「大学生二人を拉致した。攻撃を止めなければ命はない……」。首相官邸に届いたテロリストからの脅迫電話。ところが首相はそれをはねつける。国から見放された賢一と光太郎は、無人島上空からパラシュートをつけて突き落とされる。テロリストと首相への復讐に燃える賢一は……。息をもつかせぬノンストップ・サバイバル・サスペンス、『パラシュート』。中高生から圧倒的人気を誇る山田悠介さんが贈る本書より、物語の冒頭をご紹介します。
* * *
「光太郎!」
地面に急降下していく二つの身体。
賢一は手応えを感じていた。少しずつではあるが、確実に彼に近づいている。光太郎のターコイズのネックレスが、小さなブルーの輝きが、ハッキリと確認できたのである。
あれは、ユリからのプレゼントだ。彼はあのネックレスをいつも大事そうに首にさげていた。彼女からのプレゼントがよほど嬉しかったに違いない。
光太郎がユリと出会ったのは大学のキャンパスだった。見た目は今どきの女の子。ツヤツヤの茶色い髪。指にはギラギラの指輪。派手なネイル。バッグはブランド物。一見、遊んでそうで、近寄りがたい雰囲気だが、実は外見とは正反対であった。いつも他人に気を遣っている本当にいい子だ。
彼がナンパをし、付き合うようになった。あれからもう一年がたつ。三人で遊ぶことも多かった。
心配しているであろうユリのためにも、必ず光太郎を助けてみせる! ほんの一瞬の間に、そんなことが頭をめぐった。
光太郎まであと一〇メートル程度か。
もう少し。だが、もうあまり時間がないのではないか。
地上に見えるあれは、森か。緑が広がっている。左側には海も見える。そこまで確認できるのだ。海に落ちても助かる可能性はほとんどないが、その海さえもまったく方向が違う。このままでは地面に叩きつけられる。
早く!
徐々にではあるが、距離は縮まっている。
八メートル、七メートル。
光太郎、もっと、もっと身体を大きく開いてくれ。
せめて意識があれば。この想いが届いてくれれば。
五メートル。気持ちばかりが焦る。瞳には、地上の風景が鮮明に映っていた。それでも光太郎、ただ一点に集中する。
四メートル、三メートル。
賢一は歯を食いしばり、思い切り手を伸ばす。
届きそうで届かない。もどかしい距離である。
「光太郎」
もう一度、力いっぱいに腕を伸ばした。
すると、指先が光太郎の胸にかすかに触れた。光太郎の顔はすぐそこだ。しかし当然まだ安堵はできなかった。光太郎の腹部は真っ赤に染まっている。パラシュートだって開かなければならない。
上下左右に腕を動かすが、うまく掴まえることができない。
二人は、今すぐにでもパラシュートを開かなければならない位置にいる。もう時間がない!
「光太郎!」
賢一は吠えた。タイミングは今しかなかった。賢一は光太郎の胴体に腕を巻きつけ、がっしりと抱きついた。
「光太郎」
二人の身体が、一つになった。そのとたん、熱いものがグッとこみ上げた。再び、光太郎との思い出が蘇ったからだ。しかし、彼の体温は感じられない。
グズグズはしていられなかった。
急いでパラシュートを。
賢一は光太郎の背中に手を当てる。が、どこにもパラシュートを開くためのコードのようなものはたれていない。慌ててまさぐるが感触がない。
どれだ、どれだよ。
「クソッ!」
どこに手を当ててもそれらしきものがない。ふと賢一の目に、テロ集団のリーダーらしき男の顔が浮かんだ。男は、ほくそ笑んでいた。その笑みは賢一にある疑念を抱かせた。本当に二人が助かる可能性なんてあるのか。つまり、最初からパラシュートは開かないようになっていたのではないのか。
血の気が引いた。小さな草原が、視界に広がっていた。『墜落』の二文字が脳裏をかすめた。
青い顔で指先を震わせながら、全体を確かめる。
そして、袋の真下に手を当てたそのときだった。それらしいコードをようやく発見したのだ。
これだ!
