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ツレ&貂々のコドモ大人化プロジェクト

2011.11.01 公開 ポスト

その65

トイレトレーニング集中講座望月昭/細川貂々

 映画『ツレがうつになりまして。』は、ご存知の通り僕をモデルにした相棒の漫画が原作だが、十月八日に公開され、まずまず順調な興行を続けているようだ。映画に関しては、撮影中から公開までの、誕生から巣立ちまでをハラハラしながら見守っていたが、ここに来て僕らの手を離れ、勇猛に飛び立ったように思える。
 公開までは、僕らも月に一回のペースで首都圏に足を運び、取材や宣伝の仕事もこなしていた。そのせいで息子の移動も多く、一つ所に長く留まれないせわしい生活が続いていた。そして、今秋ようやく映画の公開に至り、「かあちゃん」の四十九日法要も済んで、関西に戻ってきた。春先に関西に移動した時点では、まとまった時間があると、電車に乗ったり観光に回ったりしていたのだが、さすがに疲れたので出かけないようにする。
 まだぽつぽつと、取材はやってくるが、それさえこなしていれば、こちらからは外出しないで済んでいる。さて、そうなると、しばらく棚上げにしていた問題をようやく解決できるかもしれない。

 棚上げしていた問題。それは、息子のトイレトレーニングだ。昨年の八月くらいから積極的に立ち向かおうとしていたのだが、部屋や建物の工事でたびたび水道が止められたり、トイレ自体も交換したり、その後も誰かしら体調を崩している時期が続いたり、とどめは震災と震災後の移動中心の生活。約一年以上も先送りにされてしまっていた。
 その間、息子の方はゆっくりなりにも頭、体とも成長し、頭のほうでは大人が語る理屈を理解するようになってきた。歯も自分で磨くし、ケガをすれば「おくすりぬって」と言うようにもなった。体のほうでは、トイレのドアノブに手が届いて、それをひねって開けるということができ、自分で便器に乗ることができるくらいの脚力もついた。
 ここまで来たのだったら、もうすんなりオムツが取れるという時期だろう。年齢的にも三歳九ヵ月。オムツ取れてないなんて、ちょっとハズカシイ。
 だけど、息子はあいかわらずだまってオシッコをオムツにし、押入れに潜り込んでウンチをする癖がついている。親のほうが言うだけ「ウンチやオシッコはトイレでしなさい」とやってても「ボクは、いいんだよう。あかちゃんだから、いいんだよう」と言い抜けてしまう。
 相棒はそれを聞いて「もうおにいちゃんなんだから、ダメ」と怒ったし、僕も「あかんあかん。はずかしいで」と言い続けていたのだが、そう叱りながらも、黙ってオムツを交換してしまい、親子共々スッキリしてしまうというのが、どうやらいけないらしい、と漠然と思い至っていた。

 なので、ようやく一週間、二週間と自宅に滞在できる余裕ができた今、思い切って革命的な進歩をしなければならないだろう。そう考えて、使ったり使わなかったりしていた三層構造の布製「トレーニングパンツ」を全部並べてみた。三枚は「きかんしゃトーマス」の柄。三枚はノーブランドで飛行機や車の模様がついている。今まではこれにパッドを取り付けて使ってみたり、また紙製のパンツ(パンツ型紙オムツ)に戻ってしまっていた。どうも覚悟の足りない使い方に終始していたのだ。
 しかし、いよいよトイレトレーニングの集中講座を始めると決心したので、もうパッドも使わない。直接はいてもらう。三層構造とはいえ、オシッコをたっぷりすると外に漏れ出てくるし、ウンチなんかしたら周囲が臭くて大変だ。
「な、今日からおにいちゃんや。トイレでせえへんと大変なことなるで」
 僕は息子にそう言い聞かせたが、息子はなんだかわかってないようだった。

