百歳を超えてもなお第一線で制作に励んだ美術家の篠田桃紅さんが、一〇七歳で逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。老いに潔く向き合い、ただ生きるだけでなくどう生きるかを貫いた桃紅さんの珠玉のエッセイ集『一〇三歳になってわかったこと』から、心に響くメッセージをお届けします。
* * *
私には、五十年来、手元に置いている書があります。
「わが立つそま」
文学の上で、この言葉は、自分が立ちうる場所、自分が立っている場所を意味します。
「そま」は漢字で「杣」と書き、滑り落ちそうな山の斜面にある、ほんの少し平になった場所を指します。修行僧や登山に入る人たちが、ほんのひととき安心して休める所で、昔は木こりを杣人とも言っていました。この「杣」という言葉を用いて、最澄は比叡山に延暦寺を建立したとき、歌を詠みました。
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の仏たち
我が立つ杣(そま)に冥加(みょうが)あらせ給(たま)へ(新古今和歌集)
自らが立つ杣に、仏の恵みをお願いします、と最澄は祈ったのです。
山の斜面に見つけた、つかのま安心できる小さな場所を、自分が立ちうる場所という意味に重ねたのです。
人生は長く、平坦ではありません。それこそ山あり谷ありです。そのなかで、やっと、つかのま安心できる小さな場所を見つけた。そのことに感謝し、神仏のお恵みがありますようにと、いつの時代も、祈る心は変わらないのでしょう。
そして、最澄に継いで、のちに四回、延暦寺の座主(ざす、僧侶の最高職)に就いた前大僧正 慈円(さきのだいそうじょう じえん)も、わが立つ杣を歌に込めました。
おほけなく憂うき世の民におほふかな
我が立つ杣に墨染(すみぞめ)の袖(千載(せんざい)和歌集)
小倉百人一首にも選ばれている歌なので、馴染みがあると思います。「おほけなく」は、「我が身に過ぎることですが」という意味で、「憂き世の民におほふかな」は「この世の人々を思う」。墨染の袖は僧侶の衣ですから、慈円は出家することで、自分の立ちうる場所を見つけた、と歌ったのです。
人生のなかで、自分が立ちうる立場は、そうどこにでもあるわけではありません。それだから、ようやく得たときは、感謝の思いを歌に込めています。
私が今の場所に引っ越したとき、「わが立つそま」を書き、書斎にかけました。ある日、どうしても、と所望する若い友人に譲りましたが、百歳を過ぎて、私の手元に戻ってきました。自分の「わが立つそま」、これは私の手元にあるべきものだなと、今は手放さず大事にしています。
人生は山あり谷あり。
ようやく平地を得たとき、
感謝して大事にする。
どんな斜面にも、
つかのま安心できる場所がある。
一〇三歳になってわかったこと
生きているかぎり、人間は未完成。大英博物館やメトロポリタン美術館に作品が収蔵され、老境に入ってもなお第一線で制作を続けた現代美術家・篠田桃紅。「百歳はこの世の治外法権」「どうしたら死は怖くなくなるのか」など、人生を独特の視点で解く。