12月9日に発売された『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(宮崎智之著)は、世界を平熱のまま情熱をもって見つめることで生まれました。アルコール依存症や離婚を経験しながらも、もう一度、日常の豊かさに立ち戻ろうと決心する——。今回、ご寄稿くださるのは、小説『明け方の若者たち』を今年発表したカツセマサヒコさん。感情のグラデーションを丁寧に描くところにまず注目してくださいました。
何者でもない自分を少し許すための処方箋
人によって異なるのかもしれないけれど、僕は仕事や人間関係、その他あらゆるもの、つまり生きることに対して、ものすごく頑張りたい日と、全くやる気が沸いてこない日がある。その振り幅は、朝起きた時点で決まっていることもあれば、一通目のメールを返し終えた瞬間にわかることもあって、コントロールしようがない。
上昇志向の塊となり、ライバルをすべて蹴散らし、誰も観たことのない景色を観たい。その野心は紛れもなく、僕の内側から生まれてきたものだ。その一方で、もう全てを諦め、郊外の小さな商店街で大判焼きを売るバイトをしながら明日のことなんて考えずに暮らしたい、と思うのもまた、自分の本音として確かに存在している。
どちらも偽りなく、僕自身だ。同じように、きっと少なくない人が、テンションだか、モチベーションだか、よくわからない感情の波に翻弄されながら生きていると信じたい。
それなのに現代社会に並ぶメディアやコンテンツときたら、「頑張れ」に全振りしているか、「逃げろ」に全振りしているかで、随分と極端ではないか。人の気分や感情って、もっと繊細で、いい加減で、グラデーションになっているものですよ。
と、ずいぶん長い前置きを書きたくなったのは、まさに本書がそのグラデーションを丁寧に描いている、人生そのもの、人間そのもののようなエッセイ集だからである。
そもそも『平熱のまま、この世界に熱狂したい』というタイトルが、そのグラデーションを端的に表している。「熱狂」するほどの心の昂りを、「平熱」のままで迎えたいと謳うそのタイトルは、まさに人の心のグラデーションそのものとも言える。ずっと平熱ではつまらないのです。ずっと熱狂しているのも、疲れるのです。
具体的に言えば、第1章「ぼくは強くなれなかった」は、“何者かになりたい”という淡く漠然とした感情に立ち向かう筆者の姿が描かれ、その感情との付き合い方について読者と併走するように語られるが、第3章「弱き者たちのパレード」では一転し、筆者本人を含めて、頑張らない、頑張れない人間たちが伸び伸びと(ときにひっそりと)暮らしている様子が描かれていく(個人的にこの第3章が、魅力的な登場人物と筆者の穏やかな視線に溢れ、とても好きなのです)。この高低差を、違和感なく読ませる構成こそが本書の大きな魅力と言える。
また、一読した際に強いインパクトがあったのは、第2章「私はそうは思いません」と、そこから続く「35歳問題」だ。「私はそうは思いません」は、緊急事態宣言下で第一子の出産を迎えた筆者が妻のいる大阪まで移動すべきかどうかを悩む心の葛藤が描かれており、2020年に刊行された書籍としての色を強く残す。不要不急の移動に対して自粛を求められる中、「出産」は果たしてどのような扱いになるのか。本音と建前、社会的立場と個人の感情の狭間で揺れる決断は、同様の経験をせずとも伝わる強い共感性を放っていた。
「私はそうは思いません」が第一子の「出産」のエピソードならば、その直後に描かれる「35歳問題」は、筆者の父の「死」から始まるエピソードだ。
“35歳以降の人生は、決してなしとげなかったが、しかしなしとげられる《かもしれなかった》という仮定法過去の亡霊を背負い、一緒に生きていくことになる”という本文から、人生の可能性が狭まり、後悔が強まる年齢として35歳を取り上げていくことになるが、その一方、本書にたびたび登場する吉田健一の随筆からの引用により、 “歳を取るということは、自分の限界がはっきりすることであって、そのぶんなにかするにあたり、狙いがさだめやすくなる”という非常に前向きな考えも得られる。
生と死。一見対極の関係に思える2つのエッセイによって、全編を通してうっすらと描かれていた筆者の死生観は、よりはっきりと滲み出すことになる。そもそも、本書の冒頭に引用されたフィッシュマンズの『MELODY』(めちゃくちゃ名曲です)も、“すぐに終わる喜びさ”と歌っているし、ヴォーカルの佐藤氏自身が、33歳という若さで亡くなっている。
時間や人生に対する考察をミヒャエル・エンデや吉田健一の引用を用いながら説いたり、「凪」という言葉から無風状態の人生を想起したり、そこから「実感」を得ようとしたりと、実は各話が生きること、生活することについて真摯に向き合った結果生まれてきたものなのだと納得することができる。
本作の著者はアルコール依存症を起因とする急性膵炎で入院したこともあるほか、何度か病院での手術や治療をしてきたことも本書に描かれており、健康というものに人一倍想いを巡らせてきたのだと思う。その結果、何者かになりたいという果てなき欲求には立ち向かう一方で、日々の何もない日常からも価値を見出そうと努力し、それに成功している。
見つめるべきものは無闇やたらに広がった可能性よりも、目の前の生活そのものなのかもしれない。何者かになりたいと燻(くすぶ)る人にこそ、本書を鞄に忍ばせてほしい。生きづらさの正体が見つかることで、現状の自分を少しは許してあげることができるのではないだろうか。
平熱のまま、この世界に熱狂したい
世界を平熱のまま情熱をもって見つめることで浮かびあがる鮮やかな言葉。言葉があれば、退屈な日常は刺激的な場へといつでも変わる。
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