 さて、紙オムツをやめて、布製のパンツをはかせてみたところ、いろいろ大変な事実がわかったのであった。最初の三、四日ほどは今まで通り垂れ流しだった。それも、食事中とかテレビを見ながら寝転んでオシッコをしてしまったりする。テレビを見ているときに寝転ぶなと言い聞かせてあるのだが、すっと寝転んで腹ばいになっているのを見過ごしていたら、足元につーっと水溜りが出てきたのには腹が立つより吹いてしまった。
 なんだよ、今まで寝ながらオシッコしていたなんて、信じられん!
「ほら、オシッコ出たで。あかんで。トイレでするんやで」
 いちいち言い聞かせて、トイレに連れていく。漏らした周囲の掃除も大変だし、服はいちいち着替える羽目になる。トイレの使い方だけはすぐに覚えて、コドモ用の便座を自分で置いてよじのぼり、済んだと思ったら勝手に水を流し、最後に蓋を閉めて、蓋の上によじ登って、手水まで使ってタオルで拭いている。そこまでできるのに、最初のところがダメなんである。
 そんな状況なので、コドモの価値観を変えるためにガミガミと叱ってみた。チンチンをつねったりもした。お尻をぺちっとぶったりもした。一、二度泣かせてもみた。まあそれで十分だろうと思ったので、そのあとは「あーあ、恥ずかしいな。恥ずかしいな」と言うだけにして、服を替えてやることにした。しかし、いっこうに改善しないので、僕はどうしたもんかと不安になった。
「チート君はもう、おにいちゃんや。がんばれ、がんばれば、できるで。みんなできるんやで。××ちゃんも、○○ちゃんも、トイレ使うとったやろ」
 と言うと、息子は、
「うん、ボク、みてたよ」
 と余計なことを言う。お友達がトイレを使うのを、しっかり真後ろから見せてもらっていたのに、自分は関係ないやと思っていたようなのだ。
 それでも、四、五日目には「トイレトイレ」と自分で足を運ぶようになった。
「そうか、トイレか」
 と慌てて駆けつける。用心しながらズボンとトレーニングパンツを脱がせると、床にジャーッとオシッコが落ちる。慌てて掃除をする。息子は自分でトイレにしばし腰掛けている。でももうオシッコは出てしまっているので、新たに出ることはない。
 ウンチにしても同様である。ウンチだとちょっと大変だ。
 どうも、出てしまってからトイレに座る、という図式でまず頭の中に入ってしまったらしい。一歩前進したが、ここで止まってしまうと大変だ。
「チート君、それぜんぜんちがうから!」
 と言ってみるが、なんか理解してないらしい。ウンチがついたままの状態で、いきなり便器に座られて、被害が広がってしまったこともあった。
 この「出たらトイレに行って座る」状況が四、五日続いたので、ちょっとまずいなと思った。そこで本人の様子をよく観察して「そろそろ出るな」と思ったときにトイレに連れて行くようにする。これも当初は「でないよう、でないよう」と言って逃げ回りながら漏らしたり、本人もする気満々だったのに一滴も出なかったりと、一筋縄ではいかなかったのだが、うまくドンピシャでトイレに座って上手にできるという経験を経て、まるでノーベル賞を取ったかのように褒められる。
「うわー、ちーと君、すごいなあ。すごいなあ。ハハそんけいしちゃうよ」
「よーし、もうおにいちゃんや。えらいなあ。やったなあ。ええぞええぞ」
 その後は、一日一回成功、二回成功、成功率三割、五割と上がっていく。そして、集中講座約十日目で、一日の失敗は一回程度というところまで成果が上がっている。

 もっとも、親の方からすると、集中講座の間はコドモから目が離せない。失敗している間は、それが永遠に続くような気がしてしまう。今まではどうしても一週間以上ルールを持続することが不可能だった。今回は一ヵ月程度を覚悟していたが、さすがに三歳半を過ぎているので集中特訓の成果がすぐに出たが、途中の段階の汚しまくりは大変だ。やっぱり勇気と思い切りと、ある種の諦め(汚されても仕方ない)が要ったなと思ったのである。
 今もまだ、息子は自分で勝手にトイレに入ってオシッコをするのは良いが、事後確認に行くと便器の外に出たものの量のほうが多いというような状況もある。便器に乗るためのステップ台を使って、トイレの照明をつけたり消したりすることも覚えてしまったようだが、オシッコや手水を使ったあとの水分のついた手で触って感電しないかというような心配も。洗濯物もごっそり増えて、その都度洗って干していても追いつかなかったりもする。ウンチのついたトレーニングパンツを便器の中で洗っているときは、布オムツと変わらないなあと思ったりもした。

