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ツレ&貂々のコドモ大人化プロジェクト

2011.12.01 公開 ポスト

その67

フルサトは作るもの望月昭/細川貂々

 またコドモを預けて、宝塚歌劇を観に行ってしまった。
 宝塚大劇場、星組公演「オーシャンズ11」である。元々は映画だったものを舞台でのミュージカルにリメイクしたものらしいが、アメリカのラス・ヴェガスを舞台にした鮮やかなギャング・アクションだ。星組は今現在もっとも乗っているトップスター「ちえちゃん」こと柚希礼音さんが主役を演じ、彼女の体力と歌唱力に引っ張られた組子(くみこ)たちの実力も充実している。ダンスの切れやアクションも素晴らしい。そして、今回の公演で定年となる「マヤさん」こと未沙のえるさんの演技が華を添える。未沙のえるさんは映像では何度も拝見したことがある。ベルバラのメルシー伯爵、BOXMANのロジャー、そして「ジャワの踊り子」の語り手……など。
 生で未沙のえるさんが観られたのは嬉しかった。
 まだ大劇場観劇は二度目だが、相棒もどんどんプッシュしてくるので、このままだとけっこうハマってしまうかも。僕は、うつ病闘病ののち、オバちゃん化した人生を送っていると思っていたが、コドモを預けて宝塚観劇なんて、オバちゃん人生もなかなか王道を行っていると思うのである。
 もっとも、大好きな大阪フィルの年末の第九チケットもゲットした。僕がとても尊敬する三人の「隆」さんの一人、朝比奈隆先生の第九はもう聴けないが、朝比奈隆先生の息子の千足さんが指揮して神戸で行われるコンサート。これは相棒にコドモを託して一人で聴きに行ってくる予定だ。
 そんなこんなで、何年も諦めていたステージ鑑賞が、ここ関西に来て復活しつつある。

 コドモの成長も順調だ。あっという間に達成してしまったトイレトレーニングは、その後の失敗もほとんどない。特にこの一ヵ月では、移動先での宿泊のときにオネショが一回。うどん屋でヘソを曲げたときにうずくまったままオシッコを漏らしたことが一回。それくらいだ。
 それでも、「念のためにトイレに行っておく」という行動は、まだできない。
「ちーと君、トイレは?」
 と尋ねても、
「しない、まだでない」
 と言っているのだが、その数分後くらいにまずいシチュエーション、例えば移動中の電車の中などで「トイレ」と言い出されることしばしば。何度か電車を降りる羽目になったりした。まだ「事前にさせる」ということができないでいる。
 あとは、親が二人とも集中して作業をしているときに「トイレ」と言われるのが、ちょっとわずらわしい。いや、以前に比べればゼイタクな悩みなんだが。
 トイレトレーニング完了ということで、オムツとトレーニングパッドが、ついに在庫限りで買い足しの必要がなくなった。
 一年前から猛烈に続いていた「ヤダヤダ」の嵐も、まあ考えてみるとずっと続いていたのだが、ここのところ「そうじゃなくて」というセンテンスの連発になってきた。あまりにも「そうじゃなくて……」というコトバを聞かされるので、
「なんやねん、そんな言い方誰も好かんわ。そうやのうて、と言うてみなさい」
 と提案したところ、その後、
「そうやのうて……」
 という関西弁を使い始めたのが面白い。そのうち「そんなんちごて」とか「そうゆうんとちゃうくて」とかアレンジも使い出すのだろう。

 ところで、今月前半に宝塚市に転入届を出した僕たちだが、その後またすぐに関東に移動して所用に明け暮れていた。一つは僕ら夫婦が法人の役員となっているので、その登記を変更する手続きのため。もう一つは相棒の出身地、埼玉県行田市でのトークショーへの出演である。
 登記の手続きでは、たぶん宝塚市民ならアタリマエのことだったろうが、住所の表記で「宝塚」と書くとき「塚」のつくりの部分を「点一つ多い正字」で書かないと法務局では通らないということを知ったのがショックだった。
 このことがなければ、自分の住所を住民票通りきちんと書けなかったのに、市役所でも指導されなかった。たぶん……アタリマエに過ぎることなんだろう。
 もう一つの所用。相棒の地元でのトークショー。これは盛況だった。
 五百人入るホールが満員になった。地元の人の話では、希望が多数だったため、抽選すら行われたそうである。入場無料だから興行にはならないが。
 もっとも、その入場者のうち百人は親戚と相棒の友人知人、実家の近所の人たち、自営業でのコネクションのある人たち、などである。
 司会は吉本興業所属の女性お笑いコンビ「フラッパー☆」さんたちであった。吉本興業所属と聞いて、関西人であることを期待したが、残念なことに埼玉と神奈川出身のお二人だ。でもテンションは完全にお笑いなので、明るくてテンポ感の良いステージになった。
 うっかりすると二人に完全に持っていかれるので、僕も相棒も積極的に喋った。気がついたら持ち時間の一時間を使い切っていた。ちょうど一週間前に、大阪の阿倍野で関西弁のトークショーをやっていたので、笑いを取るタイミングなどは、ほとんど同じ雰囲気で展開できた。
 もちろん、内容は「うつ病闘病」「働く現場とストレス」「育児」「男女共同参画」などマジメな話なので、ちょっと話が散漫になってしまった部分はなくもない。
 相棒に向けられた拍手はひときわ大きなものだった。僕は「故郷に錦を飾る」という慣用句を思い出した。相棒は埼玉県行田市で生まれ、地元ベッタリで育ち、地元の女子高を出て就職し、やめたりフラフラしたり専門学校通ったりして……いろいろあって……映画の原作になるような漫画を描いて家族を養ってくれる立派なアーティストに育ったのだ。
「馬子にも衣装」というのではないが、この半年、取材の嵐に耐えた相棒は堂々としていて、パートナーとして言うのも気恥ずかしいが、キレイになったように思う。もちろん、こっそり続けている筋トレの成果もある。姿勢とか呼吸とか発声も変わってきたんじゃないか。
「こんなに立派になって」
 と僕も思ったが、百人の親戚と友人知人と近所の人と義父の仕事仲間も思ったんじゃないか。もちろん、僕に対して「こんなに元気になって」という暖かい拍手もあったように思うが。
 そして、故郷に錦を飾れた相棒に対して、ちょっぴり嫉妬の念も覚えた。
 なぜなら、僕には故郷と呼べるものがないように思えたからだ。

