「歌は、僕の祈りだ——。僕の心の傷みと、未来への希望……。誰にも言えなかった、そのすべてを、ここに打ち明けよう」。不惑を迎え、デビュー20周年を控えた2020年、グループを勇退したボーカリスト EXILE ATSUSHI。歌に人生を捧げた哀歓を切々と綴るエッセイ『サイン』の一部を試し読みとしてお届けします。
運命の人との握手
「留学」を終えて、日本に戻ったのは2018年春のことだ。
僕にはしっかりと向きあって、クリアにしなければならないことがあった。
TAKAHIROとの問題だ。
ハワイとロサンゼルスで暮らした1年半ほどで、自律神経失調症の症状はほとんど出なくなっていた。
自律神経失調症は完全に治すことは難しいらしく、一生つきあっていかなきゃいけないわけで、だから今でも時々、それらしき症状が出ることはある。
でもほんとうに時々だし、症状も以前ほど酷くない。対処法もよくわかってきたから、それほど問題にはならない。疲れているからちょっと休んだ方がいい、という身体のサインだと思えば、むしろありがたいくらいだ。
もうひとつ、よかったことがある。
日本にいたときとは違う角度から物事を見られるようになった。
物事というのは、角度を変えて見れば、まったく違う形に見えたりするものなのだ。そんなことあたりまえなんだけれど、実際に違う角度から物事を見るという経験をしてみると、ずいぶんいろいろなことがわかるようになった。
「アメリカ的」な物の見方と、「日本的」な物の見方。
物事を一方的でなく、さまざまな角度から見ることができるようになって、ふと気づくと、自分は何者かという問題で以前ほど悩まなくなっていた。
僕は佐藤篤志であり、EXILE ATSUSHIなのだ。
そのEXILE ATSUSHIの部分で、精神が崩壊しかけていたわけだけど、その問題には僕なりに答えを見つけていた。
HIROさんの見え方も変わった。
HIROさんはずっと年上の兄貴分、というか育ての親のように感じていたけれど、考えてみればEXILEの立ち上げのときにはまだ32歳だったのだ。今の僕より遥かに若い。その若さで、あの頃からずっとみんなのことを考えて、自分を犠牲にしてきたのだ。
今度の僕の留学にしたって、HIROさんにどれだけ苦労をかけてしまったことか。
そういうHIROさんと比べて、いい歳になってもいまだにみんなを引っ張っていく自信がないなんて、腑抜けたことを言っている自分はいったいなんなのか。後輩たちに対する責任の一部でも、僕自身が背負わなきゃいけないんじゃないか。
そう覚悟を決めたら、いろんなことがクリアに見えるようになった。
だからもちろん、TAKAHIROとは和解しなきゃいけなかった。
EXILEを再起動させるために。
あのとき、彼の思いを、きちんと受け止めてやれなかったことを謝らなきゃいけない。
それはもう充分にわかっていたのだけれど、それでも出発前の小さないざこざが、喉に刺さった小骨のようになって抜けずにいた。どうしても解決できない思いが、わだかまりとして残っていたのだ。
ハワイにいたときには、ブッダの教えを読んでみたりもした。聖人の気持ちが少しでもわかれば、どう歩み寄ればいいのかわかるかもしれないと思ったから。
お互いのために、EXILEのためにも、自分のためにも、何かしなくちゃいけないのはわかっているのに、「ちょっと飲みに行こうか?」とか、「飯でも食おう」と軽く声がかけられずにいた。
そしていよいよEXILEの復活が迫ってきた頃、TAKAHIROがファンクラブ限定で行っているライブイベント〝道の駅〟が岐阜で開催されると聞きつけて、スケジュール帳を見て、この日しかないと感じた。
彼には行くと言わなかったし、マネージャーにも行くことは伝えないように言った。
会場のいちばん後ろから彼の歌を聴いて、その日は黙って帰るだけでもいいと思っていた。彼の顔を見て、挨拶をしに行くかどうかはあとから決めればいいと思っていた。
僕が着いたのは1500人規模の会場だった。すでにイベントは始まっていて、エキサイティングというよりもナーバスな緊張を感じながら、僕は会場のドアをそっと開いた。
そのステージで見たのは、EXILEの曲をものすごく丁寧に歌っているTAKAHIROの姿だった。
ほんとうに丁寧に、大切に、彼が歌っていたのがわかった。
その一瞬で、僕は目頭がジンと熱くなった。
そしてスタッフに頼んだ。
アンコールのときに、ステージに上がらせてくれ、と……。
本編が終わる一曲前に、スタッフが僕を呼びに来た。
アンコールの歓声の中、笑顔で手を振りながらステージに出ていくTAKAHIROの姿を、僕は反対側のステージ脇から見つめていた。
頑張ってるな、立派になったな……と心底思った。
先輩ぶるつもりはないけれど、彼は一般公募の中から、突如としてEXILEになったスーパースターだ。だからこその苦悩はあったに違いない。
いや、その苦悩を僕はずっと横で見てきたことを思い出した。
彼のMCのキリのいいところで、僕はステージ中央へと歩き出した。
一年半ぶりの再会だ。
「TAKAHIRO、久しぶり!」
「うわっ、ATSUSHIさん。お久しぶりです!」
TAKAHIROは目を真ん丸にして驚いていた。あれこそ本物のサプライズだ。