 この十日で息子はトイレトレーニングの意図をほぼ会得し、昼間はオムツなしの生活をしている。夜は紙オムツをはかせているが、それもこの三日は濡れた形跡がない。朝起きると最初にトイレに向かっている。十日前にはまったくできなかったことが、今はほとんどできるようになったのである。コドモってのは、やっぱり凄いなあと思う。
 しかし、コドモを育てるときに、コドモ相手になだめたりすかしたり、怒ったり励ましたりして、その潜在力を開花させるというのは、なかなか疲れることである。
「きっとできる、ちゃんとできる。できたらえらい。できるはずや」
 と言い聞かせ。
「がんばれ、がんばれ、ほーらがんばれ」
 と励まし続け。
「失敗してもうたな。あかんな。でも次はだいじょうぶや。またがんばれ」
 と失敗しても懲りずにまた励まし続ける。
 でも、それって僕がうつ病のときにやられたら、全部撃沈したような対応だなと思うのでもある。
 しばしば、夫がうつ病になったとき、妻が母性的な対応をしたせいで、うつ病が悪化してしまったり、激しく衝突して離婚に至ってしまったりという事例を見聞きする。そうした家庭の場合、子育てが夫のうつ病に先行していることも多そうだ。子育てがすでに終わっている場合もあるが、きっと子育て担当パーソンだった奥さんが、病気で頼りなくなったパートナーに対して、つい使い慣れたスキルを使ってしまうことによるものかもしれない。
 我が家の場合は、幸いにしてそういうことにはならなかったのだが、それは相棒の適切な対応にもあったと周知されている。
 我が家の場合は、相棒に任せると一緒に遊んでいるだけでコドモの能力を引き出してくれない。相棒はぜんぜん母性的じゃないのだ。というか子育てには向いていないように思える。きっと、それが良かったんだろうな、と思う。
 コドモは、うつ病の患者とはまったく違う。まあ、いわば「できるくせに怠けている」と見なしても良いような形で、本人も能力を使う準備ができていてエネルギーに溢れている。能力の使い方がうまくできてないだけなのだ。だから、「へこたれるな、腐るな。ぜったいできる。ほら大丈夫。やってみよう」と畳みかけるのがすごく効果がある。
 本人が勝手に成長しているのであって、親はタイミングと方向付けを添えているに過ぎない。だから、闘病を支えることに比べるとずっと楽なのかもしれない。でもガミガミやるのはやっぱり疲れるので、子育てってやっぱりいろいろ大変だ。できれば一人きりでしたいことではない、と思う。

 今回のトイレトレーニング集中講座は、なかなか効果的に進んだが、僕一人では無理だったかもしれないと思う。この時期、相棒の仕事も一段落して、それなりに役割を分担してくれたのでスムーズに行ったのだった。そして、家族以外の方たちにもずいぶん助けていただきました。この連載担当の幻冬舎の竹村さんも、息子のお漏らしに立ち会わされてしまった。息子は竹村さんに憧れているので、憧れの人の前で失敗してしまったこともまたいいモチベーションになったようです。 

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ツレ&貂々のコドモ大人化プロジェクト

『ツレがうつになりまして。』で人気の漫画家の細川貂々さんとツレの望月昭さんのところに子どもが産まれました。望月さんは、うつ病の療養生活のころとは一転、日々が慌しくなってきたのです。40歳を過ぎて始まった男の子育て業をご覧ください。

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望月昭/細川貂々

望月 昭
1964年生まれ。幼少期をヨーロッパで過ごし、小学校入学時に帰国。セツ・モードセミナーで細川貂々と出会う。 卒業後、外資系IT企業で活躍するも、ある日突然うつになり、闘病生活に入る。2006年12月に寛解。現在は、家事、育児を一手に引き受ける。著書に『こんなツレでごめんなさい。』(文藝春秋)がある。

細川貂々
1969年生まれ。セツ・モードセミナー卒業後、漫画家、イラストレーターとして活動。夫のうつ闘病生活を描いた『ツレがうつになりまして。』がベストセラーに。結婚12年目にして妊娠が発覚。現在は、夫と息子、ペットのイグアナたちと同居中。その他の著書に『その後のツレがうつになりまして。』『イグアナの嫁』(共に小社刊)『どーすんの?私』『びっくり妊娠なんとか出産』(共に小学館)など多数。

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