賢一はすぐさま右手で力強くコードを引っ張った。
その瞬間、ボワッとパラシュートが開く音とともに、賢一と光太郎の身体に急ブレーキがかかった。グッと引き上げられた感覚。振り落とされそうになるのを必死でこらえる。
二人の落下速度は、パラシュートによって急激に落ちた。
太陽の光が、パラシュートで遮られた。二人は、ユラユラと空を舞う。危機的状況から脱したとたん、テロ集団に殴られた傷が再び疼いた。
賢一が下を確認すると、草原はすぐそこにまで迫っていた。
正しい姿勢など分からないが、賢一は自分なりに、着地体勢に入った。
光太郎に一切の衝撃を与えぬよう、賢一は彼の腰のあたりに顔が来るように位置を変え、自分の足が先に地面に着くように姿勢を整えた。
間もなく、着地のときが訪れた。下をよく確認しながら、地面に足をつける。ガサガサと草を踏む音。少しタイミングがずれたのと、光太郎を支えるだけの力が残っておらず、賢一の両膝はガクリと折れ、それでも前に倒れるのではなく、踏ん張って背中から落ち、どうにか光太郎に負担をかけずにすんだ。やがて、大きく広がったパラシュートが、二人の身体にかぶさった。
下敷きになった賢一は、痛みをこらえながらゆっくりと光太郎をのけて、まずは彼が背負っているパラシュートを外し、適当に放り投げた。そして、振動を与えぬよう静かに光太郎の身体を仰向けにする。血と草の臭いが周囲に漂う。
Tシャツに広がった血はさらに範囲を増していた。すでに四分の三が真っ赤である。落下しているときは気づかなかったが、腹部には小さな穴が開いている。その周りはまだ乾いてはおらず、ベッタリとしていて、嫌な艶を放っている。
すぐに光太郎の顔色を確かめる。
青白く、変色してしまっている。唇のあたりが特に。
意識があるのか、耳のそばで呼びかけた。
「光太郎? 聞こえないのか」
まったく、返事がない。何度声をかけても同じであった。
賢一の頭は真っ白になった。
この現実を受け入れることができなかった。
「……おい」
声が、かすれた。目を閉じたままの彼の顔を見つめていると、瞳からジワリと涙がこみ上げた。
その涙で光太郎の姿がぼやける。
「起きろよ」
悲痛な表情を浮かべ、賢一は彼を力強く抱きしめた。
賢一はハッとなった。
ごくわずかではあるが、息があるではないか。
光太郎の胸に耳を当てた賢一の表情に、希望の色が浮かんだ。
ほんのかすかだが、動いている。確かに動いている。
賢一の手に力がこもる。まだ光は消えちゃいなかった。嬉しさと、しかしまだ予断を許さないという危機感が混じり合う。興奮状態に変わりはなかった。
「光太郎、聞こえるか! 光太郎!」
軽くほっぺたを叩く。何度呼びかけただろう。ようやく、彼の目がうっすらと開いたのだ。憔悴しきっているが、反応があった。
「よし、大丈夫だ。絶対助けてやるからな!」
その言葉は、彼の耳にしっかりと届いた。思い込みなどではない。小さくではあるが、光太郎はうなずいたのだ。
当然、助かると信じている。しかし、光太郎の出血はひどい。素人でも分かるくらいの絶望的な量だ。迅速な対応が必要であった。まだ冷静とは言えないが、賢一は少しずつ落ち着きを取り戻していく。
まずは119番だ。そして救急車が到着するまで、出血を最小限に止める。必ず光太郎を救う。
空中で脱ぎ捨てたシャツがすぐそばに落ちていた。それを拾い上げた賢一は、生地を丸め、光太郎の腹部に直接当てる。
痛いはずなのに、刺激が伝わっていないのか、それとも痛がる力もないのか、光太郎の表情は一切歪まない。
「大丈夫か?」
口元に耳を当てて確かめるが、かすかに息を感じるだけ。反応がない。それどころか、呼吸のペースも落ちてきている。
とにかく救急車、と賢一はズボンのポケットに幸いにして残されていた携帯電話を手に取り、『119』と一つひとつボタンを確認しながらしっかりと押した。
しかしどうしたというのだ。コールはおろか、まったく音が伝わってこない。一度通話を切り、画面を見るが故障している様子はない。興奮していて押し間違えたのかと、再び119をプッシュする。
だがやはり結果は同じだった。
回線が止まっている?
