コカイン所持で逮捕された男の暴露によって、19年前の事故を、殺人事件として再捜査することになった。当時人気絶頂のさなか、ホテルの部屋で死体となって発見されたギタリスト鈴村竜之介。時を経てその被疑者に浮上したのは、鈴村と同じバンドの元メンバーで、今はソロとしてブレイク中の木宮保だった。事故死か、殺人か、それとも——? 当時の関係者を回り、執念の捜査を進める二人の刑事たち。音、絆、女、薬……あの日、あの部屋で、何があったのか。やがて狂騒の真実が白日の下にさらされる。
「小説を書いて12年、描きたかった物語がやっと完成しました。これなら読者は楽しんでくれる、そう確信した私の自信作です。」——本城雅人
濃密な人間ドラマと哀切を極める結末。2月10日発売の傑作ミステリ『終わりの歌が聴こえる』から一部を試し読みとしてお届けします。
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《 オール・アバウト・ザ・ベスト・バンド
(メアリー・ルポルタージュ1984~) 藤田治郎
このルポルタージュはメアリーというバンドの草創期から密着していた私が、日々書き溜めたメモを基に起こしたものだ。メアリーはすでに超人気バンドとなり、たくさんのロックファンから愛されているが、私が出会ったのは、彼らがまだアマチュアの時だった。その頃から私は、彼らは間違いなく売れると確信していた。そして私が思い描いた通り、いやそれ以上に彼らはスターバンドとなった。
ただしこれは単なる人気バンドの紀伝ではない。私から見た彼らの人物評であり、彼らが公表することをけっして望まない、陰の部分も書き綴るつもりでいる。
彼らと知り合ってからすでに十五年を超える歳月が過ぎている。当然、私がリアルタイムで感じたのと、今この時点の感情は異なる。しかし幸いにも私は、結成時から彼らの演奏や歌声に触れ、四人の心臓の鼓動までが聞こえるほど近くで行動を共にしていたのだ。できるだけ当時書き留めたメモに忠実に書き記していく。
一つ、断りを入れておかねばならないのは、彼らの出会いを書く前に、私がどうして彼らと知り合い、彼らの活動に関わることになったか、私自身のことを書かねばならない。それほど彼らとの出会いは衝撃的であり、初見した瞬間こそがメアリーというモンスターバンドの正体を、もっとも如実に表していると思えてならないからだ。メアリーのことだけを知りたい読者は、ここからの冒頭は読み飛ばすなり、判断は各々に委ねたい。
税理士をしていた父と、見栄っ張りで習い事が大好きな母の次男として、私は一九六二年一月、横浜市保土ヶ谷区で生まれた。兄とともに近所から礼儀正しい子供として知られていた私は、四歳からクラシックピアノを習った。ずっと音大に行きたいと夢を抱いていたが、高校生の時点で自分にそこまでの才能がないことに気づき、私大の経済学部に入学した。将来は音楽ライターの仕事をしたいとうっすらと考えていたが、なるにはどうすればいいか、ラジオに葉書を出したり、音楽雑誌に投稿したりする以外に方法が分からず、給料がいいという理由だけで証券会社に就職した。しかし大量の名刺を持って顧客回りさせられるのに嫌気がさし、二週間で会社をやめた。
会社をやめたことは親に言わなかったから、毎朝、スーツ姿で家を出て、一日中図書館で過ごした。そんな倦うんだ生活の鬱憤を晴らそうと、大学時代の軽音楽部の友人に呼びかけてバンドを復活させた。私がギターとボーカル、他はベースとドラムの三人組で、彼らが勤める信用金庫とスーパーマーケットとでは休日が異なるため、集まれるのは金曜の深夜だけ。それでもスタジオで演奏していると、将来のことや、仕事をやめたことを親にどう伝えるかなど、心を覆った靄が晴れていき、非日常の世界へと誘ってくれた。
ゴールデンウィーク中の五月四日も、私たちは地元、相鉄線・和田町駅前の貸しスタジオに集まった。演奏するのはオリジナル数曲と、レッドツェッペリンやブラックサバスのコピーである。一時間ほどで休憩になり、私は便所に行こうと部屋を出た。深夜零時を過ぎてもスタジオは満室だった。学生向けの安い貸しスタジオなので、どの部屋からも音漏れがする。必ず小窓から中の様子を覗くのが私の習慣だった。
「なみだ~の、リクエ~ス」
