いま私たちに本当に必要な勉強とは? この問いに、もっとも明快に答えてくれる人物のひとりが、60歳にして戦後初の独立系生保を開業した起業家で、ビジネス界きっての読書家でもある、ライフネット生命保険創業者の出口治明さんです。その出口さんの代表的ベストセラー、『人生を面白くする本物の教養』から、読みどころをご紹介する「出口塾」を開講します!
* * *
速く読みたいなら「量」を読め
じっくり読むことの対極に「速読」があります。効率的な読書術として一部には昔から人気があるようで、「一〇倍の速さで読める」とか「一冊を十五分で読める」などと謳ったハウツー本も少なくありません。
しかし、私は速読はおすすめしません。速読は百害あって一利なしとさえ考えています。本を読むのは人(著者)の話を聞くのと同じことです。人の話はていねいに聞かないと身につきません。何より私自身、話をしていて相手に「速読」されたら腹が立ちます。
インスタントは所詮インスタント、急ごしらえには無理があります。かけるべき時間をかけることがクオリティの高い読書につながります。多少速く読めたところで、前述したように本の内容が自分のなかに血肉化されなければ、読んだ意味がありません。ローマ帝国初代皇帝のアウグストゥスも、「ゆっくり急げ」という名言を残しています。早く情報を得たいのであれば、むしろウィキペディアで検索したほうが早いと思います。
本を読むスピードを上げるもっとも効果的な方法は、本をたくさん読むことです。と言うと禅問答のように思われるかもしれませんが、本当のことです。
たとえば、英語の文章を読むのに、英語に通じている人が読むのとそうでない人が読むのとでは、格段にスピード差が生じます。英語が堪能な人は、ほとんどの単語を知っているのでどんどん読み進められるのに対して、そうでない人は知らない単語が出てくるたびに引っかかってしまい、辞書を引かざるをえないので時間がかかるのです。
読書もそれと同じです。人名や専門用語、さまざまな概念など、知識の蓄積があればあるほど、「つまずき」が減ります。ある知人が「世界史の本を読むのにすごく時間がかかってしまった」と言っていました。その人は歴史の授業で世界史を取っていなかったため世界史の知識が乏しく、知らない人名が出てくるたびにウィキペディアで調べていたので、時間がかかって仕方がなかったそうです。
世界史の知識をある程度持っている人なら、その人がつまずいたところでもスムーズに読み進められるはずです。おそらくずっと短い時間で同じ本を読み終えることができるでしょう。本を読むのにかかる時間は、その人の知識量で決まってくるものであり、単純に目で文字を追う速度とは違うのです。
「古典」を読めば間違いない
当たり前のことですが、同じ読むなら優れた本のほうがいいと思います。スキーを教えてもらうとき、厳しいけれど優れたプロに教えてもらうのと、やさしいけれど下手な友人に教えてもらうのとでは、上達の度合いがまったく違います。それと同じです。
では、優れた本とはどういうものでしょうか。保守主義の立場から言えば(私はバークが大好きな保守主義者です)、まず、古典は無条件に優れていると言えます。何十年も何百年も、無数の人々の眼力に耐え、市場で生き残ってきたものは、いいに決まっています。
百年以上生き残ってきたものは、まず間違いがありません。どのような理由で生き残ることができたのかは個々の事情があるでしょうが、時代が変わっても価値が認められてきたわけですから、九九%クオリティの高いものと考えていいと思います。
人智・年月の淘汰に耐えて生き残ったもの、人類の経験知の集積として評価されているものが古典です。さしあたって読む本が見つからない場合は、まず古典を読むことをおすすめします。古典の定義はいろいろありますが、「岩波文庫や東洋文庫に入っている本」と考えておけば、まず間違いありません。
古典は優れたプロのコーチです。慣れるまでが大変ですが、確実に賢くなることはプロのスキーコーチに教わる場合と同じです。