累計200万部を超える「狩人」シリーズの最新作『冬の狩人』。3年前にH県で起こった未解決殺人事件の真相を、新宿署のマル暴・佐江とH県捜査一課の新米刑事・川村が追う警察小説だ。書評家・杉江松恋さんによる著者の大沢在昌さんへの特別インタビュー第2回目は、登場人物の名前に隠された秘密に迫った。
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太った中年刑事の魅力
—『冬の狩人』では佐江が本当に格好良かったです。第一作から読んでいると、彼がこんなに格好良くなっちゃうとは思いませんでした。
へへへ(笑)。そうだよね。冴えない中年のデブのおっさんで、始めは嫌味なことしか言わない人物だった。『雨の狩人』で完全にヒーローにしちゃったから、そこで終わるつもりだった部分もあるんでね。
佐江はメインの主人公でもあるんだけど、狂言回し的な役でもある。『北の狩人』では雪人、『砂の狩人』では西野、『黒の狩人』では毛(まお)、というようにもう一人の主人公がいるけど、佐江という反射板がいないと彼らが輝かない。今回はだれだっけ?
—川村です(笑)
川村を忘れてるってひどいよね(笑)。まあ執筆を終えてから2年が経ってるから。
今回、佐江は新米刑事を教えるコーチ役というスタンスで川村と知り合い、刑事という職業の辛さとか、壁をどう乗り越えるのかということを教える。親心みたいなものを見せる場面もあって。これはこれで面白いなという感じがしましたね。
—『北の狩人』の時点で佐江はベテラン刑事という属性以外に、どんなことを考えてキャラ設定をしたんですか?
しつこい嫌味な刑事。マル暴ではいちばん嫌われる人物。ちょっとでも悪いこと、唾を吐いただけてもパクるみたいなね。ねちっこい嫌な人物というイメージがあった。
それがいま思うとね、『砂の狩人』のラストシーンで、佐江が漁師町の生まれ育ちだと明かされて、墓参りをする場面があるよね。あそこから、なんか佐江って自分の中でちょっと膨らんだ気がするんですよ。
あそこで墓石に語りかけている場面から膨らんで、あ、佐江って、こういう狂言回し的な役回りになるんだろうなと。
—こうやって良さを発見していったキャラって愛着が湧くんじゃないですか?
佐江の場合は、最初よくわかんないけど、嫌味なマル暴のおっさんだという風に(頭の中に)出て来た。それがだんだん、いろんな事件を通すことによって佐江自身も、なんか男臭さがより強くなって、面白いキャラクターに育っていったという気はしますね。
登場人物のフルネームを書かない理由
—たぶん読者の方も聞きたいと思うので伺います。大沢さんの作品って登場人物の下の名前をお書きにならないことが多いですよね。
そういやそうだね。鮫島もそうだ。全然考えてないだけなんだよね。
でも(「佐久間公」シリーズの)佐久間なんかはフルネームを出しているし。でも(「魔女」シリーズの)水原も姓だけか。言われてみればそうだ。
なんだろう。名前というのはある種、記号じゃないですか。つまり名前に頼らずキャラクターがバンと読者の頭に入ってくればいいと。
—なるほど。おもしろい。
こういうことを言うと怒られちゃうかもしれないけど、今の新本格系の人って、これなんて読むんだよ、みたいな名前の登場人物すごく多いじゃない。「何とか院何とか」みたいな。
そういうのを読むと、いや、名前って、べつに一つのレッテルであって、キャラクターじゃないよね、と思うわけですよ。キャラクターが立てば、名前なんて「ア」でも「カ」でもいいんじゃないの?という。
—でもそこに拘られる方もいらっしゃるわけだから、創作法が全然違うんでしょうね。
そうだね。まして僕は手書きなんでね。あまり画数の多い名前って書きたくないのね。四文字とか五文字とか。
(「新宿鮫」シリーズの)鮫島なんてけっこう後悔してて、すげえ画数多いなと思いながら書いてる。編集は、「『〇の中にさ』と書いてくれればいいです」って言うんだけど、やっぱりそれじゃ、書いてる気にならないというのがあって。
佐江なんて、わりと書きやすいわけですよ。ひどいのなんて、僕は前に(『Kの日々』で)「木」って書くだけで「モク」という主人公も出している。書きやすいだけという理由で主人公の名前付けているんでね(笑)
今ね、『北の狩人』をコミックにした『雪人 YUKITO』という漫画があるんです。もんでんあきこさん、という漫画家さんが描かれたものなんですけど、去年からバカ売れしていて。
—そうなんですね。それはすごい。
