「大学生二人を拉致した。攻撃を止めなければ命はない……」。首相官邸に届いたテロリストからの脅迫電話。ところが首相はそれをはねつける。国から見放された賢一と光太郎は、無人島上空からパラシュートをつけて突き落とされる。テロリストと首相への復讐に燃える賢一は……。息をもつかせぬノンストップ・サバイバル・サスペンス、『パラシュート』。中高生から圧倒的人気を誇る山田悠介さんが贈る本書より、物語の冒頭をご紹介します。
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ダイヴ1
この日の東京の気温は三九度まで上昇していた。予報よりも遥かに暑く、各地の海岸やプールには人が殺到し、賑わいを見せている。逆に、街中をせかせかと歩くサラリーマンの表情は歪んでいた。全身汗だくになりながら、それでも懸命に働く。裏で何が起こっているかなどつゆ知らず。
人々の歓喜とため息が交錯している中、首相官邸内の閣議室では、ある結論が出ようとしていた。
閣議が始まってからすでに五時間がたとうとしている。閉め切られた黒いカーテン。二〇度に設定された冷房。明かりの消えた部屋のスクリーンには、二人の大学生の顔が大きく映し出されていた。
右が池本光太郎、二一歳。金色に染まった短い髪。切れ長の鋭い目。そして両耳についている銀のピアス。その三つだけで、男の印象は非常に悪かった。要するに、彼は優等生ではない。不良である。他人に害を及ぼしてきたのだろうと、顔や身なりだけで判断できた。
左の福山賢一についても評価は同様であった。男のくせに髪は長く茶色い。カラーコンタクトを着けているのだろう。目は青いし、肌は黒いし、鼻にピアスをしている。社会に貢献したことなど一度もないだろうと。
手元の資料を見て男は納得した。見た目どおりではないか。学校の成績は悪いし、補導歴もある。こんな二人がいなくなっても、どうってことはないだろう。『拉致』されたほうが悪いのだ。こんなガキ二人のために、半世紀以上かけて進めてきた計画を潰されてたまるか!
犯人から条件が出されたのは六時間前であった。相手は日本語を話したとのこと。現在確認できているのはそれくらいであるが、どうやらA国の某テロ組織がからんでいるらしかった。その男が組織のリーダーかどうかは未だ不明である。
「総理、もう時間がありません! ご決断を──」
官房長官である小笠原が言った。首相・村田は悩むフリをして、唇の横にある大きなイボを触る。そして、七三に分けられた頭を掻いた。
次代の首相と目される人権派の一人が、業を煮やして勢い良く立ち上がった。
「総理! 即刻A国への攻撃を止めるべきです。条件を呑まなければ、二人の学生の命が奪われます! 休戦を選択するべきです!」
この男の言うように、昔から日本とA国は敵対関係にあった。原因は、太平洋に浮かぶ波濤島の領土問題である。
遡ること約六〇年、波濤島は日本の領土であった。いや、日本が勝手にそう主張していただけである。A国は以前からそれに不満を抱いていた。波濤島は日本の領土ではない。我が国の物だと。
そのころ、日本はアメリカとの戦争の真っ直中であり、日本を叩き潰す絶好の機会であるとアメリカに荷担したA国は、波濤島を攻撃し島を占拠した。それ以来、波濤島はA国の領土となり、名前もマオロ島に改められたが、戦後五〇年がたち、日本は島を返還するよう要求した。しかしA国は返還に応じることはなく、この問題は平行線をたどっていた。
そんな最中である。以前から核開発を進めていたA国が太平洋の日本領海にミサイルを実験発射したのだ。ミサイルは幸い、沖縄の南東の沖合五〇〇キロの海に着弾し、国民に被害はなかった。しかし実験とはいえミサイルを撃ったのは事実である。この際、実験かどうかなんてどうでもよかった。
村田にとってこの一撃は絶好の機会となった。こちらから仕掛けると各国への印象は悪いが、仕掛けてきたのはA国のほうである。村田は『実験』を『威嚇』とみなし、正義面してA国に自衛隊を送り込んだ。それからの展開は早かった。過去とは違い、現在の日本にとってA国は『相手』ではない。武力に格段の差がある。アメリカだってバックについている。
もちろん多少の不安はあるが、戦争が行われているとはいえ日本国民は毎日平和な暮らしを貪っている。それに対しA国は火の海と化していた。毎日何千人という死者を出している。A国の敗戦は明白であった。にもかかわらず村田は攻撃を止めようとはしなかった。徹底的にA国を潰す考えである。マオロ島だけでなく、A国も日本の領土にしようとしていた。
