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ツレ&貂々のコドモ大人化プロジェクト

2012.02.01 公開 ポスト

その70

幼稚園のある生活望月昭/細川貂々

 年明けから息子が幼稚園に通い出した。
 月曜日から金曜日まで、週五日。水曜日を除いて午前九時から午後二時まで。水曜日だけは午前中でオシマイ。まあ、外で預かってもらっている時間と考えると、長くて一日に五時間である。
 朝はバタバタと連れて行く。周囲も慌しい。今は寒い季節なのでモコモコなジャンパーなどを着せて連れていくが、幼稚園の門の前で脱がせ、制服だけにして送り出す。午後二時のお迎えは時間少し前に行き、園庭で並んで待つ。コドモたちが歌を歌って挨拶を交わしているのが見える。それから教室の扉が開いて、一人一人出てくる。幼稚園の先生と短いやりとりを交わすこともある。
 そして、ゆっくりと歩いて帰る。冬だが午後二時はまだ日も高い。風が冷たい日もあるが、ぽかぽかする陽射しのある日もある。関西特有の山越えの雪が輝いて舞い降りてくる日もある。そんな日は明るく晴れているのに底冷えのする寒さだ。
 以前通っていた保育園とは多くの点で違うのだが、この午後二時帰りが一番大きな特徴ではないかと思う。保育園の三歳児クラスは午後二時からお昼寝の時間だった。まあ、息子を連れ帰ると、お昼寝に入ってしまったりすることもあるのだが、
「……なんか、ようやくここまで来たんやな」
 と僕は感慨深く思ったりもした。制服を着て、体に合わぬ大きなカバンをさげて歩いている息子を見ると、この一年の苦労を思い出す。ちょうど一年前に「新設の保育園に通えるようになった」という通知が来て喜んでいたのだが、それはぬか喜びだった。もちろん息子はあの時点でオムツも取れていなかったし、ベビーカーを常用していて、まだまだ今から振り返ると幼児そのものだった。それからいろいろあって、なぜか幼稚園に通うようになって、著しい成長を見せている。
 それにしても、とも思う。ベビーカーに関しては、二カ月前まで全然手放せなかったのに、今はもうベビーカーを全く使わず歩いている。オムツも四カ月前まで常用していたのに、今では自分でトイレに行ける。もっとも幼稚園が始まって、何度か教室でお漏らしをしたようだし、それまでしなかったオネショというものもしてしまった。
 幼稚園で身体測定をしてもらったが、体重は12キロを少し上回るくらい。三歳児にしては小さい。いやもう、今月で四歳になるのだが。体重からすると二歳児の平均の体格だけど、以前よりは成長しているのだ。息子なりに。

 僕の作る弁当も、残さず食べてくるようになった。最初は息子の苦手な野菜も少し入れておくかと入れてみたのだが、幼稚園の先生から「うちの園の方針として、全部食べて残さないことで自信になるようにしたいので、食べられるものだけを少なめに入れてください」と指導され、それに従うようにした。
 量が少なめであっても、午後二時に帰ってくるのだから、腹が減ったら家でオヤツを食べさせればいいということなのだ。多いより少なめ、それを心がけ、息子の食べられそうな焼き魚、肉じゃが、ハンバーグ、玉子焼き、竹輪や煮豆などをローテーションで入れている。あと、最近は鶏肉の唐揚げが好物になったようだ。当地で「かしわ」と呼ぶところの鶏肉を醤油につけておいて、粉をまぶし中華なべで少量の油で揚げて作っている。野菜は今のところ煮物くらいしか食べられない。
 あとは麦飯に海苔を挟んだゴハン。息子の弁当があるので炊飯器を購入してみたが、やっぱり鍋でちょこちょこと炊いている。息子は漬物やフリカケ類が食べられないので、白いお米が眩しい弁当になってしまう。デコ弁(華々しくデコレーションしたお弁当)を作ってやることを夢みた時期もあったのだが、今までのところ地味で少量の弁当が続いている。

