映画「ぼくが生きてる、ふたつの世界」が9月20日から全国ロードショーになります。監督・呉美保さん、主演・吉沢亮さん、脚本・港岳彦さんのタッグとなる本作は、作家でありエッセイストである五十嵐大さんの自伝的エッセイ『ぼくが生きてる、ふたつの世界』が原作。映画公開に向けて、本書から試し読みを再掲します。ろうの両親の元に生まれた「聴こえる子ども」だった幼少期から振り返ります。
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ぼくは耳の聴こえない両親の元に生まれた。父は幼少期の病気が原因で聴力を失った後天性の聴覚障害者で、母は生まれつき音を知らない先天性の聴覚障害者だった。このような聴覚障害のある親に育てられた聴こえる子どもは“コーダ”と呼ばれる。これは「Children of Deaf Adults」の頭文字を取った言葉(CODA)で、「聴こえない親の元で育った、聴こえる子どもたち」を意味する。けれど、この言葉を知ったのは大人になってからだった。子どもの頃は、聴こえない親に育てられている子どもなんて自分くらいだ、と真剣に考えていた。
いつも、ひとりぼっちだった。
そんな環境が嫌いだった。聴こえない親のことが、嫌いだった。父は中途失聴者であるため、多少は音声でのコミュニケーションが取れる。けれど、母はまったく音を知らない。だから、特に母のことが疎(うと)ましかった。生まれつき耳が聴こえないお母さんに育てられているだなんて、誰にも知られたくなかった。とにかく恥ずかしい、とさえ思っていた。
障害者とその家族は、社会からいつも“ふつうではない”という眼差しをぶつけられる。だからこそ、“ふつう”になりたいと願ってきた。子どもだったぼくにとって、それはとてもしんどいことだった。無理解によって必要以上に傷つけられてしまうこともあった。すべて、母の耳が聴こえないせいだ。そんな気持ちがどんどん膨らんでいった。
でも、矛盾しているけれど、それ以上に母のことが大好きだったのも事実だ。
ぼくは好きと嫌いとの間で揺れ動き、ときには母のことをひどく傷つけてきた。「障害者の親なんて嫌だ」とその存在を否定するような言葉をぶつけては、彼女のことを哀しませてきた。そのたびに母は、「お母さんの耳が聴こえなくて、ごめんね」と謝る。瞬間、罪悪感が芽生える。どうしてそんなひどいことを言ってしまったのだろう。母を傷つけたいわけではないのに、うまく距離が取れない。胸が潰れそうになりながら、常に母と向き合ってきた。あの日々を形容するならば、まさに“格闘の毎日”だ。
それでも、いまは聴こえない母の元に生まれてきたことを、とても幸せなことだと感じている。母とぼくとの人生は苦しみや葛藤に満ちていたものの、驚きや発見も溢あふれていた。そしてなにより、いまは彼女との間に“ひとつの夢”ができた。それをとても誇りに思っている。
本書には、そんな聴こえない母と聴こえるぼくとの人生を綴った。ぼくらがどんな人生を歩み、なにを見つけられたのか。とある親子の格闘の歴史を知ってもらえたら幸いだ。
ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと
耳の聴こえない親に育てられた子ども=CODAの著者が描く、ある母子の格闘の記録。
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