ゴールデンウィーク明けに「じつはねえ」を連発していた息子だが、それから半月もしないうちに、その口癖のブームは終わったようだ。そのかわり、今は「まさに」という言い回しをときどき挟んでいる。喋っていることの幼稚さにそぐわない文語的言い回しだが、何回も聞いていると「まさに」口癖として、こちらの耳がスルーするようになる。
だいたい、こんな調子。
「みどうすじせんのかおはねえ、まさに、ニコッとしているんやで」
「カレーライス。ちーとくんは、まさに、おにくがすきなんや」
「ちちぶてつどうのいっせんけいは、まさに、こくてつキハひゃくけいなんです」
むむ、けっこう正しい言い回しをしているようにも聞こえる。あの意味もなかった「じつはえね」よりはジャストフィットなんじゃないだろうか。
語彙も増えてきて、大人の言うこともだいたい理解できるようになってきた。最初に間違って覚えてしまった単語も、ずいぶん修正されていて、親のほうが訂正されたりもする。
「ほら、ちーとくん、チボンはこうチボン」
「パパ、これはズボンですよ」
しかし、あいかわらず「エベレータ(エレベータ)」「からまわち(河原町)」などは間違ったまま会話をしている。
さて、幾つか馴染みができて、一つ一つの形を判別できるようになった「ひらがな」だが、続けて読むと一つの単語になるということも理解できたようだ。こうなると単語を読ませてみたいという親心。絵本などを使って、ひらがなをスラスラと読むことを意識させるという方法もあるが、絵本だと親子ともついストーリーや絵に目を奪われてしまうので、さいきんはiPadのとあるソフトを使って、ひらがな読みを練習する毎日である。
ちなみに、ちょうど二年前に購入した、Apple社のタブレット形コンピュータiPadの最初期タイプ。我が家では変わらず健在で、新しいアプリに性能がついていけなかったり、強制終了したりすることもときどきあるが、特に買い替えの必要に迫られることなく活用中だ。息子がひらがな読みの練習に使っているアプリの名前は「鉄道路線jp」というものだが、このソフトはGoogleマップを利用したアプリで、路線名を選ぶとマップの駅のところに赤いピンが立ち並び、特定の駅を指でタップすると、なんと「ひらがな」で駅名が表示されるのである。これで、身近な鉄道や、テレビで特集された鉄道を始発から終点までタップしてやるだけで、さまざまなひらがなの羅列を応用問題として提示することができるんである。鉄オタの息子にはピッタリだ。しかし、都心や大阪駅のあたりはちょっとゴチャゴチャしていて見にくいのではあるが。
「おおさか〜、うめだ〜、にしうめだ、ひがしうめだ、きたしんち」
一つの駅にこれだけ名前のある大阪駅っていったい……。
息子と一緒に、駅名をひらがなで表示するアプリを使っていると、存外に間違えて覚えているものがあることに気づく。濁点のあるなしを間違えているということもよくある。日本にまだまだ訪れてもいない場所が大半だということにも気づかされる。
この文字をこう読むか、というような難読駅名もあって、そういうものをひらがなで表示して見るだけで、心がふっと旅に出るような気がしてしまうこともある。
徳島県の徳島線「府中」駅。これにアプリは「こう」と表示してきた。この駅のすぐ近所の地名を見ると「国府」とあって、こちらを「こう」と読むなら抵抗がない。以前住んでいた浦安市から近い千葉県市川市には国府台(こうのだい)と読む地名もあった。しかし、徳島県の国府は、調べてみるとこれは「こくふ」らしい。そして駅名の「府中」が「こう」。現地ではそれが常識なのだろう。アプリ一つで心の立ち位置は、空間的に徳島まで飛び、時間的には律令時代まで飛んでしまう。ひらがなの読み方を教えているだけなのに、ちょっと飛びすぎかもしれないが。
さて、五月後半の息子の日常であるが、幼稚園が午後も行われるようになり、楽しく毎日通園している。制服が夏服になるのは六月からだが、その前にもう上着やベストを着用しなくなり、シャツの袖をまくる着こなしになってきている。露出部分が増えたせいで、それなりに擦り傷やひっかき傷を作ってくることも多くなった。日にもよく焼けている。昨年と比べるとなかなか逞しい。