ここまで村田が執拗にこだわるのには訳があった。彼は約六〇年前の戦争で、父を亡くした。当時父は地元の製鉄会社で現場監督を務めていた。妻や子供たちを守ろうと、毎日汗水たらして働いていた。けっして裕福な暮らしではなかったが、村田少年は幸せであった。しかし、幸せな暮らしは突然壊れた。父の元にも当然のように『赤紙』が届いたのだ。召集令状である。父が配属されたのが、問題となっているマオロ島・波濤島だった。
そこで父は呆気なく戦死した。その事実は国からの報せで知った。一枚の紙切れだった。村田少年がA国に恨みを抱くようになったのはこのときからであった。彼はA国にどうにか復讐してやりたいと思った。復讐するにはどうすればよいか。簡単であった。国のトップに昇りつめればいい。頂点に立てば思いのままである。村田少年はA国への復讐のためにひたすら勉学に励み、東京大学を卒業、当時の大蔵省をへて三三歳のときに出馬し、初当選を果たした。
しかし、彼の本当の苦労と戦いはそれからであった。当時、民自党幹事長を務めていた長部派閥の一員となった村田は、談合などといった裏の仕事を任された。もちろん汚い政治と分かってはいたが、村田は一切拒否することはなかった。これが昇りつめるための道だと信じていた。
運が良かったのは、長部が一大勢力を誇っていたことだ。汚職が発覚しても、村田の名は一切出てこなかった。もし派閥を間違えていたら、村田の政治生命は終わっていたであろう。彼は隙間をうまくかいくぐり、五五歳で党の幹事長に任命され、五八歳のときに外務大臣に就任。その五年後、周囲の信任を得て、念願の総理大臣に昇りつめたわけである。
彼の計画、そして復讐は現実のものになろうとしている。しかしその一歩手前で、テロによる脅迫があったのだ。
村田はまだ口を閉ざしていた。しかし選択を迷っているわけではない。決断を悩む演技であり、ハナから決めていた答えを出すタイミングをうかがっていた。
「総理!」
「総理!」
さまざまなところから声が飛ぶ。すがりつくような視線を向けられる。村田にはそれがうっとうしくてたまらなかった。目の前を飛ぶハエみたいなものである。
我慢の限界であった。村田のまぶたがカッと開いた。冷め切った目は、スクリーンに向けられた。ドッシリと座っていた村田が立ち上がった。丸っこい身体がスクリーンに映る。背が低いので、そのシルエットは二頭身にも見えた。決断が下される瞬間であると、みなが村田に注目する。室内に静寂が広がった。官房長官以下、すべての人間の意見は一致している。村田もまた、同じ意見だとみなは決めてかかっていた。
村田は静寂を切り裂いた。
「私はテロには屈しない! 犯人の指示には従わない!」
村田は全員に背を向けた。そして溜めていた息を一気に吐き出した。村田は内心オドオドしながら反応を待つ。案の定その決断に室内がざわめいた。全員が席から立ち上がったのが分かった。
「総理! では、二人の学生は見殺しですか? そういうことですか!?」
村田は黙っていた。ここで迷いを見せてはならなかった。身体の前で両手を握り合わせ、冷静を装う。
A国への攻撃を中止するわけにはいかなかった。ここで中止したら何もかもが無意味になる。
「総理! その選択をすれば、国民はたちまち混乱します! そうなれば、あなたへの評価も一気に下がることになりますよ」
村田の広い額に、だんだんと脂汗がにじむ。脈が速くなる。
「そうです、あなたの信用は失くなりますよ!」
我慢しきれず、村田は言い放った。
「この事実は公表しない! あくまで水難事故として発表する!」
その考えに、一同は愕然となった。
「総理!」
村田は男たちの声を遮断した。
「以上!」
閣議室は、静まり返った。
国民の七〇パーセント以上の支持を得る首相の、誰もが凍りつくような決断であった……。
パラシュート
「大学生二人を拉致した。攻撃を止めなければ命はない……」。首相官邸に届いたテロリストからの脅迫電話。ところが首相はそれをはねつける。国から見放された賢一と光太郎は、無人島上空からパラシュートをつけて突き落とされる。テロリストと首相への復讐に燃える賢一は……。息をもつかせぬノンストップ・サバイバル・サスペンス、『パラシュート』。中高生から圧倒的人気を誇る山田悠介さんが贈る本書より、物語の冒頭をご紹介します。