肩がキリキリと痛むという症状に悩まされ続けている僕だが、地元の温泉に通い続けているうちに、少し軽快してきたような気がする。夕食後、まだ明るいうちに(西日本の初夏の日はなかなか暮れない)息子を連れて入浴施設に行く。お風呂屋さんというものがそれほど好きでなかった僕だが、この年齢になってこんなに足しげく通うことになるとは、と不思議な気分だ。
「ぼく、幾つや?」
「よんさい」
「あー、いちばん可愛いさかりやなー。お父ちゃんと一緒にお風呂か、えーなぁ」
息子がお風呂で地元のお年寄りと会話をしているのを聞きながら、自分はひたすら塩っぽくて茶色い「金泉湯」で肩と背中を温める。温泉で温まると、家の風呂とは違って夜半までぽっかぼっかと温かみが残る。
入浴施設の客層は色々だ。近所の常連さんのお年寄り集団の他にも、登山でわざわざ六甲山を縦走してきた人だとか、地元の大学生で体育会系の若者とか、マッチョ系の人もけっこう多い。近隣からの観光客もいらっしゃるし、地元のお勤め帰りのお父さんお兄さんもいる。ときどき息子と同じくらいの年齢の幼児もいる。息子は広い風呂が大好きだ。食事が終わると「きょうは、おふろ、いく?」と訊いてくる。
自宅のお風呂に「あいうえお ひょう」を貼って文字を読む練習をしたせいか、息子はお風呂に入るとどこでも文字を探し出して読んでみるクセがついている。なので、壁に貼ってある注意事項を読んだり(よくそうのまわりではしらないでください。カランはゆずりあってつかいましょう)、温泉の成分表記のようなものを読んでくれとねだったり(ナトリウムえんかぶつれいこうせん)なんとなく文字と触れ合う時間になっている。
お風呂上がりには、喫茶コーナーでミックスジュース。バナナや桃やメロン、冷凍マンゴーなどをミキサーに入れてガリガリと作っている。土曜日はミックスジュースが値引きの日だ。こんなものを楽しむのも関西ならではと言える。
温泉と言えば、6月末から7月の最初に、僕と相棒と息子で南海電鉄の沿線を電車で乗りまくり、高野山の宿坊に泊まるという鉄道雑誌の仕事も舞い込んで来た。豆鉄道オタクになっている息子に来たような仕事なので「息子に仕事が来た」と大喜びしたが、原稿は僕が書いて、相棒が漫画を描いていたので、いつもの仕事と似たようなものではある。
それでも息子が鉄道に乗って喜んでいる様子をよく観察した。高野山は下界に比べてずいぶん涼しかったし、天気も雨になってしまったが、ここでも温泉があってたっぷり温まることができた。息子は高野山の温泉では、デラックスさに釣られていったん女湯に入ろうとしたのだが、直前に恥ずかしくなってしまったらしい。僕が一人で男湯に入って、シャンプーで頭を洗っているときに、着替え室の方から「パパー、やっぱりこっちにきたよー」と呼ぶ声が聞こえ、僕は(パパと言ってるし、あれはうちの息子やろな、やっぱそうやろな)と慌てて頭をすすぐ羽目になった。近眼でメガネを外して風呂場に入っているので、かなりドタバタと難儀したものだ。
まあ、そんなハプニングもあった高野山の温泉だが、関西はあちこちに名湯がある。有馬温泉もそうだし、県内には城崎温泉なんてのもある。これから少しずつ温泉を開拓していくのも楽しそうだ。息子は鉄道、パパ温泉、なんてね。
ところで今回、初めて高野山で知った説話なのだが「かるかや父子の物語」というお話がある。ものすごーくかいつまんで語ると、今から千年前、自分が生まれる前に高野山に出家して去ってしまった父親を探して、石童丸という十四歳の男の子が高野山にやってくる。かるかや道心というお坊さんが自分の父親にソックリだというウワサを聞いたのである。探し回って、そのかるかや道心に会うことができるが、実は父親であるにもかかわらず、かるかや道心は真実を語らず、適当な墓石を指し示して「それがお前の父の墓だ」と言ってしまう。その後、母も亡くして天涯孤独となった石童丸は、また高野山にやってきて、剃髪してかるかや道心こと僧侶「円空」の弟子「道念」となる。しかし、本来父子であるこの師弟は、生涯師弟としての関係のみを続け、円空は決して自分が親であることを明かさなかったのだという。長野には円空が最初に彫り、死後息子であった道念の彫った親子地蔵というものがあるそうである……。
……なんだろうこの話は。父と息子というのは、かように厳しい関係であるというお話なのだろうか。あるいはこの物語、父親である円空が人間関係全般に関して割と弱いところが際立つお話なので、そういうところも妙に気になりはする。しかし、結局なんだかよくわからない。わからないのであるが、千年も前から伝えられている父子の話というのは、きっと何かを含んでいるのだろうか。
高野山にはこの説話を絵巻にしたり、意匠にしたものをあちこちで見た。そして「かるかや饅頭」というお土産になって売られているのも見た。かるかや道心は海老蔵のようないい男に描かれていて、石童丸はオカッパ頭の美少年に描かれていた。千年前のお話だが、意匠として描かれたときは江戸時代の浮世絵のようになっていた。それが「かるかや父子」のイメージだ。わかりやすい。師匠が実は父親で、弟子が実は息子。でも親子であることをひた隠しにして、厳しい修行を続ける師弟。そんな父子に憧れつつも悲劇と感じ涙したのだろうか? そんな「かるかや父子の物語」を高野山で知ることができたのだった。
さて、7月に入ると、幼稚園でも七夕だ。クラスの数だけ大きな笹が園庭に立てられて、そこに色とりどりの短冊が飾られる。年少クラスの短冊は、先生が一人一人から聞いて代筆しているらしい。年中クラスの短冊は「ねがいごと」は先生の代筆だが、自分の名前を園児本人が書いているものが多い。そして年長クラスとなると、「ねがいごと」までもが園児の手によって書かれている。ヒラガナの部品が足りなかったり、ときどき裏表ひっくり返っている文字が書かれていたりもするが、ちゃんと読めるのである。すごいなあ、と思う。ちなみにうちの息子は、ちょっと成長が遅いので自分の名前も先生に代筆してもらってました。ということは年少クラスと一緒やなあ。
息子の「ねがいごと」は「でんしゃのうんてんしゅさんになりたい」と書かれていた。息子は息子なりに四年と半年生きてきて、そして初めてなりたいものができたのらしい。コドモらしい夢だが、十分実現可能そうじゃないか。でも、その夢はどれくらい続くんだろうか?
ツレ&貂々のコドモ大人化プロジェクト
『ツレがうつになりまして。』で人気の漫画家の細川貂々さんとツレの望月昭さんのところに子どもが産まれました。望月さんは、うつ病の療養生活のころとは一転、日々が慌しくなってきたのです。40歳を過ぎて始まった男の子育て業をご覧ください。