もんでんさんが『北の狩人』を読んで「すごく面白かった。漫画にしたい」と言ってきてくださって。「多少、変えていいですか?」というから、どうぞ好きなようにしてくださいと。全五巻が電子書籍にもなったんですけど、アマゾンで一巻目を無料にした途端に火がついちゃったみたい。
ある日、事務所から電話かかってきて「なんかものすごくいっぱいお金が振り込まれたんですけど」って。なんだそれって言ったら、電子書籍の『雪人 YUKITO』の原作印税だったのね。それこそ何百万という金額が……。自分の電子書籍だってそんなに売れたことがねえのに(笑)
—いやいやそんな(笑)。でも、漫画が売れた理由の中にはキャラクターの力が強いということもあると思いますよ。
あのね、宮本っていう『北の狩人』に出て来るやくざがいるんですけど、もんでんさんはその宮本がすごく好きで描きたかったと言ってくれた。
実は宮本って、亡くなられた俳優の竹脇無我さんがすごく好きで。人を介してお会いしたら、「自分は役者を何十年もやってきて、演(や)りたいと思った役を見つけたことがなかった。ところが初めて、これはどうしても演りたいと思ったのが宮本という役だ」と。
竹脇無我さんって俺の印象では清潔感漂う人だったから、えっこの人がやくざを演りたいの?と思ってびっくりした。ちょっと意外だったんだけど、宮本というやくざに、けっこう肩入れする人が多いみたいですね。
一歩先は自己満足、半歩先を行く物語を
—あえて物語と言います。大沢さんの作品って、読者の想像力を支持されるというか、根本で読者を信じていらっしゃると思うんですよ。読者が想像力で物語をいくらでも増幅してくれるということを。
うん。そうだね。その上であともう一つは、読者の想像どおりにしてはいけないとも思ってます。
あまりにかけ離れちゃダメだけど、まったくその通りに動いてもダメだろう。だからちょっとズレるというか、半歩先。そういう動かし方をするのがやっぱりいちばん読者の喜ぶことだろうとは思いますね。
若い頃によく言われたんです。ベテランの編集者から「あんたは一歩先を行き過ぎている。半歩にしなさい」って。つまり、あんたがカッコいいと思うものは(読者の想像の)先を行き過ぎていて、多くの人が理解できない。半歩であれば、理解できるはずだと。
最初の頃は、そんな半歩先なんてダセぇなと思っていたけど、ある時からそうじゃないなと。一歩先というのは自己満足になりがちで、半歩先というのは読者がついてきてるよねって、振り返りながら先を歩く感覚なので、そっちの方がいいなという感じがしましたね。
—それは、ある程度キャリアを積まれたからこそ生まれた考えですか?
当然そうですね。一方で、多くの読者を掴んでからは、半歩先でもその半歩が曲がり角の先にあってもいいんだとわかるようになった。
—なるほど。つまり、読者からは一度見えなくてなってもいいということですか?
そうです。昔は直線の半歩先じゃなきゃダメだと思ったんだけど、今は見えなくても読者は信じてついて来てくれるから、と思える。この角を曲がればいいとわかっていれば、必ず曲がってくれる。
最初は置いてきぼり感を味わわせても、そこから姿が見えた時に読者はむしろ爽快感を感じるのだと。そういうふうに思ってもらえるということも、ある時にわかったというところがありますね。
—それは物語を俯瞰的に見ているときに感じるのですか? それとも実際に原稿用紙に向かっているときに?
書いているときです。書いているときに、いやこれわかるかな、これ大丈夫かな、と思うこともあります。たとえば今回『冬の狩人』でも、初めは田舎県警の新米刑事の話が出てきて、えっこれ狩人なの?ってなると思う。でも、そこで佐江が出て来た瞬間に、「えーっ、なにこれ?」ってシリーズの読者は思ってくれるわけじゃないですか。
こちらが後ろを気にしながら歩いている限りは、とにかく曲がり角をくねくね曲がっていても構わないと。そういう自信はありますよね。
写真/庄嶋與志秀
冬の狩人
累計230万部を超える大人気「狩人」シリーズ!! その最新作『冬の狩人』を紹介します! 3年前にH県で発生した未解決殺人事件。行方不明だった重要参考人からH県警にメールが届く。新宿署の刑事・佐江の護衛があれば出頭するというのだ。だがH県警の調べで佐江は、すでに辞表を提出していることが判明。“重参"はなぜ、そんな所轄違いで引退間近の男を指名したのか? H県警捜査一課の新米刑事・川村に、佐江の行動確認が命じられた――。