 僕は東京都で生まれたが、両親の転勤に伴って、幼少時はイギリス、フランスで育ち、小学生のときは横浜の社宅、千葉県の戸建てと移ったが、どちらも故郷と呼べるような場所にはならなかった。小学校卒業時から中学の三年間は大阪府の吹田市、高校と大学は千葉県。船橋市と千葉市。高校生のときからは両親と離れて住んだ。両親はまたヨーロッパに行き、戻ってきてからは北海道。この数年は千葉市にやって来た。
 両親にも僕にも、とりたてて故郷と呼べるような場所は存在しないように思える。

 でも、待てよ、と僕は思う。
 大人になってからの僕なのだが、千葉県浦安市に転居したのが二十一歳のときで、それから四十六歳で転居するまでの間、三年だけ別の場所に住んだことがあるが、それ以外はずっと浦安市にいた。
 そうだとすると、僕は人生の半分を浦安市に住んでいたのだ。さらに範囲を千葉県に広げれば、三十年近くがそうなる。
 つまり、僕の故郷は千葉県ということになるんだろう。両親も今では千葉市に住んでいる。僕は千葉県で長く暮らしたという歴史を持っている。出生地がそうじゃないので、つい出身は東京都と言っていたのだが、実質はほとんど千葉県だ。
 そんなことに、千葉県にどっぷり浸っていたときには気づかなかった。
 今年の震災の後、僕は千葉県から離れることにした。成人してからほとんど離れたことのなかった「故郷」を後にし、かつて三年半だけ住んだことがある関西にやってきた。

 故郷と自分との関係は、親と自分との関係のようなものだと思う。そこから多大な恩恵を受け、その支援を頼りにし、ときには依存し、それがなくては生きていけないとさえ思うこともある。しかし、必要があればそこから離れ、離れたところから感謝をし、恩恵について思いを馳せ、必要があれば支援もする。故郷を疎ましく思う人もいるし、故郷に束縛される人もいるが、健全な故郷との関係はたぶんつかず離れず、依存し過ぎず、こだわり過ぎず……といった感じだろう。千葉県、ありがとう。千葉県、好きです。だけど今の僕にとっては、新しい土地に住んでそこに慣れて生活していくことが重要だ。離れて初めて千葉県のことを故郷と思うようになった。

 そして、故郷から離れて住むことを選び、定住を始めた新しい土地も、時間が経てば故郷という地位をだんだんに占めていく。
 僕にとっては、こちらでの生活が三十年を越えなければ千葉県を上回ることにはならないが、少なくとも息子に関しては、あっという間にこちらでの暮らしが長くなるだろう。息子にとっては、兵庫県宝塚市が故郷になるのだ。

 転居というのは、今まで住んでいた場所を故郷にし、新しく住んだ場所もやがて故郷と呼べるように馴染もうと決意することかもしれない。心の中に故郷がたくさん生まれるチャンスでもあったのだ。だけど、僕のコドモの頃そうだったように、うっかりすると土地への愛着を散漫にしてしまう危険性もはらんでいるけどね。 

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ツレ&貂々のコドモ大人化プロジェクト

『ツレがうつになりまして。』で人気の漫画家の細川貂々さんとツレの望月昭さんのところに子どもが産まれました。望月さんは、うつ病の療養生活のころとは一転、日々が慌しくなってきたのです。40歳を過ぎて始まった男の子育て業をご覧ください。

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望月昭/細川貂々

望月 昭
1964年生まれ。幼少期をヨーロッパで過ごし、小学校入学時に帰国。セツ・モードセミナーで細川貂々と出会う。 卒業後、外資系IT企業で活躍するも、ある日突然うつになり、闘病生活に入る。2006年12月に寛解。現在は、家事、育児を一手に引き受ける。著書に『こんなツレでごめんなさい。』(文藝春秋)がある。

細川貂々
1969年生まれ。セツ・モードセミナー卒業後、漫画家、イラストレーターとして活動。夫のうつ闘病生活を描いた『ツレがうつになりまして。』がベストセラーに。結婚12年目にして妊娠が発覚。現在は、夫と息子、ペットのイグアナたちと同居中。その他の著書に『その後のツレがうつになりまして。』『イグアナの嫁』(共に小社刊)『どーすんの?私』『びっくり妊娠なんとか出産』(共に小学館)など多数。

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