話題作『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』(中川右介著、幻冬舎新書)からの試し読み。
第四章 続く余韻
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防衛庁
六時半、防衛庁本館六階の大会議室は入る人が厳重にチェックされていた。
内海事務次官とその前任の小幡前事務次官をはじめ、内局の各局長、そして統合幕僚会議議長をはじめとする陸海空の各幕僚長以下の自衛隊の幹部たち二百名あまりが集まって来た。
三島事件についての重要な会議が開かれていたのではない。
小幡前事務次官の送別パーティーだった。
「週刊新潮」一九七〇年十二月十二日号によると、中名生(なかのみょう)正己広報課長は、
《小幡事務次官のお別れパーティーは、前々から決っていたことなんですよ。“三島事件”のほうはまったくのハプニングですからね。あんなハプニングに左右されることは全然ないと思います》と語った。
そして広報課長のコメントはこう結ばれる。
《あの事件で、自衛隊にクーデターの起るのを心配されたムキもあると思うのですが、しかし、あのパーティーは、われわれにはそんな気は毛頭もないという間接的な表現になると思いませんか。まことに平和を象徴していて、“優雅な”パーティーじゃありませんか。》
出席していた統幕会議事務局長の谷村弘陸将は、パーティーで三島事件について話題にならなかったといえば嘘になるとして、事件についてこう語る。
《自衛隊の受止め方を一言でいえば、向うが勝手にはいって来て、こちらは迷惑を受けた。これに尽きるでしょうね。ただ、そこに国民一般のご批判があるとすれば、それはあの事件に至るまでの、『楯(たて)の会』と自衛隊の結びつきについてのご批判でしょうが……》
この国防組織は、戦争というハプニングが起きても、某国が「向こうから勝手に入って来て」も、送別会の予定があれば、それを優先するのであろうか。
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昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃
一人の作家がクーデターに失敗し自決したにすぎないあの日、何故あれほど日本全体が動揺し、以後多くの人が事件を饒舌に語り記したか。そして今なお真相と意味が静かに問われている。文壇、演劇・映画界、政界、マスコミの百数十人の事件当日の記録を丹念に追い、時系列で再構築し、日本人の無意識なる変化を炙り出した新しいノンフィクション。