「歌は、僕の祈りだ——。僕の心の傷みと、未来への希望……。誰にも言えなかった、そのすべてを、ここに打ち明けよう」。不惑を迎え、デビュー20周年を控えた2020年、グループを勇退したボーカリスト EXILE ATSUSHI。歌に人生を捧げた哀歓を切々と綴るエッセイ『サイン』の一部を試し読みとしてお届けします。
変化
僕は歌い手であり、歌を唄うのが仕事だと思っている。
それでも、やはりただ歌うだけでは済まされない。
カッコよく言えば、夢を売る職業でもある。チケットの代金に見合うだけの、いやそれ以上の感動や喜びを与えるのが僕の仕事なのだ。
それを、ただの若者がやり始めたわけで、だからこそ、少なくとも最初の頃はかなり無理して背伸びもしていた。
それこそ夢を壊すみたいな話だから、ほんとうはこんなことを書くべきではないのかもしれないけれど、そういう風にしてATSUSHIは生まれた。
そのATSUSHIというアーティストを、佐藤篤志という元々の僕が、ちょっと離れた場所から観察していたりする。
我ながら厄介な性分だと思うけれど、だからこそ自分が何者であるかということについて、僕は普通の人よりも考える機会が多かった。
特にATSUSHIが何者であるかということについては、その時々で考えなければいけないことがたくさんあった。佐藤篤志が、ATSUSHIとしてステージに上がるために。
そこにはEXILEならではの、特別な事情もあった。
今にして思えば、その事情というのが原因で、僕の心は壊れそうになった。
精神が崩壊するんじゃないかというくらいに──。
*
EXILEの歴史は、最初から危機の連続だった。
EXILE誕生のきっかけも、HIROさんが結成した初代のJ Soul Brothers からボーカルが抜けて直面した解散の危機だった。
J Soul Brothers 解散の危機が、EXILE誕生のきっかけになった。
最初のJ Soul Brothers はボーカル一人、ダンサー四人のダンス&ボーカルグループだった。有名な話だから詳しい説明は省略するけれど、いろんな事情があって、この解散の危機を回避するために、そこに新しいボーカルが二人参加することになった。
言うまでもなく、SHUNちゃんと僕だ。
僕たち二人はJ Soul Brothers のメンバーとなった。
けれど短期間で改名することになる。
そして2001年に、EXILEが誕生する。
売れるかどうかについては半信半疑だったし、グループとして上手くやっていけるかどうかさえまったくの未知数だった。
やる気だけはあふれていたけれど。
今もよく憶えているのは、EXILEがこれからどうなるか誰もわからなかった頃、知名度なんてほとんどなかったあの時代に、僕らメンバーは「どうする? 次のアルバムがいきなりミリオンセラーになったら」なんて、よくそんな冗談を言いあって笑っていた。
ところが、それが冗談ではなくなり、EXILEは瞬く間にスターダムへと駆け上がる。
誰もが想像した以上の成功だった。
世間の大多数の人には、あのブレイクは既定路線のように見えたかもしれない。飛行機のファーストクラスの席を予約するみたいに、日本のミュージックシーンにEXILEの座る席が決められていたのだ、と。
でも、それは錯覚だ。
世間のほとんどの人はブレイク後のEXILEしか知らないから、そういう風に見えるというだけのこと。
実際にはそんなことはまったくない。スターダムに席を確保するなんて、誰にもできることではない。なぜなら、スターダムなんてものは、現実にはどこにも存在していないからだ。
それはただ、僕たちの音楽を気に入ってくださって、アルバムを買ったりライブに足を運んでくださる方が、どれだけいるかという問題でしかない。
僕たちがやることが、どれくらい世の中に受けいれられるか。二人のボーカルと四人のダンサーという前代未聞のスタイルに、いったい何人くらいの人が共鳴してくれるのか。それはほんとうに、やってみるまでは誰にもわからなかった。
大博打と言ったら、言葉が悪いかもしれない。
他の大多数のアーティストたちと同じように、何もないスタートラインから、特別な地図も武器も持たずに、仲間だけを信じて歩き出した。とにかく成功が約束されたものなんかではぜんぜんなかったのだ。
その後、道なき道を一進一退しながらなんとか踏破して、僕たちEXILEは世の中に出た。
