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もう親を捨てるしかない

2021.03.14 公開 ポスト

遺産は残すな!相続がもたらす弊害島田裕巳(作家、宗教学者)

超長寿国、日本。人生100年時代と言われて久しいですが、その分高齢化も進み、お金・介護・認知症などの問題はより深刻になってきています。現代において子は、介護という地獄を受け入れるほどの恩を親から受けていると言えるのでしょうか。宗教学者で作家の島田裕巳さんによる幻冬舎新書『もう親を捨てるしかない 介護・葬式・遺産は、要らない』より、本音でラクになる生き方「親捨て」について、一部を抜粋してご紹介します。

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戦後、家は経済的な共同体ではなくなった

GHQは、日本の戦前の体制、軍国主義の体制が解体されるよう、あらゆる手を尽くした。そのなかでも、財閥を解体し、大土地所有者をなくすことが、日本の民主化に結びつき、ふたたび軍国主義へむかうことを防止することにつながると考えた。

そうした改革は、日本社会に多大な影響を与え、社会の存立構造は根本から改められた。

そして、家というもののあり方も、戦前とはまったく違うものになった。基本的に、家は経済的な共同体としての機能を失っていくのである。

(写真:iStock.com/flyingv43)

そこには、高度経済成長ということも大きくかかわっており、家の弱体化に拍車をかけた。

それ以前の段階では、日本人の多くは第一次産業に従事しており、たとえ家督相続の制度がなくなったとしても、家の果たす役割は大きかった。依然として家というものは、経済的な共同体として機能したのである。

ところが、高度経済成長は、第一次産業から第二次、第三次産業への産業構造の転換を伴い、都市への人口の大規模な移動という現象を生んだ。簡単に言えば、農家が減り、サラリーマン家庭が増大したのである。

 

農家もサラリーマン家庭も、家族が生活する場ということでは、同じ家である。

しかし、そのあり方はまったく違う。サラリーマンの築き上げた家族は、「マイ・ホーム」などと呼ばれて、一時期もてはやされたが、農家との決定的な違いは、経済的な共同体ではないということにある。

もちろん、サラリーマン家庭でも、基本的に経済は一つである。親が働いた金で、その家の経済をまかない、子どもはその金で育てられ、学校に通う。

しかし、自営業の家庭でもなければ、その家の働き手のつとめる先は別々で、子どもが親の仕事を受け継ぐということもない。少なくとも、子どもが親と同じ会社につとめ、親と同じ仕事を続けるということはまずないのだ。

この点からすると、昔の農家や商家などと比較した場合、現代のサラリーマン家庭は、果たして「家」と呼べるものなのだろうか。そこからして疑問を感じざるを得ない。

遺産などない方が子どもに迷惑をかけない

事実、前の章でも見たように、単身者の世帯が増えているわけで、単身者世帯は、人のではあるかもしれないが、とても家とは言えない。現在の日本社会は、かつての状況とは異なり、とても家社会とは呼べない状況にある。

したがって、相続というものも、資産を受け継ぐようなものにはならない。それは、たんなる金銭の分捕り合戦にすぎないものになっている。分捕り合戦であるからこそ、遺産をめぐって多くのケースでもめる。誰もが必死に、自分の取り分を大きくしようとするからだ。

死んでいく親の方は、子どもたちのあいだでそうした争いが起きないようにと、いろいろと配慮しても、分捕り合戦になると、それに加わる人間たちは血眼になって奪い合う。

(写真:iStock.com/AndreyPopov)

私の小学校時代の同級生にも、それまではまったく自分でも無関心だと思っていたのに、いざ親が亡くなり、相続の問題が生じると、「頑張ってしまい」、弟とかなりやりあったという女性がいる。

目の前にある金が人を変えるわけで、「子どもには迷惑をかけたくない」という親の思いは、一瞬にしてうんさんしようしてしまうのだ。

 

さほど財産のない人間は、子どもに財産を残そうと考えること自体が間違っているのだ。少額の財産は、子どもを幸福にするより、むしろ不幸にする。いくら親が終活によって財産の分割の方法や割合を定めても、かえってそれが裏目に出る。

だったら、遺産など残さない方がいい。その方がよほど「子どもには迷惑をかけたくない」という思いが実現されるのだ。

財産が残るのなら、それはどこかに寄付すればいい。生前に寄付してしまえば、子どもはもうそれを取り戻すことができない。

 

このように、終活が失敗する原因には、親と子のつながりということがある。子どもが弔うことを通して親との絆を強めようと思い、親が相続を通して子どもとの絆を強めようとすること自体が大きな問題をはらんでいる。

親を弔うことが悪いとは言えないが、墓にこだわる必要はない。子どもたちが集まりたければ、墓参りを理由にする必要もない。命日などに集まれば、それでいいわけだ。少なくともそれを理由に、親本人の希望を妨げる必要などない。

親の方も、現在の社会状況において、相続がもたらす弊害の方を考えるべきだ。家1軒くらい残しても、それでは財産を譲り渡したということにはならない。

極端な場合、親の住んでいた家が古く、修理も十分になされていなくて、大規模なリフォームをしなければ、子どもが住めないことだってある。

リフォームの費用を捻出できなければ、それは廃屋である。空き家にさえ多額の固定資産税がかかるようになった現在では、不動産どころか、マイナスの「負動産」である。家の力が衰えた現状では、一般の庶民は財産など残せないと考えるべきなのだ。

関連書籍

島田裕巳『もう親を捨てるしかない 介護・葬式・遺産は、要らない』

年々、平均寿命が延び続ける日本。超長寿とは言っても認知症、寝たきり老人が膨大に存在する現代、親の介護は地獄だ。過去17年間で少なくとも672件の介護殺人事件が起き、もはや珍しくもなくなった。事件の背後には、時間、金、手間のみならず、重くのしかかる精神的負担に苦しみ、疲れ果てた無数の人々が存在する。現代において、そもそも子は、この地獄を受け入れるほどの恩を親から受けたと言えるのか? 家も家族も完全に弱体化・崩壊し、かつ親がなかなか死なない時代の、本音でラクになる生き方「親捨て」とは?

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もう親を捨てるしかない

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島田裕巳 作家、宗教学者

1953年東京都生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任。主な著作に『日本の10大新宗教』『平成宗教20年史』『葬式は、要らない』『戒名は、自分で決める』『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』『靖国神社』『八紘一宇』『もう親を捨てるしかない』『葬式格差』『二十二社』(すべて幻冬舎新書)、『世界はこのままイスラーム化するのか』(中田考氏との共著、幻冬舎新書)等がある。

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