僕はこの夏で四十七歳になった。
僕が誕生した頃の日本の世相は、まことに明るい気運に満ちていたと伝聞している。新幹線が走り始め、高速道路が整備され、高い建物や港湾や空港、地下鉄やモノレールもどんどん作られた。そしてまもなくオリンピックを控えた七月は暑い夏で首都圏は水不足になっていたそうだ。
それから四十七年。僕は兵庫県宝塚市で誕生日を迎えた。
ここで息子を育てることに専念しながら、専業主夫の生活をしている。僕のパートナーは細川貂々という漫画家。彼女が仕事に専念し、一家の経済を支えてくれている。
こうなるまでには紆余曲折あったものの、今三歳六ヵ月になる息子が誕生してからは、ほぼ一貫した役割分担になっている。もっとも当初はもちろん息子が誕生した千葉県浦安市でこうした生活を続けていた。
今年、本当に唐突に東日本大震災のあと(約一ヵ月不自由な暮らしに耐えていたのだが)、西日本に移り住むことになったのだ。
震災以後の我が国の在り方を見ていると、不思議な困惑を覚える。
地震、津波、原発事故で大きな被害を受け、復旧ままならず。特に原発事故の事態はまだ拡大している状況だと思われるのだが、混乱らしい混乱は起きている様子もない。
何か、それを起こらなかったものとして、震災前の生活を以前のまま続けようという強い意志を感じる。しかし、それはもう不可能なことだと思うのだが……。
四十七年前若々しく発展をしつつあった日本と日本の国民が、今は老熟してしまったということなのだろうか。何か災厄が起きても関係ない。これまで通りの生活を変えたいとは思えない。そこには、老い先短い身なのだから放っておいてくれ、というような頑迷さも感じる。
とはいえ、国家国民の気分とは別に、コドモを育てている身としては、そんな気分に巻き込まれるわけにはいかない。コドモには未来がある。そこにある災厄に目をつむって、コドモの未来を摘み取ってしまうようなことはできない。もちろん、置かれた立場や、それぞれに降りかかった危険というのには差異はある。僕らの場合は、住んでいた地域の液状化やインフラ破壊に続き、居住地のすぐ側にアンタッチャブルな私有地が存在し(いわゆるゴミ屋敷的なものだ)、まあいろいろそこに留まり続けることの懸念が大きかった。それゆえ、震災と原発事故から日をおかず、僕らは転居に踏み切った。自分たち夫婦だけだったら、そんなことは考えなかっただろうが、コドモを育てるということはそういうことなのだと思う。
コドモというのものは、小さくて弱くて、環境や毒物の影響をすぐ受けてしまう。親が手をかけ、守ってやらなければならない。だが、実際には僕らがそんなコドモから大きなエネルギーをもらっているとも言える。コドモと僕らは持ちつ持たれつの関係だ。
転居先に選んだ西日本での暮らしは思ったよりもずっと気楽だった。僕自身、小学校六年生の二学期から、中学校の三年間を終えるまでの間、大阪府北部の千里ニュータウンに暮らしたことがあったから、関西文化と地理に馴染みがあったということもある。
三十年ぶりに訪れた関西各地の思い出の地。懐かしい再会が幾つもあった。
しかし、久しぶりに迎えることになった関西の夏はまことに暑い。体力をじわじわと奪っていくような昼間の「うだるような暑さ」にクマゼミの騒音のような声が添えられている。暑さは夜も続き、じっとりと汗をかきながら悪夢を見続けてしまう。我が家では相棒が呼吸器管に弱点を抱えているので、イグアナ亡き後の今でもほとんどエアコンを使用しないようにしているからそうなるのだが。
まあ、猛暑は西日本だけの現象ではなく、東日本でも例年相当のものを体験している。我が家の場合、昨年はマンションの大規模改修工事と重なってしまったため、かなり体調を崩したりもした。それに比べれば、耐えうるものではある。
そんな暑い中、たぶん大阪平野では一番暑いと思われる堺市にちょくちょく遊びに訪れた。息子のお友達の祖父母宅がそこにあったのだ。つまり僕たち夫婦のママ友のご両親宅。
そこに遊びに行くと、息子のお友達のイトコたちもそこにいた。
うちの息子には、実際にはキョウダイもなければイトコもいない。少子化の現在では珍しい存在ではないが、スーパーひとりっ子なのである。僕らのコドモ時代の価値観で考えると「かわいそうな存在」だったのだ。でも、この夏はそんな息子に義兄弟ならぬ義イトコができた!