おかしい。何度かけても通じない。こんなはずはないのに。ただ焦りが増すばかりである。賢一は光太郎を一瞥し、もう一度チャレンジしようと指を動かす。そして、通話ボタンを押し、携帯を耳に当てたときに、ようやく肝心なことに気がついた。
そう、ここはどこなんだ? 焦っていて気づかなかったが電波も来ていない。
俺たちはジェット機に乗せられていたのだ。日本から離れている可能性のほうが大きいではないか。
もし外国だとしたら、この携帯電話が使えるわけがない。
日本ではないという確証を得たのは、それからすぐのことだった。携帯電話の時計は午後三時を表示しているが、太陽は真上に昇っている。日本でないのは明白であった。
だとしたらここはどこだ。草原にいる賢一は見当もつかなかった。
見渡す限り人はいない。視界には草が広がっているだけ。
どうしたらいい。このままでは光太郎の命が危ない。
その場から立ち上がった賢一は叫んでいた。
「誰か、誰か来てくれ! 助けてくれ! 救急車を呼んでくれ!」
しかし賢一の願いも虚しく、声は草の音で掻き消される。
「おい、誰か! 頼むよ!」
腹の底から声を振り絞っても、誰にも届かない。助けが来る気配が微塵も感じられない。ただ、草が躍っているだけである。
賢一は屈み、光太郎の息を確かめる。そしてまた立ち上がり、吠え続けた。気が動転しており、最善の策を考える余裕がなかった。とにかく光太郎のそばから離れてはならないと、そればかりを頭に置いていた。
けっして諦めてはならなかった。光太郎を救わなければならなかった。
数え切れないほど、助けを呼んだ。
「誰か!」
めまいが襲った、そのときだった。賢一の足に、何かが触れた。下を見ると、光太郎の手がこちらに伸びていた。
「光太郎!」
賢一は地面に膝をつき、光太郎の手を両手で挟む。
「大丈夫だ。助かるからな!」
力強く握り、そう言い聞かす。
「もう少しがんばってくれ! 必ず誰か来てくれるから」
すると光太郎は薄く目を開いた。賢一が微笑みかけると、彼の瞳から、一筋の涙がこぼれた。
どういう涙だったのだろう。彼の涙を見て、悲しみがこみ上げ、賢一は光太郎の胸に抱きついた。
「なに泣いてんだよ」
言葉が詰まる。
彼の口から、そよ風で飛ばされてしまいそうなくらい小さな声が洩れた。
「なんだ? どうした」
賢一は懸命に尋ねる。しかし、何を言っているのかが理解できない。唇が震えているだけなのだ。耳を近づけても、聞き取れなかった。
別れは、その数秒後だった。
光太郎の首が、ダラリと横にたれた。
辛うじてつながっていた生命の糸が、プツリと切れたような死に方であった。
「おい、光太郎? おい! おい!」
何度呼びかけても、いくら激しく身体を揺らしても、光太郎は還ってきてはくれなかった。
死という事実を、現実を、受け止めることができなかった。
賢一は、延々と光太郎の名を叫び続けた。その声が風に運ばれても、やはり誰一人として現れはしなかった。
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