 さて、息子の幼稚園ライフであるが、さっそくお友達が何人もできたようだ。お友達の振る舞いや先生の言動を、家で再現してくれる。かなり細かいことも覚えているようで、見ている親としては笑わせてもらっているのだが、おそらく息子は「言いつけられたことはきちんとできていない」のじゃないかと思う。でも記憶力はいいんだよな。今まで頑なに関西弁を喋っていなかった息子だが、幼稚園の場面を再現するときはかなり関西弁っぽくなっている。幼稚園に二週間通った時点で、友達と話しているときに「ほんまやで、うそちゃうで」と言っているのを聞いた。もう一つお気に入りは「なんでやねん、んなアホな」である。それだけ喋れれば立派な関西弁使いやろ。ええんちゃいますか〜。

 さて、そんなこんなで息子は毎日楽しみに幼稚園に通っているようだが、やっぱり風邪をもらってきた日があって、一日熱を出して休んでしまった。そして次の日にはもうすっかり治って、また元気に通園していったのだが、両親である僕と相棒は、やっぱり息子から風邪を伝染されて、相棒が二日、僕が三日ダウンしてしまった。これは以前保育園に通っていたときによくあった現象なので、覚悟していたのだが、やっぱりキビシイ。
 息子を半年ほどどこにも通わせていなかったときは、息子もほとんど熱も出さず風邪もひかなかったし、僕らが息子から風邪をもらうこともなかったのだが、集団に入れてやるとやっぱりちゃんともらってくる。まあ、これも含めて「幼稚園になじむ」というステップなんだろうとは思う。
 そして、熱を出して寝ているときの僕が見た夢は、なんと「時計を見ると午後五時で、息子の幼稚園のお迎えに行くのをうっかり忘れてしまったと思って焦る」というものだった。それから、「朝十時になっているのに息子を幼稚園に連れていくのを忘れていて、幼稚園に電話して適当な言い訳をして休ませてしまう」という夢も見た。熱を出したときに焦ってみる夢が幼稚園の送り迎えだなんて。妙にリアルでつらかったりもした。もちろん、息子に関してここのところずっと、毎日どこかに通わせるということがほとんどなく、その日その日お天気任せで遊んでやっていたので、息子を社会的な時間に従わせるという営み自体がなかなか難物なのだ。そして息子を預けると安心し過ぎて時間が経つのを忘れて自分の作業に打ち込んでしまいがちにもなる。

 息子の幼稚園の送り迎えをするたび、先にも書いた「……なんか、ようやくここまで来たんやな」という気持ちを覚えているのだが、それは安堵といってもよいだろうか。以前のこの連載にも書いたが、現代の日本の社会では「三歳になって四月を迎える」と公式にコドモを社会が育んでもいい、としてくれる。それが幼稚園という存在なのかもしれない。
「三歳までは親が四六時中関わるべきである」というのが今でも色濃く残っている子育てに関する規範であり、「共働きで保育に欠ける」というちょっと言葉遣いが変な証明を行って保育所に預けることをしなければ、育児パーソンがコドモから逃れる時間が持てないのも仕方ない、とされているのだ。でも、三歳になれば「保育に欠ける」とされなくても、幼稚園に通わせることができる。
 もっとも、三歳の四月に幼稚園に入れそびれれば、やっぱり四六時中コドモと一緒にいなければならない時間は続く。僕らのように、一度保育園に入れてみたものの、そこを辞めて居住地からも離れてしまえば、やっぱり親がコドモを見続けなければならない。濃密だったゼロ歳児育児、目が話せなかった一歳児との付き合いを経て、反抗的な二歳児のうちに少しずつ保育園に依存するようになっていた僕と息子が、また三歳の三カ月目から、逆戻りして父子の濃密な生活になってしまった。そんな暮らしが半年。僕にとっても、子育て修行に振り回されるような半年だったと思う。
 それがここにきて、幼稚園への編入で、その状況からようやく解放されることになったのだ。幼稚園。幼稚園に入れるつもりはなかったのだが不思議だ。僕も相棒も今もときどき、幼稚園のことを保育園と言い間違えてしまうこともある。最後に通った保育園は泣いて登園を拒んだが、今回の幼稚園は大好きになったようだ。
 もちろん、環境の良さだけでもなく、本人の成長や、直前のコドモ社会からの孤立した半年の閉塞感が解放されたということもあって、今の幼稚園が大好きなのかもしれない。
「保育園やのうて、幼稚園になってしもうたが……ちーと君、幼稚園好きか?」
「ようちえん、すき」
 息子は毎日通い続けていることも苦にならぬほど、幼稚園がお気に入り。
 保育園に通わせることを希望していた以前の僕は、午後二時に園庭に集まっているお母さんの集団を見て「こんなに早い時間にコドモを返されちゃって、ご苦労さまなこった」と不遜なことを思ったこともあった。そんな気持ちを持っていたことを申し訳なく思います。
 もうコドモとずっと一緒にいなくてはならない生活が続いていたことを思うと、二時間でも三時間でもコドモと離れて自分のことができるというのはありがたい、と数カ月前に託児所に預けていたときに思ったし、今通っている幼稚園では五時間も自分の時間が持てるのだ。それが毎日なんて、とても気分がウキウキとしてきてしまう。
 そして、コドモの生活の流れを見ていると、午後二時で終わるというのも毎日気楽に構えずに登園していけるのかな、とも思う。きちんと午後二時に、自分の親が必ず迎えに来るという安心感もいいのかも。保育園だとどうしても、迎えの時間がばらけてしまうのだが、そういうのは実に親の都合であって、コドモからすると不安を覚えても仕方ないことかもしれないとも思う。