そして、義祖父となってくれた息子の友達のおじいちゃんは(おじいちゃんという響きには似つかわしくない若々しい方だが)、野山を駆けて自然観察をするのが大好きで、うちの息子を含む孫たちを川に連れていって遊ばせたり、犬の散歩をまかせたり、いろいろと遊んでくれたのだった。彼の、自分がまず楽しくて仕方ないという自然体な様子を見て、僕なども子育てとはこうあるべきかと鑑にさせていただきました。
息子はカエルを追いかけ、魚をすくい、ザリガニや貝に初めて触れ、しまいに田んぼに背中から落っこちた。三歳六ヵ月の息子にとって、それが成長した後の人生の最初の記憶になるのではないかと期待している。
さて、そんな暑さにも負けず、堺に行ったり、京都や近江や和歌山にも行ったり、はたまた地元で甲子園の高校野球をじかに観戦したりと、とても楽しい「夏らしい夏」を過ごしていた我が家だが、秋にも幾つか収穫がある。
まず、僕のこの連載、第31回目から60回目分までをまとめた書籍が刊行される。本の題名は『パパ、どうしてお仕事いかないの?』9月9日発売、幻冬舎刊1365円である。
前作『育児ばかりでスミマセン。』では、男親でありながら育児担当を引き受け、オッパイの出ない男ママのような混乱した育児ぶりを書き綴っていたが、今作では週三回保育園に息子を預け、今まで知らなかったコドモとコドモを取り巻く社会にデビューしたパパの世界を書いている。もっとも、途中で今年2011年の3月11日がやってきて、いろいろ悩んだ末に、これまで息子を育てていた地を後にして旅立っていく経緯も書かれている。子育てというのは、そんな不意の出来事も含んでいるんだろう。
そして、相棒の書籍では『7年目のツレがうつになりまして。』というものも出版される。これも9月9日発売、幻冬舎刊、定価1155円だ。これは『ツレがうつになりまして。』『その後のツレがうつになりまして。』に続く本となっていて、病気を経たのちの僕と相棒の暮らしぶりを描いた描きおろしのコミックエッセイだ。楽しいこともあり、悲しいこともあり、つらいこともあり、愉快なこともあったが、どうにか今もまた生きている。そんな本だ。
さらには、あちこちで連載していた相棒の作品もいろいろ書籍にまとまって出版されるので、そうしたものもチェックしてみてください。婚活の本とか、子育ての本とか、そういうのもぼちぼち出版予定があります。
そして、僕たちの創作という仕事の中では一つの節目になっているのが、今年の10月8日に東映系で公開される佐々部清監督の手による映画版『ツレがうつになりまして。』である。宮崎あおいさんを主人公に迎え、僕の相棒の視点から『ツレうつ』の世界が描かれる。もちろん僕の役である堺雅人さんもチャーミングで、つらい場面でもクスリと笑ってしまうようなユーモラスな演技に徹していて、それでいてリアリティもある。
今ではこの映画の取材やイベントのスケジュールを中心に生活が仕切られている感もある。やっぱり映画って、多くの人が関わっている大きなイベントなんだなあと感じた。
落ち着いた語り口で、押し付けがましいことの一切ない映画なので、いろいろな頑張りに疲れてしまった人も、ぜひこの映画を観ていただきたいと思います。
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ツレ&貂々のコドモ大人化プロジェクト
『ツレがうつになりまして。』で人気の漫画家の細川貂々さんとツレの望月昭さんのところに子どもが産まれました。望月さんは、うつ病の療養生活のころとは一転、日々が慌しくなってきたのです。40歳を過ぎて始まった男の子育て業をご覧ください。