「歌は、僕の祈りだ——。僕の心の傷みと、未来への希望……。誰にも言えなかった、そのすべてを、ここに打ち明けよう」。不惑を迎え、デビュー20周年を控えた2020年、グループを勇退したボーカリスト EXILE ATSUSHI。歌に人生を捧げた哀歓を切々と綴るエッセイ『サイン』の一部を試し読みとしてお届けします。
筋肉と休養
留学中に身体を鍛えようと考えたのは、僕なりの見通しがあったからだ。
いいことなのか悪いことなのか自分でもよくわからないけれど、僕は昔から見切りをつけるのがやたらと早かった。
サッカー選手になる夢も、高校に入ってすぐに見切りをつけた。諦めたというのではない。自分がプロになるのは無理だとわかったのだ。あの選択は間違っていなかったと思う。
そのままサッカーを続けていたとしても、僕のレベルでは絶対にプロになれなかったし、見切りをつけていなかったら、おそらく歌手にもなっていなかった。
留学についても同じだ。
語学や音楽をしっかり勉強し直すつもりではあったけれど、1年かそこらで完璧なバイリンガルになれるはずがないことはわかっていたし、歌唱力だって誰が聴いてもわかるほどはっきり上達するとは思っていなかった。
40歳前のあのタイミングで1年間集中して学ぶことが、その先の人生に必ず役に立つと考えて留学したわけで、1年間ですっかり別人になって帰ってくるなんて、そんな甘い見通しは最初から持っていなかったのだ。
ただ、僕に留学する時間をくれた仲間たちやファンの皆さんに、それでは申し訳ない気がした。語学や音楽はもちろんだけれど、それに加えて何かないか……時間をいただいたからには、何かしらの成果を持って帰らなければ。
それでボーカリストとしての僕の唯一の楽器、つまり身体を作り直すことにした。わかりやすく言えば肉体改造だ。
ウエイトトレーニングはかなりやってきたつもりだけれど、今までは基本的に自己流だった。理論なんて言えるほどのものはほとんどなかった。
あるとすれば「鍛えれば鍛えただけ、筋肉は大きくなる。苦しければ苦しいほど、効果は上がる」という、昔の高校の運動部並みの単純素朴な思い込みだけだった。
大きな怪我や故障をしなかったのは、自分が若かったからだろう。〝Music〟ツアーのときに無理してトレーニングをして痛い目に遭ったことがずっと頭の片隅にあったから、プロフェッショナルのトレーナーの指導を受けて自分の身体を根本から作り直すことにした。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」だ。
ホノルルでボディビルダーのシン・コダマさんと出会った。ハワイのボディビル大会で優勝経験もある、身体作りのプロフェッショナル。世界で最も権威あるボディビル団体IFBBのプロカードを、日本人で16年ぶり二人目に取得した凄い人物だ。
僕は時間をかけて、トレーニングの正しい知識と方法を教わった。
1日のトレーニング時間はそれほど長くない。1時間半からせいぜい2時間くらい。その代わり筋肉をいじめ抜く。筋肉に限界近くまで負荷をかけて筋肉を潰す。筋トレというのは、筋肉を破壊する作業なのだ。破壊された筋肉は修復されるのだけれど、そのとき充分な休息と栄養を摂取すると、単に元通りに戻るのではなくて、修復された筋肉は以前よりも強く太くなる。折れた骨が太くなって再生するのと、ある意味で似た現象だ。
ウエイトトレーニングの経験者なら、それくらいのことは誰でも知っている。僕が取り組んだのは、そういう基本に忠実で、効率のいいトレーニングメニューだった。
筋肉をいじめるといっても、無茶はしない。最大筋力の80パーセント程度のウエイトを、8回から12回くらい上げるのを3セット程度やるのが基本的なメニューだ。
それが筋肉のほぼ限界だから、正直言ってかなりキツイ。けれどそれぞれの筋力に合わせて負荷が決められるから、無理をしているわけではない。それで筋肉は確実にパンパンになり、筋繊維は必要充分なだけ破壊される。
徹底的に合理的で、ロジカルな内容だった。
そして、充分な栄養と休養を取ることを、トレーニングと同じくらい大切にするように繰り返し教えられた。たとえばトレーニング期間中は体重の1000分の2、つまり体重が60キロなら最低でも1日120グラムの良質なタンパク質を毎日摂取すること(僕は自分流で単純に数字を倍にすると覚えていた)。そして、筋繊維を破壊するから、トレーニング後には筋肉痛が出る。筋肉痛を起こしている筋肉には、なるべく負荷をかけないこと。
