百歳を超えてもなお第一線で制作に励んだ美術家の篠田桃紅さんが、一〇七歳で逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。老いに潔く向き合い、ただ生きるだけでなくどう生きるかを貫いた桃紅さんの珠玉のエッセイ集『一〇三歳になってわかったこと』から、心に響くメッセージをお届けします。
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百歳を過ぎると、人は次第に「無」に近づいていると感じます。
その一つに、私は作品を描き始めると、一切、なにも思わなくなりました。作品と私の間には筆があるだけで、ただ描いているだけです。
それは、筆が勝手に描いているという感覚で、なにかを表現したい、想像したい、造形をつくりたい、といった私の意識はどこにもありません。描いているという意識すらもありません。
無意識のうちに、自然にできあがっていた。しかも、これまで見たことのない、まったく新しい境地の作品です。
このことを無理矢理、意味づけるとしたら、今まで何十年来と一生懸命に生きてきたから、あらゆる角度からさまざまな表現の試みをしてきたから、過去の集積からこぼれ出た、とも言えるでしょう。あるいはまったくのただの偶然にすぎない、とも言えるでしょう。
先日、「どうしたら死は怖くなくなるのか」と若い友人に尋ねられました。
私は「考えることをやめれば、怖くない」と助言しました。
どうせ、死はいつか訪れると決まっています。そう遠からず、私も死ぬだろうと、漠然とですが、思っています。
人は老いて、日常が「無」の境地にも至り、やがて、ほんとうの「無」を迎える。それが死である、そう感じるようになりました。
考えるのをやめれば、
なにも怖くない。
ただ「無」になる。
歳をとるにつれ、
日常に「無」の境地が生まれてくる。
一〇三歳になってわかったこと
生きているかぎり、人間は未完成。大英博物館やメトロポリタン美術館に作品が収蔵され、老境に入ってもなお第一線で制作を続けた現代美術家・篠田桃紅。「百歳はこの世の治外法権」「どうしたら死は怖くなくなるのか」など、人生を独特の視点で解く。