金沢21世紀美術館で開催中の、彫刻家マーク・マンダースと画家ミヒャエル・ボレマンスによる「ダブル・サイレンス」展を見てきました。2人とも今後ますます重要度が増していくであろう、同時代に生きるビッグ・アーティストです。
さて、マンダースとボレマンスという2人の作家による美術館でのはじめてのコラボレーションの見どころは、展覧会タイトルにもあるように、この2人がまったく異なる沈黙/静寂(Silence)を響かせているところ。
では、その違いを見る前に、それぞれのアーティストの作品を見ていきましょう。
マーク・マンダースは、「建物としてのセルフ・ポートレイト」という一貫したコンセプトで作品を制作しています。
セルフ・ポートレイトとはいわゆるセルフィーですから、彼のセルフィー、つまり「彼が見せたい彼自身」を建物(Building)で表現しているということ。どうやらマンダースの作品は、「彼自身」を表現する大きな空洞の建物の中を埋めていくものとして存在しているようで、間取り図や家具の作品も制作しています。
この「空いているところを埋める」ことは、マンダース作品を象徴する行為ともいえます。彼はインタビューのなかで自身の試みを「美術史のなかにある『美しい隙間』を埋める」ことなのだと話していて、そのなかでも彼の作品は「1920年代にフィットするもの」なのだとか。
わたしはこの発言に「なんて不思議なことを言う人だ…」と驚いたのですが、たとえば架空の書架に1920年代という棚を想像し、そこに収められた作品集と作品集の隙間を埋めていく行為……と考えると、マンダースの作品はたしかにその棚にフィットしそうです。
ラウル・ハウスマンの頭部の作品や、ハウスマンと親交があったクルト・シュヴィッタースのメルツ建築、ピカソの絵画に見られる垂直の線、バウハウスのデザイン思考、ダダ的な無意味な言葉の羅列、コラージュの手法……といった1920年代の芸術の複数の要素。それらを引用するというよりは、「媒介している」のがマンダースの特徴かもしれません。
一方のミヒャエル・ボレマンスも、マンダースとは別の方法で美術史に応答しています。描き方において影響を受けた画家に、スペインの宮廷画家として活躍したベラスケスやゴヤ、優れた静物画で知られるジャン・シメオン・シャルダンなどをあげています(美術手帖のインタビューより)。
たしかにボレマンスの絵画は、ゴヤの「黒い絵」ほどあからさまではないものの、はっきりと不気味なイメージを描きながら、シャルダンのような上品さをもって、ベラスケスのような素早い筆致と明るい色使いで仕上げています。
ボレマンスによると、彼の作品は人物を描いた絵画でありながら、特定の肖像画ではなく、「人間」そのものを「レンダリング」したものなのだそう。たしかに、ファンタジーを構築しているというよりも、リアリティのなかに不穏なエラーが組み込まれているという感じ。まさに人間という概念をレンダリングしてみたら混じってしまった不協和音が可視化されています。
ボレマンスの作品を鑑賞するのは、サスペンスやホラー映画における、恐怖が最高潮に達する20分くらい手前のいや〜な違和感を味わい続けるような体験でした……。でもまたそれが癖になるんですよね。
それから、人物を描く画家であるという先入観からか、布でできたカラーコーンの作品からも人間の匂いがぬぐえません。ミトラ(司教冠)やスペインのカトリック教徒がかぶるカピロテ(円錐形の帽子)、そしてKKKの白頭巾……。人物のいない静物画なのに、鑑賞しているわたしたちのなかにある「人間に対する恐怖のイメージ」が投影されます。
さて、今回の展覧会で、両作家の共通項として持ち出される沈黙(Silence)ですが、両者のそれはまったく異なる種類の、異なる方法で生み出された沈黙、静寂です。
たとえば、いまにも崩れ落ちそうな乾きかけの粘土に見えるマンダースの彫像。実はなんと、ひびや表面の質感も含めて精巧に作られたブロンズを着色したものなんだとか! これには本当に驚きます。
崩れ落ちそうな質感は、いままさに制作中の作家が中座したようにも見えるし、修復や発掘の最中、あるいは数百年前の作品が打ち捨てられ、破壊された残骸にも見えます。
このように、人間の不在を巧妙に仕組まれた造形によって、マンダースの作品は、わたしたちが作品を見ていない時間にも、その作品が誰かとともに存在していた(していく)ことを意識させるのです(このあたりの「不在」を扱うのが、東京都現代美術館で3月から始まる個展「マーク・マンダースの不在」なのかも)。マンダースの沈黙は、作家が彫刻の表面に作り出す時間の操作から感じられるものといえそうです。
対するボレマンスの作品における静けさは、なんらかの方法で人間が「沈黙を強いられた」ことによる静けさのよう。彼が師と仰ぐベラスケスと比較すると、似通った筆致でありながらモチーフの細部が異なり、その絵の中の世界で鳴っている音がまったく想像できません。絵の中の人物に話しかけても返答してくれる気配がないし、そもそも描かれた人物が生きているのかすらわからないものも多いのです。
また、2人の作品に印象的に登場するのがテーブルです。近代の作品ではテーブルは肖像画であれ静物画であれ頻繁に登場しますが、ボレマンスの絵画におけるテーブルはただの背景や小道具ではありません。
唐突にパンを口に運ぶ少女の映像がループされる映像作品《パン》では、少女の腰から下はテーブルと一体化しているように見えます。ボレマンスは、同じようにテーブルから上半身が生えているような人物の絵を複数描いています。絵画の中で黙々と労働や生産、そして食事をしている人物を見ると、彼にとってテーブルの絵は、強制労働を強いる収容所のようなものなのかもしれないと感じられます。
また、マンダースの作品でもテーブルは繰り返し登場するもののひとつ。今回の展覧会において、マンダースのテーブルには実は脚がなく、複数の椅子によって支えられているただの板なのです。 椅子を引いて誰かが座ろうとした瞬間に成立しなくなるようなテーブルセットや、判読できない新聞などの思わせぶりで不条理な仕掛けに、なぜか引きつけられてしまいました。
緊急事態宣言中でなかなか外出しにくい状況ですが、この展覧会を見たことは今後の人生でも忘れられない経験となるはず。
今いる展示室から、隣の展示室の作品が見えるよう計算された動線も素晴らしかったので、そこにもご注目ください。
残りの会期が大変短くなっていますが、美術館という空間でこの衝撃的な沈黙を体感するのがおすすめです!
ではまた!
ミヒャエル・ボレマンス マーク・マンダース|ダブル・サイレンス
MICHAËL BORREMANS MARK MANDERS: Double Silence
期間:2020年9月19日(土)- 2021年2月28日(日)
開館時間:10:00 - 18:00(金・土曜日は10:00 - 20:00)
会場:金沢21世紀美術館 展示室7〜12・14(金沢市広坂1-2-1)
休場日:月曜日
料金[日付指定入場制]:一般1000円(1200円)/大学生600円(800円)/小中高生300円(400円)/65歳以上1000円(1000円) ※( )内は当日券料金
予約券購入はこちら
電話:076-220-2800
web:https://www.kanazawa21.jp/
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