宮崎智之さんの話題の新刊『平熱のまま、この世界をに熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)は、自分の弱さと日常に目を凝らすことがもたらす創造性を描いたエッセイ。随所に引用された文学作品は、魅力的な読書案内にもなっています。この連載では、平熱を楽しむための2冊を、毎回のテーマにあわせて宮崎さんが選書、ご紹介します。第一回は、「退屈な日常を喜びに変えてくれる本」をどうぞ。
日常にあえてつくる縛りは楽しい遊びだ
◆『パリのガイドブックで東京の町を闊歩する』1、2号(友田とん、代わりに読む人)
◆『舌鼓ところどころ/私の食物誌』 (吉田健一、中公文庫)
日常は退屈である。しかし、退屈は贅沢なものでもある。そして見え方が変われば退屈な日常も喜びになるのだ、ということを教えてくれたのが、友田とんさんの文芸エッセイ『パリのガイドブックで東京の町を闊歩する』1、2号である。
著者の友田さんは、ある日、「パリのガイドブックで東京の町を闊歩しよう」と思った。そんなことはタイトルを見た段階からわかるのだけど、本書を読んで驚いたのはとくに明確な動機もないらしい。しかも、1号の段階では、歩きだしてすらいない。
いや、厳密には歩いているのだが、「パリのガイドブックで」ではない。フレンチトーストの話ばかりしている。さすがに2号では少しは歩いているような気がするが、心許ない感じが残る。また、次第に読書論の様相も呈してくる。
そのうち、不思議と「パリのガイドブックで東京の町を闊歩する」という前提を疑わなくなってくる。目線が友田さんと一緒になってくる。
なかなか展開が進まなくても、「いやいや、そんなに焦る必要はないですよ!」と、友田さんに声を掛けたくなってくる。文芸、読書、町、人、食べ物などを通して友田さんの思考が流れ込んでくると同時に、「せっかくここまで粘ったんだから、『パリのガイドブックで東京の町を闊歩する』という突飛な着想について、もう少しじっくり考えましょうよ」と、このプロジェクトをなんとか完遂してほしいような、してほしくないようなと、謎の共犯意識が芽生えてくる。「パリのガイドブックで東京の町を闊歩する」という縛りで暮らすのは視野の限定などではなく、むしろ広げる行為なのだ。
『舌鼓ところどころ/私の食物誌』は、吉田健一の二大食味随筆を、中公文庫が没後40年の記念としてまとめた一冊。
『舌鼓ところどころ』収録の「食べものあれこれ」で吉田は、「(…)食通などというものにはなりたくはないものである。例の、何は何という所のに限るという奴で、それに比べれば、秋刀魚は目黒に限ると考えた殿様の味覚の方がどれだけ健全か解らない」と記している。
落語「目黒の秋刀魚」では、殿様は鷹狩の途中で、当時、庶民の食材とされていた秋刀魚を目黒でたまたまで食べた。それ以来、秋刀魚を所望するようになって、家来が日本橋の魚河岸で用意し、小骨を抜いたり、蒸して脂を落としたりした秋刀魚を口にするが、まったく旨くない。それで殿様は「秋刀魚は目黒に限る」と言ったという滑稽噺である。
この噺はどちらかというと殿様の無知が笑いの対象になっているが、吉田は「(…)目黒で秋刀魚を本当に秋刀魚らしく焼いたのを、それも鷹狩で一日を過ごした後で食べて、それこそ秋刀魚というものだと断定した殿様は、その味覚が確かであることのみならず、それ故に心底からの食いしんぼうだったことを示している」と評価している。だから、全国各地の旨いものを綴った『私の食物誌』には、各地の名産だけではく、「信越線長岡駅の弁当」や「岩魚のこつ酒」といったものも取り上げられている。「長浜の鴨」は僕も食べたことがあり、「ただ何か出しを入れた鍋で煮て食べるだけのことであるが、それが鴨の味がする」という感想に、激しく首肯する。本当にその通り過ぎて、首がもげそうなほど頷いたものである。
しかも、巻末にはご丁寧にも地域別の目次までついている。吉田の食味随筆を片手に、友田さんにパリを闊歩してもらうしかない! と閃いたが、そんなことをしなくても、『舌鼓ところどころ/私の食物誌』を頼りに近くの商店街を歩いたり、スーパーで食材に目を凝らしたりするだけで普段とは違う発見がありそうだし、そんなふうに鮮魚コーナーを眺めてみるのも楽しそうだ。
読書は時に、日常の見え方や風景を変えてくれるのである。そして、その町のガイドブックがその町を歩くガイドになるだけではく、文芸、読書論などのガイドにもなるように、実はどんな本も日常を変えるガイドブックになり得ることを教えてくれる二冊である。
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平熱のまま、この世界に熱狂したい
世界を平熱のまま情熱をもって見つめることで浮かびあがる鮮やかな言葉。言葉があれば、退屈な日常は刺激的な場へといつでも変わる。
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