緊急事態宣言が発出された夜に作った名曲「緊急事態宣言の夜に」で、「大切な人をなくしたくないんだ」と歌ったミュージシャン・さだまさし。コロナ禍における、想いと行動の記録を綴った新刊『緊急事態宣言の夜に ボクたちのコロナ戦記2020』より試し読みをお届けします。
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64人の観客を前に歌う
再開に向けての僕らのルール作りを模索するなか、まずは試験的に実際のコ ンサートで試す機会はないものかという気持ちが強まってきました。
そこへ大きなチャンスがやってきました。東京藝術大学の澤和樹学長からの 提案です。
「今回のコロナ禍で、若い芸術家が藝術の上でも経済的にも本当に苦しんでい る。藝大が行ったクラウドファンディングに募金して下さった方々の中から、人数を限定して公開するチャリティイベントを開催するので、一緒にやって下さい」
「僕でよければ、喜んで!」
こうして8月2日、「若い芸術家支援のための活動」として、東京藝術大学の奏楽堂でチャリティイベントが行われました。
1100人収容の奏楽堂にお客様はたった64人。
藝大スタッフが知恵を絞り、お客様にはホール中央より後ろの座席に、4席 おきに座っていただき、決して密にならない環境を作り上げました。
そうなるとステージ前の客席は誰も座らないので、がらんとして寂しくなります。ここで東京藝術大学大学院教授の籔内佐斗司先生が力をお貸し下さったのです。籔内先生は文化財保存学の権威で、平城遷都1300年祭の公式マス コットキャラクター「せんとくん」の作者としても有名な方です。籔内先生が 製作された『平成伎楽団』という作品があります。「伎楽」は上代に中国から もたらされた音楽ですが、平安時代以後、少しずつ忘れ去られてしまいました。
籔内先生は、この伎楽を「時代を超えて」現代に復活させるべく想像力に溢 れた「かぶり物」を製作。2009年に『平成伎楽団』という仮面芸能集団が結成されました。
その『平成伎楽団』が使用する籔内先生の作品(かぶり物)たちを、ホール前部の客席に、あたかもお客様がお座りになっているかのように座席に座らせて下さったのです。
ペンギンやオオカミ、天狗のかぶり物。ステージから眺めたら、そのなかに「せんとくん」もいました。
ステージから眺める客席をご存じない方には想像していただくしかありませ んが、実際のコンサートでもこの客席のように、ペンギンやオオカミ、天狗や せんとくんに「見えてしまうお客様」が確かにいらっしゃるのです。おっとこれはまことにどうも失礼(笑)。
というわけで、この日は平成伎楽団と64人のお客様を迎えました。
ニューアルバム『存在理由~ Raison d'être ~』から、1曲歌い終えたとき に拍手が沸き起こりました。
僕はその拍手の音に驚きました。1100人のホールに 人のお客様となれば、当然パラパラッとした寂しい拍手になると思い込んでいましたが、なんと 満席のコンサートホールの拍手の音とそう違わないのです!
「たった 人なのにこんなに熱い拍手が起こるのだ」とただただ感動した、気 持ちのいい拍手でした。『平成伎楽団』の皆さんたちも一緒に拍手をしてくれていたのでしょうね。
東京藝術大学奏楽堂でのチャリティイベントを終えた夜、「ああ、コンサートを開きたい」という意欲がふつふつと込み上げてきました。
少ない客数で良いから安全なコンサートを成功させれば、ほかの音楽家たちも動き出せるのではないか。
「日本で一番沢山コンサートをやってきたんだから、お前が先に動け」という声は仲間たちからも聞こえてきていました。「いつ頃から歌い始めるの?」という声も届きます。
みんな怖いのです。感染症を広げてしまったら、という恐怖と、今始めたら 一部の人々から批判を浴びてしまうのではないか、という二重の恐怖です。
僕にも実際に行う勇気はなかなか湧いてこなかったのですが、この時に「い やいや、やれる。やるべきだ」という思いが強くなりました。
そのために現実的できちんとした対応策を考えよう!
