ひとり暮らしの人が、誰にも看取られることなく死んでいく「孤独死」は、悲惨な死の代名詞のように言われます。でも、本当にそうでしょうか? 医師であり医療ジャーナリストでもある森田洋之さんの新刊『うらやましい孤独死――自分はどう死ぬ? 家族をどう看取る?』(三五館シンシャ)からの抜粋をお届けします。記事の最後には、刊行記念イベントのご案内があります。
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「うらやましい孤独死」
奇妙なタイトルの本を書いてしまった。 この本を手にとられた方はどんな思いでおられるのだろうか。もしかしたら「孤独の美学」とか「孤高の生き方」などというポジティブな内容をイメージされているかもしれない。
たしかに、孤独を美化するような風潮も世間にはある。 最初にお詫びしておきたい。本書は決してそのような本ではない。一言で言ってしまえば、本書でこれから展開するのは、
「それまでの人生が孤独でなくいきいきとした人間の交流がある中での死であれば、たとえ最後の瞬間がいわゆる孤独死であったとしても、それはうらやましいとも言えるのではないか?」
という趣旨である。
さらに言えば、孤独死を過度に恐れるあまり独居高齢者が容易に施設に収容されてしまう風潮にも一石を投じたいとも思っている。
率直に言おう。いま、高齢者施設はそうした高齢者の“収容所”になってしまっている。
高齢者でも若者でも、人は人間関係の中で生きている。しかし病院や施設への収容は それまでの地域での人間関係を断ち切ってしまう。
人間がかかるもっとも重い病気は「孤独」である。 孤独は確実に健康を害する。健康を害する要因として、喫煙や肥満・アルコールなどが有名だが、じつはそれらを抑えてもっとも健康を害する因子とされているのが「孤独」なのだ。このことはいくつもの科学的調査で証明されている。
「万一、何かあったら心配」「一日でも長生きしてほしい」……。本人に良かれと思っ て誰もがとる行動が、じつは高齢者を孤独に追いやっているのだ。「地獄への道は善意で敷き詰められている」のかもしれない。
私はそんな医療・介護の現場を山ほど見てきた。
「好きなものを食べたい」「自由に外出したい」「死ぬ前にもう一度自宅に帰りたい」、そんな人間として当たり前の希望を、願っても仕方がないと口に出すこともできない。 そうした高齢者の方々をたくさん見てきた。
どんなに安全を求めても、安心を願っても、人間は必ず死ぬ。いま本当に求められているのは中途半端な“安全・安心”ではなく、その“安全・安心”の呪縛から高齢者の生活を解放することなのだ。「うらやましい孤独死」は、そのもっともわかりやすい例だろう。
本書は、現代の医療システムへのアンチテーゼとして「孤独死なのにうらやましい」 といえる事例と、その理論的背景を集めたものである。 読みながら、あなたの「孤独死」観が変化し、親や親族の最期、さらには自らの最期 について考えるきっかけになれば、こんなに嬉しいことはない。
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本書の刊行を記念し、3月3日19時から、著書『「健康」から生活をまもる』(生活の医療社)や朝日新聞アピタルの連載「ちょっと不健康でいこう」が話題のドクター・大脇幸志郎さんとのトークイベントをオンラインで開催します。詳細・お申込みは幻冬舎大学のお知らせからどうぞ。
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