僕はまるで二人の絆を確かめるかのように、『運命のヒト』を一緒に歌おうと提案した。彼のバンドがその曲を演奏しているのは知っていたから。
彼がEXILEのメンバーとなり、彼が僕の相方になるきっかけになった曲だ。
1年半の歳月を経て、僕はやっと僕の大切な相方、運命の人と、改めてEXILE復活に向けての本気の握手をした。
そして、EXILEは再起動した。
新しい道
さて、ここでようやく僕の物語はこの本の冒頭のプロローグに戻る。
再起動したEXILEで、2020年1月19日の福岡ヤフオク!ドームを皮切りに始まった“EXILE PERFECT LIVE 2001 ▼ 2020” 、その大阪公演4日目──運命の2020年2月26日だ。
その日、何があったかはすでに書いた。
まだ書いていないのは、そのあとに起きたことだ。
正直に言えば、あのプロローグを書いた時点では、僕自身がまだそんな「決断」をすることになるなんて夢にも思っていなかった。
今こうして書いていても、何か奇妙な感じがする。
もちろん、いつかこの日が来ることは理解していた。
それはHIROさんも、MATSUちゃんも、USAさんも、MAKIDAIさんも、辿ってきた道でもある。自分だけが例外ということはあり得ない。
けれど、だからこそ僕には辞めるという選択肢はないと、いつからか心のどこかで思い込んでいたらしい。
僕は最後に残った、唯一のEXILEオリジナルメンバーだから。
僕がいなくなってしまったら、あの最初のEXILEの痕跡はもうどこにもなくなってしまう。
僕がEXILEであることは、自分たちが作ったLDHという会社に対する僕の責任だ。
そう勝手に思い込んでいたのだ。
はっきりそう考えていたわけではない。むしろそれは、僕の無意識の思い込みのようなものだったかもしれない。
それだけに始末が悪かった。その思い込みが、ずいぶん長いこと僕の重荷になっていた。
極端に言えばそれが、長い間、僕が苦しみ続けてきたほんとうの理由だった。
新型コロナウイルスの感染拡大で、世界は大きく姿を変えた。
その境目をいつとするかは人によって違うだろうけれど、僕にとってそれは2020年2月26日だったかもしれない。今にして思えば、コロナ以前の世界の、なんとのどかだったことか。
世界中の誰もがパンデミックの目撃者どころか体験者となり、まさに冷静と混乱の狭間でもがき苦しんでいる。
僕らエンタテインメント業界に生きる人間たちも、それは同じだ。同じどころか、この業界が直面している損失は、計り知れない打撃と苦悩をもたらしていることは説明するまでもないだろう。
あの日、僕たちは、ライブという最も重要な表現手段を奪われた。
そして皮肉にも、あのときは正解かどうかわからなかった配信ライブが、現在では多くのアーティストの活動の中心となり、例外なくEXILEも、そしてLDHの全アーティストが配信を含めたネット上での活動を模索している。
正直に言えば、2月27日以降、ライブ中止を余儀なくされた多くのアーティストたちが次々と無観客ライブを開催し、それをファンのために配信したというニュースを、僕は砂を噛む思いで見ていた。テレビをつければ、刻々と変化する感染者数や経済の状況、または感染対策の方法など、日々情報が更新されていた。
これがwith コロナ、新しい生活様式なのか……。
しかし、どこかのアーティストが無観客でライブをするなどエンタメ系のニュースが流れた途端に、トイレに行ったり、食事の準備をし始めたりして、あの日の記憶を紛らわそうとする自分がいた。テレビ画面から目を背けながらも、その音声には聞き耳を立てるような、そんな時間が過ぎていった。
この文章を書いている今も、状況は基本的に変わっていない。いつになったら大きな会場でファンの皆さんと一緒に歌ったり踊ったりできるようになるのだろう。
それはまだ誰にもわからない。
その後も、たまたまYouTube チャンネルを開設していた僕は、せいぜいその更新とインスタグラムのストーリーを日々上げていくことくらいしかできていない。オンラインであるそれすらも、緊急事態宣言中や、それが解けたあとも、自粛しているとか、ソーシャルディスタンスを守っているとか、そういった条件を気にしながら新しい生活様式を求められている。
あのとき、どうするのが正しかったのか、それは誰にもわからないことだ。
しかしあの日の僕が、いつもと様子が違ったのはきっと、今まで抑えていた感情のダムから気持ちがあふれ出し、そして決壊したからだと思う。いや、間違いなくそうだ。
ここ数年は、そんな風にEXILEに対して強く何かを思ったり言ったりするということを避けてきたから、ずいぶんと長い間、自分がそういう行動をしていなかったことに気づいて、その自分に驚かされた。
それは同時に、そういう強い気持ちでEXILEに向きあうことを、ずいぶん長い間やめていたということだ。
正直な気持ちをすべてさらけ出してしまえば、その瞬間にすべてが終わってしまうことを、僕はどこかで知っていた。だから敢えて、傍観者的な立場を取り続けていたのだ。
EXILEが存続するために。
ファンをがっかりさせないために。
EXILEの一員でいなければならないというプライドのもとに。
(第五章のつづきは、書籍でお楽しみください)