東京藝術大学奏楽堂で、僕は大きな決意の源をもらったのです。
涙の直前キャンセル
僕は8月17日に名古屋国際会議場のセンチュリーホールで、観客を入れてコ ンサートを行うと決意していました。
これは毎年行ってきた風に立つライオン基金の「高校生ボランティア・アワ ード」と共に、基金の財政を応援するための「チャリティコンサート」です。
「高校生ボランティア・アワード2020」はコロナ禍で無念にも開催を見送り、2020年 月にWEB大会を行うことにしましたが、チャリティコンサ ートそのものは行うつもりでいました。
名古屋国際会議場センチュリーホールは、我々の支援活動に極めて理解のあ るホールです。
2011年、東日本大震災で放射能被害を受けた福島県への支援コンサートを行った際(南こうせつ、一青窈、山崎まさよし、スターダストレビュー、さだまさし)、意気に感じて、なんと会場使用料を全額チャリティして下さった のです。
その後もさまざまな支援に関するお付き合いが深まり、今年国際会議場で行う高校生ボランティア・アワードとセンチュリーホールで行うチャリティコンサートも「共同主催者」として無料で貸して下さることになっていました。
今年は人が沢山集まる「高校生ボランティア・アワード」は実現不可能です が、チャリティコンサートは「風に立つライオン基金」のためにもどうにか実 現したいと思っていました。
その頃のガイドラインでは、コンサートを行う際の観客数は定員の50%以内とされていたのです。
名古屋国際会議場センチュリーホールの定員は3000人。50%でも150 0人。
それほどのお客様に来ていただければ、コンサートとしても成立するだろうし、そのコンサートを「有料配信」すれば、もしかしたら基金のために若干の 収益が出せるかもしれない。
もし収益が出なくても、僕らにとっては「コンサートを行う」ということが 大切な一歩であると考えたのです。
2月13日の滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールを最後に止まっていた「コンサー ト」という時計がようやく動き出すのです。
しかし、8月に入って再び、感染者が急激に増加してしまいました。
そして名古屋国際会議場センチュリーホールがある愛知県は、県独自の緊急 事態宣言を発出するという事態になってしまいました。
世の中の動きを注視しながら、コンサート開催の1週間前まで「行うつも り」で頑張りましたが、世論の流れとして、この日に「観客を入れて開催する」ことを諦めました。そしてコンサートは無念だけれども「無観客」で行うことにしよう、と方針転換。
コンサートの模様は有料配信されることが発表されていましたし、配信チケ ットも発売されていましたのでキャンセルはできません。「配信のためのコン サート」に向けて全力を尽くす決心をしました。
しかし今の事態を冷静に考えてみると「無観客」でコンサートを開催するた めに、メンバー、スタッフ、総数30人以上が東京から名古屋へ移動することに なります。そのこと自体が、愛知の方々にとっては迷惑なのではないかということに思い至ったのです。
「名古屋国際会議場センチュリーホール」に相談したところ、快く「では今年 は諦め、改めて是非また来年やりましょう」と言って下さったので、我々は名古屋へ行くことを中止しました。
そして「配信のためのコンサート」はほかの会場で、と頭を切り替えたわけ です。急に状況が変わったとはいえ、コンサートが1週間後に迫った8月10日になってからの「遅すぎる決断」。既に入場券をお買い求め下さったお客様に は払い戻しをさせていただくことにし、「移動しないで済む」東京都内でライ ブ配信が出来る場所を探し始めました。
コロナ禍により、ほとんどのコンサートが中止もしくは延期になっていたとはいえ、僅か1週間で代替のホールを探すことは殆ど不可能と考えましたので、 配信だけ行うのならばたとえばレコーディング・スタジオのような場所でも可 能ではないか、などとあらゆる可能性を探りました。
ところが、ありがたいことに我々の窮状を聞いて、東京都府中市にある府中の森芸術劇場が配信ライブ会場としての使用を許可してくれたのです。僕のコンサートで毎年使わせてもらっている素晴らしいホールです。
ホール側と相談し、配信のための設備もギリギリ間に合いました。しかしど の会場で行っているかは、コンサート終了まで非公開にすることにしました。 配信中に会場名が出てしまうと、万が一会場に集まる人がいないとは限らない ので「密」を防ぐため、「都内某所のコンサートホール」という形で、無観客 コンサートを開催しました。
何もかも急なことでしたので、配信チケットを何万人もの人が買って下さったわけではありませんが、このコロナ禍で僕らが「出来る限りのこと」を実現 させた第一歩だったと思っています。