 しかし、幼稚園。まだまだわからないことも多い。保護者の茶話会があるそうだが、父親が参加した事例があまりないらしい。茶話会ではお茶とケーキが出るそうで、さらに功労者を表彰したりするのだそうだ。ということを相棒に言ったら、
「宝塚歌劇団の生徒さん(劇団に所属する人をこう呼ぶ)のファンクラブが開催するお茶会と一緒だ!」
 と感心されてしまった。歌劇団のファンクラブと似ているのか、保護者会……。
 そして、今日息子が幼稚園からもらってきたお便りには、こう書かれていた。
「二月に生活発表会を行います。年少クラスの発表は劇です。ちーと君の配役はキツネです。黄色いトレーナーにキツネのしっぽをつけた衣装を用意してください」
 むむっ、通い始めて二週間、なんだかもう配役がついてしまったのか? おそるべし宝塚の幼稚園。しかし、生活発表会って何だろう? 学芸会のようなものなんだろうか? さまざまな疑問が渦を巻く。そして、まあ僕は裁縫があまり得意ではないし、何をどうしたらいいのか一つ一つ確認していかなければなるまい。

 コドモの幼稚園ライフ、まだスタートしたばかりです。 

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ツレ&貂々のコドモ大人化プロジェクト

『ツレがうつになりまして。』で人気の漫画家の細川貂々さんとツレの望月昭さんのところに子どもが産まれました。望月さんは、うつ病の療養生活のころとは一転、日々が慌しくなってきたのです。40歳を過ぎて始まった男の子育て業をご覧ください。

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望月昭/細川貂々

望月 昭
1964年生まれ。幼少期をヨーロッパで過ごし、小学校入学時に帰国。セツ・モードセミナーで細川貂々と出会う。 卒業後、外資系IT企業で活躍するも、ある日突然うつになり、闘病生活に入る。2006年12月に寛解。現在は、家事、育児を一手に引き受ける。著書に『こんなツレでごめんなさい。』(文藝春秋)がある。

細川貂々
1969年生まれ。セツ・モードセミナー卒業後、漫画家、イラストレーターとして活動。夫のうつ闘病生活を描いた『ツレがうつになりまして。』がベストセラーに。結婚12年目にして妊娠が発覚。現在は、夫と息子、ペットのイグアナたちと同居中。その他の著書に『その後のツレがうつになりまして。』『イグアナの嫁』(共に小社刊)『どーすんの?私』『びっくり妊娠なんとか出産』(共に小学館)など多数。

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