「歌は、僕の祈りだ——。僕の心の傷みと、未来への希望……。誰にも言えなかった、そのすべてを、ここに打ち明けよう」。不惑を迎え、デビュー20周年を控えた2020年、グループを勇退したボーカリスト EXILE ATSUSHI。歌に人生を捧げた哀歓を切々と綴るエッセイ『サイン』の一部を試し読みとしてお届けします。
もうひとつの理由
あたりまえの話だけど、心と身体はつながっている。
僕の心は身体に変調を起こさせることで、それを知らせようとした。
自律神経失調症は、つまり僕の心の悲鳴であり、「僕の心」が「僕の身体」に送ったサインなのだ。
けれど僕は心が必死でサインを送っているのに、何も手当てをしないまま、気づかないフリをし続けていた。
いや、正確には、まったく何もしていなかったわけではない。
これも今にして思えばということだけど、以前から僕は僕なりに、自分は何者かという問いへの答えを探してもがき苦しんでいた。
そして、なんのために歌っているのかという、答えのないような哲学的な問いと、常に向きあっていた。
「日本の心を唄う」という、僕の音楽活動の新境地を見つけたのもあの時代だ。
親友に子どもが生まれ、出産祝いのプレゼントに『ふるさと』という童謡を歌ったのがきっかけだった。
童謡を歌ったのは歌手になってからは初めての経験だったけれど、歌詞の世界観と日本文化独特のメロディーが妙にしっくりきて、自分の中のDNAをも感じるような、その音楽のすべてが全身の細胞レベルにまで響いてきたのを憶えている。
久石譲さんに作曲していただいて作った『懺悔』と『天音』も、ピアニストの辻井伸行さんとの『それでも、生きてゆく』も、美空ひばりさんの『愛燦燦』のカヴァーも……。
僕はそういう曲をEXILE ATSUSHIとして歌ったわけだけれど、グループのメンバーと一緒にステージに立っているときとは歌い方が違うのはもちろん、歌っているときの心のありようもずいぶん違っていた。
それは自らの音楽スタイルを主張する作為的なものではなかったし、その必要もなかった。ただ身体から素直に声を発し、曲に導かれながら、できるだけ自然に音が響き渡るようなイメージで歌っていただけだ。
気づけば、これまで体験したことのない感覚を見つけていた。
そうして童謡を歌うことで、歌手としての自分が何者なのかを、僕は確かめていたのだと思う。
自律神経失調症と診断されるきっかけになった、あの2014年のソロライブツアー〝Music〟の際は、体調を崩して苦しみながら、また別の問いと向きあってもいた。
あのツアーに臨んだときは、自分がEXILEの中でどんな存在で、何者なのかを確かめるという気持ちが強かった。EXILEのメンバーは僕以外、誰もステージに立っていなかったから。
だから僕は敢えて、ソロのライブの後半に、EXILEの曲をメドレーにして一人で歌うことを選択した。もちろん、ソロのライブに来てくださったお客さんが喜んで盛り上がってくれるだろうという期待もあったからだけど、もうひとつ大きな理由として、自分にEXILEを背負えるかどうか、ということを確かめたかったんだと思う。
ほんとうは、一人で背負う必要なんてないのに……。
みんなで支えあってこそのEXILEだ。
なのに、僕はやたらと気負っていた。気負い過ぎた。
僕の初めてのソロのアリーナツアーということもあったけれど、それだけでなくEXILEたるものとして、自分自身の存在を身をもって体現したかったのかもしれない。
EXILEのATSUSHIとは何者かを、今までのすべてを、このステージに懸けてみせる。
はっきりとそう考えていたわけではないけれど、やはり心の底にはそういう強い思いがあったのだと思う。
これが前の章に書いた、あのツアーで僕がやたらと気負っていた「もうひとつの理由」だ。
だから僕はあり得ないくらいの無理をした。直接的にはその無理がストレスとなって、めまいと吐き気に襲われて、自律神経失調症の症状がもろに表に出てしまったのだ。
つまり僕の心が悲鳴を上げたわけだけど、残念ながら僕は耳を塞いでやり過ごそうとして、その心の叫びを聞こうとしなかった。
自律神経失調症は、完治させるのが難しいと言われる。疲れやストレスをできるだけ溜め込まないようにして、どうしても辛いときは薬で症状を和らげる。それが、いわゆる基本的な治療方針。
診断を受けてからの僕は、できる限りその治療方針に従った。自律神経失調症と一生つきあっていかなければならないと覚悟もした。
その覚悟自体は間違っていないけれど、それだけで済ませてしまって、僕は自分の心としっかり向きあおうとしなかった。つまり、EXILEと自分の関係を曖昧にしたまま、EXILEのATSUSHIであり続けたのだ。
そのツケが溜まって、それが翌年2015年に全20公演開催されたドームツアー『EXILELIVE TOUR 2015“ AMAZING WORLD”』で表面化した。
前に書いたように、この年の暮れにはMATSUちゃん、USAさん、MAKIDAIさんの三人がパフォーマーを卒業することが決まっていた。
自分の弱さを告白するようだけど、その日が近づくにつれて、僕の心は寂しさに蝕まれ、不安定になっていった。
EXILEは第四章に突入して、最初六人だったEXILEは、その3倍の十八人に膨らんでいた。その急激な変化に心が追いついていないのに、追い討ちをかけるように三人がステージから去ろうというのだ。
もう自分のアイデンティティがどこにあるのかもわからなくなっていた。
その事実をどう受け止めたらいいか、心の整理がつかないままに、そのツアーは無情にも始まってしまった。そして僕は、彼ら三人にとって最後のツアーのステージに立った。
なぜATSUSHIは歌うのか?