どんなに真面目にトレーニングに励んでも、栄養と休養をしっかり取らなければ筋肉は正常に回復しないからだ。
それも知識としては日本でトレーニングをしていたときから意識していたが、ちゃんと指導を受けて、改めてその重要性に気づくことができた。
なぜか日本では、栄養や休養についてそこまで真剣に考えたことはなかった。
ライブの翌日で身体が消耗し切っているのにベンチプレスで何キロ上げたとか、筋肉痛なのに無理してスクワットを何回したとか。苦しい思いをすればそれだけ、トレーニング効果が上がると思い込んでいたフシがある。
そういうやり方は見当外れなだけでなく有害でさえあるということを、僕は留学の期間中に自分の身体で学んでいった。
全身を胸、肩、腕、背中、脚の5ヶ所に分け、毎日1ヶ所ずつ鍛える。胸の日は、胸のトレーニングだけをする。翌日は背中、その翌日は脚……という具合に。だから胸を鍛えたら、次の胸のトレーニングまで少なくとも最低4日くらいのインターバルがある。
日本で自己流でやっていた頃に比べれば、トレーニングそのものにかける時間はむしろ減っていたはずだ。それでも、僕の筋肉は着実に太く強くなっていった。
筋トレは筋肉を作る作業ではない。
筋肉は休ませることによって発達する。
日本にいたときの僕にとって、休養は、たまには取ってもいいというくらいものだった。
けれど、そうではなかった。
休養は取らなければいけないものだった──。
あたりまえのことを、あたりまえに感じる喜び
不思議なもので、身体が大きくなるにつれ、考え方も変わっていった。
日本にいたときの僕にとって、脂肪は悪だった。余分な脂肪はできる限り削ぎ落とし、スリムな体形を維持することだけ考えていた。つまり、延々と減量期を続けていたようなものだ。
だから僕は痩せ過ぎていて、あの頃は常に周囲のみんなに心配されていたし、自分の身の周りに起こるさまざまなことに対してむちゃくちゃナーバスだった。
心の許容度と体格には、何か関係があるのかもしれない。
体形が変化するにつれて心に余裕が生まれた。
大会に出るようなレベルでボディメイクをしている方々は、常に自分の身体と向きあっているからこそ、自信に満ちあふれているのかもしれない。ある人が言った「ボディメイクは究極の自己管理だ」という話に妙に納得したりもした。
そうして僕は、少しずつ自分自身にもポジティブなイメージを持つようになっていったのだ。
体形の変化だけではなく、環境の変化も大きかった。
仕事に追われることなく、ただ日々を過ごすのは久しぶりの経験だ。
それ以外は特に何をしたわけでもない。
英語の勉強をし、トレーニングで汗を流し、ギターを弾き、ピアノを弾き、詩を書き、音楽を聴き、また英語の勉強をする……。
簡単に言えば、そういう淡々としたルーティンを延々と繰り返していたのが僕の留学生活。もちろん時々は、友だちと遊びに出かけたりもしたけれど。
ハワイを引き払って、ロサンゼルスに移ってからもそれは同じだ。
ちなみにロサンゼルスではAirbnb で家を借りた。
Airbnb は、個人が提供する宿を紹介するウェブサイト。オーナーが使用していない間、家をホテルのように一般の人に貸し出すシステムだ。普通の一軒家からプール付きのセレブリティの豪邸まで、いろいろなタイプの宿が登録されている。
ホテルに泊まるのとはまた少し違う感覚だけれど、複数人で泊まると時にはホテルよりやすかったり、アメリカではそれがもうあたりまえのようになっていて、いろんな意味で時代の変化を感じた。
僕が気づかないところでも、時間は流れている。
僕はなんて狭い場所で生きていたのだろう。世界はこんなにも大きく目まぐるしく変化を遂げているのに!
あたりまえのことだけど、そのあたりまえのことをあたりまえに感じられることが妙に嬉しかった。
普通の生活──それがよかった
街をただぶらぶらと歩いて、道行く人の何気ない会話に耳を傾けるとか。
海辺に座って、ぼんやりと朝日が昇るのを見るとか。
そういう何もしない時間が、僕の心と身体には必要だったのだと実感していた。
だってほんとうのことを言えば、留学するために休んだのではなくて、休むために僕は留学したのだから。
そう素直に思えるようになった。
それはつまり、休むことに後ろめたさを感じなくなったということだから。
筋肉を鍛えたら休ませなきゃいけないように、EXILEの結成から息つく暇もなく走り続けてきた僕は休まなきゃいけなかったのだ。
(第四章のつづきは、書籍でお楽しみください)