隣の部屋では高校生くらいのグループが上半期にヒットしたチェッカーズの曲を演奏していた。ダボダボのファッションから真似をしている。文化祭ででも披露するつもりなのだろう。新しいスタイルが次々と出てきては、若者たちが模倣する。私が高校に入学した頃はエレキとフォークギターが半々くらいだったのが、在学中にキーボードが流行りだし、オフコース、YMOをコピーするバンドまで現れた。時代の移り変わりは激しい。
その隣の部屋では私より少しだけ年下らしき四人組が演奏していた。さっきの部屋とは一変して、暗い雰囲気が漂う。それはスモークがかかっているのかと思うほど、部屋がタバコで煙っていたからだ。
こちらは完全なロックバンドだった。聴いたことのない曲だったのでオリジナル曲なのだろう。だが様子が変だった。ドラム、ベース、そしてギターの三人はスムーズに演奏しているが、目が隠れるほど前髪を伸ばし、上下とも黒服で決めた美男子風のもう一人のギターは、隣のギターの指の動きに目を配り、コードを確認しながら弾いていた。どうやら曲を覚えていないらしい。私が部長を務めた大学の軽音楽部にもこうした不熱心な輩はいた。
ただコードを覚えていないにしては、美男子のギターの音はまったく外れていなかった。
便所から戻り自販機でコーラを買うと、さっきの煙った部屋から歌声が聞こえてきた。語りかけるような低音だった。再び小窓から覗く。ベースをピックで弾きながら、天パーなのか寝癖なのか分からないボサボサ頭の男がマイクに口を寄せて歌っていた。曲がサビに入る。それまで静かに歌っていたのが一転、ざらついたハスキーボイスでシャウトする。私の体の芯まで届くほど、その声はよく響いていた。
仲間が待っているため、私は自分たちの部屋に戻った。私の歌唱力も軽音楽部ではそれなりのレベルだと自負していたが、ボサボサ頭の歌声が耳に残ったまま歌っていると、自分の稚拙さを感じずにはいられなかった。
四十分ほどで終了時間になったため、ドラムとベースは便所に行った。エフェクターを片付けた私の足は自然と他のスタジオに向かう。
隣の部屋では高校生がまだチェッカーズを練習していた。その隣室から音漏れはなかったが、窓が煙っていたからまだ彼らがいるのは分かった。休憩中のようだ。さきほど練習不足を露呈していたギターの美男子が椅子で足を組み、物思いに耽るように一服していた。
髪を立てたもう一人のギターと、短髪でタンクトップのドラムはタバコを吹かしながらお喋りしている。ボーカルをしていたボサボサ頭に目をやると、彼も鼻は高く、ギターの美男子に見劣りしないほど精悍な顔だった。ただしギターの美男子が細身でボンボン風なのに対し、ベースは少しやんちゃな印象だった。
ボサボサ頭が吸っていたタバコを床に捨て、おもむろにピックでベースを弾き始めた。
一人で遊んでいるのかと思ったが、途中からドラムととんがり頭のギターが入った。ドラムはやや倦怠感のあるリズムを踏み、ペダルでハイハットを開け閉めする。
Am→G→D9→Fmaj7→Am→G→D→E
聴いたことのあるコード進行だったが、知っている曲はイントロにピアノが入るため、その曲とは特定できなかった。
歌がないまま、Aメロ、サビ、Aメロと弾いたところで、タバコを咥くわえた美男子が、サンバーストのレスポールを抱え、火が付いたままのタバコをヘッドに挟んだ。外タレのモノマネかよ──ろくに練習もしてきてないくせにカッコだけは一丁前だと、私は笑いそうになった。
美男子が間奏のギターソロを弾き始める。
「治郎、なに覗いてんだよ」
トイレから戻ってきた友人二人が近づいてきた。覗き見していることを気づかれたくなかっ
た私は人差し指を口に当てた。
「なんだ。ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープスじゃん」
横で友人が鼻を鳴らした。
「ビートルズかよ、ダセ」
もう一人が嘲笑した。
やはり私が思っていた通りの曲だった。当時、私たちにとってビートルズを演奏するのは格好いいことではなかった。ポールでもジョンの曲でもない、ジョージ・ハリスンが制作し、ボーカルを取った曲。名曲ではあるが、完コピなら私にもできた。
ただし私は友人たちのように馬鹿にしていなかった。それは美男子のギターソロが、チョーキングとスライドを複雑に重ねる、アマチュアではまず見たことがない高度なテクニックを駆使していたからだ。
(つづきは書籍『終わりの歌が聴こえる』でお楽しみください)
終わりの歌が聴こえる
彼らに残っていたのは、もはや後悔だけだった。
19年前に世間を騒がせた、ある天才ギタリストの「伝説の死」。
その美しい旋律に掻き消された慟哭の真相とは――。