「なんだか……声が上手く出せないんだ。これまでみたいに、思い通りにコントロールできないっていうか」
メンバー会議で僕がそう告白すると、誰もが首をかしげた。
「そんなことないんじゃないかなあ。ちゃんといつもの通り歌えてると思うけど……」
「気合い入り過ぎて、力が入ってしまっただけじゃないですか?」
みんなが、少し言葉を濁しながらも、励ますつもりで言ってくれているのはわかっていた。
けれど、その励ましさえもが、僕には辛かった。
声が出ていないのは、自分自身がよくわかっていることだ。歌っていて息がきついし、呼吸が続かない。僕はボーカリストとして、大きな危機を感じていた。
自律神経失調症だということは会社に伝えていた。メンバーの間でも、その噂は流れていたに違いない。
僕自身も、自分が自律神経失調症になるまでは、なんとなくそれを単なる気持ちの病だと思い込んでいたからわかるのだ。鬱病もそうだけど、自分が経験しない限り、ほんとうのところは誰にもわからない。周囲に理解してもらうのが実に難しい病気だ。
自律神経失調症や鬱病の原因の多くが、心の状態にあるのは間違いない。
けれど身体に現れるさまざまな症状は、決して気のせいなどではない。
そして何よりも、「気の持ちよう」だけで治せる病では絶対にない。
自分がそうなるまでは、僕自身もそれがわからなかった。それが他人事であるうちは。酷い言い方をすれば、「根性が足りないんじゃないの」くらいに考えていた。
くよくよ気に病むのをやめて、自分一人で抱え込まないで、何事もポジティブに考えれば、自律神経失調症も鬱病も治るに決まってる。つまり、うじうじ悩む性格だから、そんなことになるのだ、と……。
僕自身がそう思っていたのだから、みんなを責めることはできない。
彼らにしてみれば、僕の気持ちをなんとか楽にしようとして、そう言ってくれていたのだから。
「ATSUSHIの歌は最高だよ。もっと自信を持ちなよ」と。
今はその気持ちを嬉しく受け止められる。
だけど、あのときはそれができなかった。
声が出なくなったのは、そのときが初めてではない。
SHUNちゃんが辞めることが決まった頃、僕の喉にポリープができた。
あのときは、キャプテンが僕すら気づかなかった微妙な声の変化を指摘してくれたことで、早いタイミングで治療することができた。
手術のために休むときにも、みんなに申し訳ないという気持ちはあったけれど、ポリープには実体がある。
だから、みんなわかってくれたし、僕も病気なんだから仕方がないと割り切ることができた。
ただ、今回の「声が出ない」というのは、あのときとは状況が違っていた。検査しても、ポリープのような実体のある病変は見つからないわけで……
今考えれば声が出ないのは、ひとつの大きな原因として、息が吸い難くなっていたからだ。当時の僕は、交感神経が活発になり過ぎていて、気づけばよく深呼吸をしていた。生きているなら普通にする呼吸すら上手くできなくなっていたのだ。
発声には背筋が重要な役割を果たす。その背筋がガチガチに固まっていて、肺に上手く空気が入っていかなかったんだろうと推測できる。ブレスが上手くできないから、息が続かない。だからもちろん声も続かないし、自分の思い通りに歌えない。
その症状は次第に酷くなって、歌手としてはあり得ないくらい声が出なくなっていた。自分ではそれをはっきり感じているにもかかわらず、いくらそのことを説明してもメンバーにもスタッフにも理解してもらえている気がしなかった。
言葉では「わかった」と言ってくれるのだけど、それなのに「でも、ちゃんと歌えているよ」と言われてしまうと、僕の言っていることをみんなが本気で受け止めていないんじゃないかと疑心暗鬼にまでなった。それが被害妄想なのは、今ではわかるけれど。
これが自分の思い込みではないことを、みんなにわかってもらいたくて、僕はいつも苛立っていた。
歌えなくていちばん辛いのは僕だ。
ここにいる誰よりも、僕自身が歌いたい気持ちで一杯なのだ。
その僕が「声が出ない」と言っているのに、なぜ向きあってくれないのか。
「ATSUSHIの言うこともわかるけど、三人の最後のステージだし、それでもなんとか頑張ってもらえないか」
これが、みんなの一致した気持ちだった。
なにしろ、これは三人のパフォーマーにとって有終の美を飾るラストツアーなのだ。
そう、僕はその大切なツアー中のメンバー会議で「声が出ないから、これ以上公演を続けられない」と言ったのだった。
(第三章のつづきは、書籍でお楽しみください)