百歳を超えてもなお第一線で制作に励んだ美術家の篠田桃紅さんが、一〇七歳で逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。老いに潔く向き合い、ただ生きるだけでなくどう生きるかを貫いた桃紅さんの珠玉のエッセイ集『一〇三歳になってわかったこと』から、心に響くメッセージをお届けします。
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私みたいに長く生きれば、やっぱり長く生きてよかったと思います。と言っても、まだ死んでいるわけではないので、死んでしまったほうが幸福だったのかもしれません。
人にとって、生きているのがいいのか、死んだほうがいいのか、誰にも判断はつけられません。私も、命があったからこういうことにも出会えたと、長生きできてよかったと思うこともあるし、なにもこんなめにあうのなら、長生きなんてするものではなかったと思うときもあります。
人生は、なにが一番ほんとうにいい生き方なのか、はっきり言える人はいないと思います。でも最後に、いろいろあったけれども、やっぱり私はこうでよかったと、自分自身が思える人生が一番いいだろうと思います。まだまだいっぱいやりたいことがあったのに死ぬのか……、と思うのは悲しいことです。
歌人の与謝野晶子は、自分の人生を楽しむのに、少し自分の力が足りていないと歌いました。
人の世を楽(たのし)むことに我が力少し足らずと歎(なげ)かるるかな
明治から昭和にかけて、あれだけ精力的に生きて、人生を謳歌した与謝野晶子ですら、冷静に自分というものを客観視して、足りないと言ったのです。
ご存知のとおり、彼女は当時の新しい女性でした。大阪府堺市の老舗和菓子屋「駿河屋」に生まれて、お見合いが世の常識だった時代に、歌人の与謝野鉄幹(てっかん)と恋愛結婚をします。
それだけでもたいへんなことでしたが、彼女は新しい短歌のスタイルをつくり、時代を牽引しました。作家、歌人、評論家として八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍をしながら、女性も教育を受ける自由をと、男女平等の教育を訴えた思想家としてもよく知られています。
「私達は愛に生き、藝術(げいじゅつ)に生き、学問に生き、労作に生きる限り、人生を決して空虚なものとも、倦怠(けんたい)なものとも感じません。人生の楽みは是等(これら)の文化生活のなかに無盡蔵(むじんぞう)であるのです」
これは、与謝野晶子が、高弟の中原綾子が最初の歌集を出したときに寄せた一文です。人生の楽しみは無尽蔵です。
あそこへ行きたいと思ったら行く。それしかないです。生きているうちに、やりたいことはなるべくしておく。私のような歳になると、やれることとやれないことがでてきます。
ですから、体が丈夫なうちは、自分がやっておきたいと思うことはどんどんやったほうがいいと思います。
そうすれば、死ぬとき、思い残すということが少ないかもしれません。
人生を楽しむためには、人間的な力量が要(い)ります。
人には柔軟性がある。
これしかできないと、
決めつけない。
完璧にできなくたっていい。
人生の楽しみは無尽蔵。
一〇三歳になってわかったこと
生きているかぎり、人間は未完成。大英博物館やメトロポリタン美術館に作品が収蔵され、老境に入ってもなお第一線で制作を続けた現代美術家・篠田桃紅。「百歳はこの世の治外法権」「どうしたら死は怖くなくなるのか」など、人生を独特の視点で解く。