体は椅子に置いたまま、私は彼女の中に入った
駅の方に人だかりができていた。
消防車や救急車が何台も集まり、パトカーも来ていた。
ビルの脇にある小さな駐車場の周りに黄色いテープが張られ、ただならぬ空気が漂う。
私は犬を抱いたおじさんの後ろからその様子を眺めていた。周りの人たちが何か言っている。どうやら誰かがビルから飛び降りたらしい。あとで聞いた話だが、このビルのオーナーと不倫関係にあったOLが腹いせに飛び降りたということだった。
その一週間前くらいだろうか。
私はその駅のそばにあるチェーンのカフェでぼーっとしていた。雨が降っていた。春の雨だった。梅雨にはまだ入っていなかった。4月か5月。
夜10時までその店は開いていたので、近くに住んでいた時はよく利用していた。オフィス街にあるため、夜8時半にはもう人はまばらだった。そに日も近隣住民が5、6人いるだけだったが、一人だけ、オフィス街で働く女性がいるように感じた。たぶん、この街に住む人ではない。ぼーっと窓の外を眺めていたので気になった。
その人はたぶん、疲れていた。
歳は27か8くらい。
窓の外の雨を見ているようだった。雨に濡れた街を眺めているようだった。絵になるな、と思った。ああ、絵になりますよ、と私は心でつぶやいた。そのつぶやきと同時に歌の盗人は小さなメモ帳に何やら書き始めていた。そりゃそうだ。これは歌以外の何ものでもないのだから。言葉はない。ただ、その人の「体の形」がもう歌だった。
顔を見て、ため息を、7メートルは離れていたが、彼女のため息を、私は体の触覚を伸ばしてぺろっと絡め取った。自分の腕毛が濃いのは、このためにあるのかもしれない。目には見えないが、この腕毛は、昆虫の触覚のような役割を、もしかしたらしてくれているのかもしれない。そうだとしたら夢がある。
私は強引に彼女の心を書いた。いや、彼女の中に入った。自分の体を椅子に置いたまま、抜け出し、旅を始めた。
ねえタクシー この街でいちばん
綺麗なところへ 連れてって信号が変わって この体
シートに埋めて最近なんか熱くなれなくて
もうそういう歳なのかなだからこの雨も落ち着くの
まだちっちゃな紫陽花ながめていいかげんあの人に見切りをつけなきゃ
後ろ髪引かれ 振り向いてみても
過ぎた季節と死んだ太陽だけ前野健太「ねえ、タクシー」
時間はかからなかった。夜の街を走った。私は燃えた。強烈なフラッシュを焚いて風景を燃やし続けた。車は夜の火になった。
私の靴は何でも知ってる。知られたくないことも、知ってる。あの人の隣に並んで歩いた。私の唇は季節を越えた。私にも捉えられない生き物のように。永遠と交信する唯一の器官のように。
何をしてきたの 誰と会って来たか
私の靴だけが 物語愛を語った キスをした
私の唇だけが 芸術みたい
夜を燃やした彼女は一週間後、ビルから飛んだ。愛の飛翔。鳥になった。どんな景色が見えたのだろう。
あとから聞いた話だが、ビルから飛び降りたOLは下に停めてあった車の上に落下。車から出ようとしていたサラリーマンとぶつかり、二人とも奇跡的に助かったということだった。
飛び降りたOLと夜のカフェにいた女の人が同じ人物だとは限らない。ただ、私の中では、つながっている。歌の速度が、似ているからだ。
この歌を歌う時、私は三拍子のリズムに合わせて、少しスキップする。靴を地面で鳴らす。また来る季節よ、ほどよく狂わせてくれ、と。
WWW 10th Anniversary「GO TO 前野健太」開催!
日程:2020年12月30日(水)
会場:渋谷 WWW https://www-shibuya.jp/
出演:前野健太
時間:OPEN 18:30 / START 19:00
料金:
“会場でGO TO”(入場チケット):¥4,500(税込/自由席/ドリンク代別)
“ワンカメでGO TO”(配信視聴チケット):¥2,000(税込)
※購入者には特典クーポン付き(詳細後日発表!)
チケット:
<先行受付> ※入場チケットのみ
受付期間:12月3日(木)19:00~12月6日(日)23:59 ※抽選
受付URL:https://eplus.jp/maenokenta-www/
<一般発売> ※入場チケット&配信視聴チケット
発売日:12月12日(土)10:00~ @ e+
問い合せ:WWW 03-5458-7685
公演詳細ページ:https://www-shibuya.jp/schedule/013401.php
作詩入門
街の詩情を歌い続ける、シンガーソングライターの前野健太による歌ができるまで。
どんなとき言葉は生まれてくるのか? 言葉はいつ歌になるのか?