その理由は、大阪人の機知にあるという。

大阪人はアレでなかなか滑稽を解する。その点はやはり都会人で、男も女も洒落(しゃれ)や諧謔(かいぎゃく)の神経を持っていることは東京人に劣らない……洒落の分るのは江戸っ児ばかりに限ったことはない。それは中国四国辺の人と大阪人とを比べてみると、その相違が実にはっきりしている」

意外なことに、大阪の人たちもユーモアがわかっている。その点では、江戸っ児とくらべても、ひけをとらないというのである。

大阪人こそがそういう方面の達人だとは、まったく思っていない。彼らにも諧謔味はあると、あたかも数年の滞在で発見をしたかのように、つたえている。今日とは、平均的な大阪人像のちがう時代があったことを、わかっていただけよう。

「大阪のおばちゃん」は、ここからはじまった

まいどワイド30分」というテレビの番組を、ごぞんじだろうか。1983年から93年まで、10年間にわたって放送された。テレビ大阪が世におくりだした、大阪限定のニュースワイドショーである。

(写真:iStock.com/Sushiman)

放送時間は、午後5時から5時半まで。勤め人たちは、まだ帰宅していない。テレビを見るのは、おもに家庭の主婦たちという時間帯である。

その想定されうる視聴者層を、ねらってのことだろう。この番組は、「決まった!今夜のおかず」というコーナーを、うちだした。大阪の市場や商店街で食材をもとめる買い物客に、カメラとマイクをつきつける。そうして、今晩のおかずは何にするのかとたずねる枠を、もうけたのである。

画面へ顔をだすのも、とうぜん大阪の主婦たちにかぎられた。似たような試みじたいは、以前からあったかもしれない。街でリポーターが女性へ声をかける映像も、単発的には流されていたような気がする。

だが、「決まった!今夜のおかず」は、連日彼女らを放送した。もっぱら、商店街の主婦たちに焦点をしぼり、同じ時間枠でつたえつづけたのである。画期的な番組であった。

 

テレビ大阪は後発のローカル局であり、既存の在阪4局と互角にたたかえない。よそと同じことをやっていたら、負けてしまう。そんな想いも、当時としては目新しいこの企画を、あとおしした。番組担当者であった沢田尚子が、以上のような回想をのべている(「大阪のおばちゃんに助けられて」関西民放クラブ「メディア・ウォッチング」編『民間放送のかがやいていたころ』2015年)。

とはいえ、この番組も取材をしたすべての女性に、光をあてたわけではない。おもしろいと制作者たちが判断した者だけをえらび、テレビの画面には、だしていた。

はじめは、絵になる主婦をさがしだすのに、苦労をしたらしい。何人にも路上で声をかけ、ようやく見つけだすというような状態であったという。だが、街頭インタビューをかさねるにしたがい、担当の沢田は人選の勘もやしなわれた。「『このお母さんはいけそう』とか、だんだん見えてくるんです」(同)

路上取材でであった女性の中から、ゆかい気に見える人だけをぬきだし、放送する。のちには、在阪各局がこの手法をとりいれた。大阪のおもろいおばちゃんばかりを、画面から洪水のように流しだしたのである。ここでは、それが1980年代以後の、新しい現象であることを、確認しておきたい。

関連書籍

井上章一『大阪的 「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた』

大阪と聞いて何を思いうかべるだろうか? 芸人顔負けのおばちゃん、アンチ巨人の熱狂的阪神ファン、“金もうけとど根性”の商売人……しかしそれらは東京のメディアが誇張し、大阪側も話を盛ってひろがった、つくられた大阪的イメージだ。「おもろいおばはん」の登場は予算のない在阪テレビ局が素人出演番組を安く量産した結果だし、阪神戦のテレビ中継がまだない一九六〇年代、甲子園球場は対巨人戦以外ガラガラだった。ドケチな印象はテレビドラマが植えつけたもので、「がめつい」は本来、大阪言葉ではなかった。多面的な視点から、紋切型の大阪像をくつがえす。

井上章一『日本の醜さについて 都市とエゴイズム』

個人主義で自己主張の強い欧米人とくらべ、日本人は集団主義的で協調性があり、「和をもって貴し」とする民族だと言われてきた。しかし、ひとたび街に目をむければ、それはまちがいだと気づく。利権まみれで雑多な東京。くいだおれ太郎やかに道楽など人形だらけで幼稚な大阪。“千年の都”と称されながらスクラップ・アンド・ビルドをくりかえす京都。ローマと東京、ヴェネツィアと大阪、フィレンツェと京都――街並をくらべるかぎり、近代化に成功し、本物の自由を勝ちとったのは欧米ではなく日本なのだ。都市景観と歴史が物語る、真の日本人の精神とは?

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大阪的 「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた

大阪人はおもしろくて当たり前、大阪といえばたこ焼き、熱狂的な阪神ファン、おおさかのおばはん……大阪に対してこんなイメージを持っていませんか?

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