百歳を超えてもなお第一線で制作に励んだ美術家の篠田桃紅さんが、一〇七歳で逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。老いに潔く向き合い、ただ生きるだけでなくどう生きるかを貫いた桃紅さんの珠玉のエッセイ集『一〇三歳になってわかったこと』から、心に響くメッセージをお届けします。
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歳相応という言葉がありますが、百歳を過ぎた私には、なにをすることが歳相応なのかよくわかりません。
しかし、「年甲斐もなく」とか、「いい歳をして」とか、何歳でなにをするかということが人の生き方の指標となっています。
たとえば、ムダに歳をとっていない。派手な身なりなどをしていると、歳のわりには若づくりをしている。おそらく私のことも、「いい歳をして、まだあんなこと言っているのね」と言う人はいるでしょう。人を批評するのに、年齢はたいへん便利な言葉です。
私は歳には無頓着(むとんちゃく)です。これまで歳を基準に、ものごとを考えたことは一度もありません。なにかを決めて行動することに、歳が関係したことはありません。この歳になったからこれをしてはいけない、この歳だからこうしなくてはいけないと思ったことがないのです。自分の生き方を年齢で判断する、これほど愚かな価値観はないと思っています。
私の女学生時代は、「いい歳をした」若い女性はお嫁に行くものだとされていました。戦前でしたので、二十三歳までに結婚しないと条件が悪くなると言われました。二十五歳を過ぎたらオールドミスと疎(うと)んじられ、私のまわりは、みな、卒業と同時に、親が決めたお見合い相手に嫁いでいきました。ところがほどなくして戦争が始まり、友人は、新婚早々、夫が戦死して戦争未亡人となって、舅姑とその家族に奉公する人生を送ることになりました。「いい歳」だからと結婚したことが、悔いを残す人生となってしまったのです。
私が、自由に作品をつくることができるようになったのは、戦後になってからのことで、三十代後半になっていました。初めて個展を開いたのは、戦後の混乱期で、四十歳を過ぎていました。その後、四十三歳で渡米しましたが、この渡米がきっかけとなり、私の作品は世界中に広まることとなりました。当時は、女性が仕事をスタートさせるのにはたいへん遅い年齢でしたが、自らを年齢で縛りつける生き方をすることのほうが、私には不思議でした。
こうして私が長生きしているのも、自らの人生を枠におさめなかったことが、幸いして、精神的にいい影響を及ぼしているのかもしれません。
杭に結びつけた
心のひもを切って、
精神の自由を得る。
自分の年齢を考えて、
行動を決めたことはない。
一〇三歳になってわかったこと
生きているかぎり、人間は未完成。大英博物館やメトロポリタン美術館に作品が収蔵され、老境に入ってもなお第一線で制作を続けた現代美術家・篠田桃紅。「百歳はこの世の治外法権」「どうしたら死は怖くなくなるのか」など、人生を独特の視点で解く。