ところがそれはお伽噺の「めでたしめでたし」の終わりなんかではぜんぜんなくて、苦難と挑戦の物語の始まりに過ぎなかった。
有名になることがどういうことかを僕らがようやく理解し始めた頃、ツインボーカルがアイデンティティだったEXILEのボーカルの一人、SHUNちゃんが僕らと別れて自分の道を進むことを決めた。
結成6年目にして、EXILEはまたしても危機に見舞われたわけだ。
その危機をチャンスに変えたのが、僕の相方のボーカルをオーディションで選ぶという、HIROさんの、あの型破りなアイデアだった。
パフォーマーにAKIRAが加わり、僕はTAKAHIROという新たな相棒を得て、EXILE第二章の物語が始まった。
これは単純に、EXILEというグループの構成メンバーが変わったというだけの話ではない。あのときから、EXILEは常識では考えられない道を歩むことになった。
それがつまりEXILEの特別な事情──僕らは変化する道を選んだのだ。
芋虫がサナギとなり、やがて蝶になるように、EXILEというグループは変化しながら成長する道を選んだ。
第二章以降もEXILEの形は変化し続けた。2009年春には、KENCHI、KEIJI、TETSUYA、NESMITH、SHOKICHI、NAOTO、NAOKIの七人が新たに参加し、第三章がスタートする。
さらに5年後の2014年、オーディションで選ばれた岩田剛典、白濱亜嵐、関口メンディー、世界、佐藤大樹が加わってEXILEは第四章に突入する。
目まぐるしいまでの変貌を遂げることで、少なからぬ数のファンの方たちを困惑させた。「もう誰がEXILEかわからなくなった」なんて言う方もいた。
無理もない。
僕たち自身だって、戸惑っていたのだから。
メンバーが大幅に増えるだけでなく、その間に、EXILEのコアとも言うべき重要な人々が抜けていった。
第三章でまず、リーダーのHIROさんが勇退する。続く第四章でMATSU、USA、MAKIDAIの三人が卒業した。
あくまでもパフォーマーからの卒業であって、彼らがEXILEのメンバーであることは変わらない。全員が今もEXILEファミリーの一員であり、それぞれの活動を通してEXILEを支えてくれている。
そうは言っても、彼らがライブのステージに立たなくなったのは、僕にとってあまりに大きな変化だった。最初にEXILEを立ち上げたオリジナルメンバーで残っているのは、僕一人になるわけだから……。
それは僕たちに必要なことだった。
その道を選んだのは僕たち自身だ。
変化し続けることで、僕たちはEXILEを永遠のものにしようとした。
人の命が永遠でないように、どんなグループにも終わりはある。
この世に存在するあらゆるものの宿命だ。
それは必ずしも悪いことではない。
限りがあるから、命は輝く。
一年に一度しか見られない桜の開花時期になると、僕たちのホームタウンでもある中目黒の目黒川沿いはたくさんの人であふれかえる。人々が桜の花をこよなく愛するのも、満開になったと思う間もなく散っていくからだ。その一瞬の輝きが、人の心を魅了するのだろう。
命は儚い。儚いからこそ、今というこの瞬間に、命を燃やしつくそうとする。
人間も同じで、限りある命だからこそ、今を、そして人生という時間を、何よりも大切にしたいと願う。
だからグループにいつか終わりが来るのは、必ずしも悪いことではない。その終わりに向かって完全燃焼していく姿は、人々に感動を与えるに違いない。
世に数多あるグループは、きっとそういう思いで日々活動している。
それはわかっている。
けれど僕たちは、敢えてその宿命に抗うことにした。この世の唯一絶対の法則に逆らって永遠の命を手に入れ、未来永劫“EXILEの信念”をつないでいくという選択肢を選んだのだ。
EXILEを変幻自在の形のないものにするということは、ダンサーやボーカリストの卵たちが自分もいつかその一員となることを目指すことができる、ある種のチームになるということでもある。EXILEは限られたメンバーで構成されるグループから脱皮して、全国の少年少女たちの夢のステージになる。
第三章から第四章へと、世間を驚かせるほどの数のメンバーを新たに参加させながらEXILEの形が激変していったのはそのためだった。
(第一章のつづきは、書籍でお楽しみください)