日曜日に授業参観があったので、相棒と一緒に出向いて幼稚園の日常の風景を見せてもらった。一番身長の低い息子は、朝礼のとき列の一番前に立ち、他のコたちが「まえへならえ」をしているときに、腰に手をあてていた。それを見ていて「いちばん小さいということも、なかなかカッコいいことではないだろうか」と思えてきた。年中クラスと年長クラスは広がって体操をする時間もあり、ラジオ体操もどきの運動をするのだが、年長クラスがかなり揃って迫力のある体操をしているのに対して、年中クラスはまだまだバラけていた。きちんとできているコもいるし、全体にずれているコもいる。勝手な動きをしているコもいるし、わかるときだけ参加するようなコもいる。その中で、最初から最後まで棒立ちで、観察しているだけで自分は体を動かさないコドモが何人かいた。うちの息子がまずそうです。それから仲良しのコたちがやっぱり不参加の様子だった。
家に戻ってから、そのときのことを息子に訊いてみると「ぼくは、みているんです」と言っていた。自分なりに考えて、今は観察をすることにしているらしい。
もう一つ、息子を初めて美術館に連れていくというイベントも経験した。大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室というところで、佐伯祐三氏の絵を集めた展覧会があったのだが、休館日を利用した親子鑑賞会が開催されるということで、それに応募したところ当選した。相棒と息子と三人で美術館鑑賞ということになったのだ。
息子にとっては、初めての美術館。美術館デビューということになるのだが、さてどうだろう。あいかわらず電車の絵しか描かないものの、絵を描くことに楽しみを見出しているようであるし、曲りなりにも僕も相棒も絵の学校を出て、絵を描くことに関連する仕事をしている。どうだ、息子。美術館で名画というものを見るんやで?
到着するまでは大好きな阪急や御堂筋線に乗れて、ゴキゲンだった息子だが、心斎橋に着いて出光のマークのあるビルに入るあたりから、どうも雲行きが怪しくなってきた。
展示室に到着して、パスやシールをもらって、三つのおやくそく「はしらない」「おおごえをださない」「えにさわらない」を約束させられたあたりから、なんだかとてもモジモジとした表情になってしまった。
そして、少し照明の落とされた館内を歩き始めると、最初は小さな声で、
「かえりたい。でたい。でんしゃにのりたい」
と主張を始め。
「あかん。おやくそくをまもって、絵を見なさい」
と僕が促したあたりから、だんだん不愉快な感じが盛り上がってきたらしい。
「いやだ。こんなとこ。かえる。かえりたい。うぇー」
とつないだ手をふりほどくように、のたうち回り始め、すぐに手をふりほどいて床のジュウタンの上でゴロゴロと転げ回り、地団太を踏んでしまったのである。まあ、久しぶりに見るパニック泣きだ。
もっとも、他にも同じようなコがいて、やっぱりぐずって泣いていた。親子鑑賞会とは得てしてそういうものになるらしい。これが通常の開館時間に連れてきたのだったら、大迷惑で平謝りというところだ。もちろん、親子鑑賞会でも、きちんと鑑賞できているコもいるわけで、じゅうぶん僕らは赤面をさせられたのではあるが。
パニック泣きが収まってきたあたりを見計らって、相棒が息子に「アンケート用紙」と「色鉛筆」を渡したところ、休憩スポットのようなところで、ゴリゴリと電車の絵を描いて、それで気分を落ち着かせていたようだった。その間に、僕らはお目当ての絵を少しだけ見て回ったが、とてもゆっくり鑑賞できるような状況ではなかった。
美術館でヘソを曲げた息子は、その後心斎橋を歩くことも拒否したので、楽しく心斎橋をブラブラするという第二の目的も断たれ、僕らはまた御堂筋線に乗ってとぼとぼと兵庫まで戻ることになったのだった。親子鑑賞会、十五分は持たなかった。僕の好きなクラシックコンサートにも、親子鑑賞会が催されることもあるんだが、あれは時間的拘束が長いから、もっと難しいかもしれないなあ……。
しかし、今はダメでも、一年もするとまた成長するのである。今度は現代美術でもどうや?
ツレ&貂々のコドモ大人化プロジェクト
『ツレがうつになりまして。』で人気の漫画家の細川貂々さんとツレの望月昭さんのところに子どもが産まれました。望月さんは、うつ病の療養生活のころとは一転、日々が慌しくなってきたのです。40歳を過ぎて始まった男の子育て業をご覧ください。