メールの返信が遅いだけで、「嫌われているのでは」と不安になる。友達がほめられただけで、「自分が低く評価されたのでは」と不愉快になる。つい私たちは、ちょっとしたことでモヤモヤ、イライラしがちです。小池龍之介さんの『しない生活』は、そんな乱れた心をスーッと静めてくれる一冊。本書が説く108のメッセージの中から、いくつかご紹介しましょう。
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「つながりたい」気持ちの裏には?
インターネットを通じて「人とつながりたい」という気持ちの裏にも、「自分をわかって」という煩悩はまぎれ込みます。
ネット上では日記や片言のつぶやきから、匿名掲示板での他者への批判、悪口、陰口にいたるまで、膨大な量の言葉が吐き散らかされていますよね。
それらの書き言葉が昔の個人的な日記と決定的に異なりますのは、他人に見てもらいたいという衝動が働いていること。自分の日記や片言が見られることを通じて、「自分ってこんな人なんだよ」とわかってもらおうと、誰もが実は寂しくあがいているのです。
たとえば、「今日の私の誕生日は、友だちが赤坂のホテルでお祝いをしてくれてフレンチでした」と、みんなからもらったプレゼントの写真つきで、なぜに書きたくなるのか。それは「みんなから祝ってもらえたりプレゼントをもらえたりして、こんなに大事にされるステキな私なんだって、わかってほしいよ」という思いからなのです。
匿名掲示板での悪口も、自分の書いた悪口を多くの人たちが見てくれていて反応してくれることを通じて、「自分は上手に他人を批判できる」ということをわからせようとしているものです。ゆえに、誰も反応せず、誰も見てくれなければやる気を失うことでしょう。
かくして現代社会を覆いつくすかに見える、超巨大な電脳空間は、「自分のことをわかって」という孤独な言葉へと翻訳できる文字たちに満ち満ちております。
かつて、古き良き時代の日記は他人の目を退けていたがゆえに、自分の孤独へと立ち返ってホッと一息つける心の避難所でありえました。それを他人の目にさらすことで、「わかってよー」と心を乱すものへと変えてしまうのは、控えめにしたいものですね。
「気長に待つ力」を育てる
別れる別れないでもめているカップルの男性が、やり直したいと書いたメールを送ったが一向に返事が来ない。やきもきした彼は待ちきれずに、さらにメールを送ってしまう。「前のメールを読んでくれているなら、返事くらいください」なんてせかすせいで、よけいに彼女から嫌われますのに。
こんな見苦しい催促行為へと私たちを駆り立てる煩悩は何なのか、分析してみましょう。それは「私は労力を払って連絡したのだから、相手はその労力をいたわって返事を返すべきだ。でなければ、私だけが一方的に労を払うことになり不公平である」といった思考です。
つまり、ものごとは公平に、釣り合いが取れてなきゃ気が済まない、という強迫観念がつきまとっているのです。この強迫観念につけられた名前こそまさに「正義(justice)感」という煩悩に他なりません。その語幹「just」は天秤の釣り合いであることからも、人の脳は釣り合いの取れなさに不協和を感じてイライラするものなのだということが、よくわかりますね。
すると、自分の連絡にすぐ返事がないとイライラするのも、ストーカーが「自分が愛しているのだから相手も愛してくれてないとおかしい」と妄想するのも、天秤は釣り合いが取れているべきだという「正義感」ゆえ、と申せましょう。
自分が「これが当然なのに」と思い込んでいることは、単に脳が天秤の不協和にイライラしているだけだと、ハッと気づくこと。学校で習った「公平さ」という甘い妄想を捨て、この世は、不公平なのが当たり前だという厳然たる事実に目を開いてみる。
それにより「返事はくれるのが公平だ」という正義の妄想を離れれば、ゆったり気長に「待つ能力」が育ちます。待つ力は、自分を優美にしてくれるうえに相手もせかされず考えられるので、互いのためになるのです。
しない生活
メールの返信が遅いだけで、「嫌われているのでは」と不安になる。友達がほめられただけで、「自分が低く評価されたのでは」と不愉快になる。つい私たちは、ちょっとしたことでモヤモヤ、イライラしがちです。小池龍之介さんの『しない生活』は、そんな乱れた心をスーッと静めてくれる一冊。本書が説く108のメッセージの中から、いくつかご紹介しましょう。