百歳を超えてもなお第一線で制作に励んだ美術家の篠田桃紅さんが、一〇七歳で逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。老いに潔く向き合い、ただ生きるだけでなくどう生きるかを貫いた桃紅さんの珠玉のエッセイ集『一〇三歳になってわかったこと』から、心に響くメッセージをお届けします。
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これまで私は、長寿を願ったことはありませんでした。死を意識して生きたこともありません。淡々と、生きてきました。
今でも、死ぬときはこうしよう、死ぬまでにこういうことはしておきたい、などなに一つ考えていません。いつ死んでもいい、そう思ったこともありません。なにも一切、思っていません。
先日、死生観は歳とともに変わるのかと、若い友人に尋ねられました。
私は、私には死生観がないと答えました。
彼女はたいへんびっくりしていました。
考えたところでしようがないし、どうにもならない。どうにかなるものについては、私も考えますが、人が生まれて死ぬことは、いくら人が考えてもわかることではありません。現に、私になにか考えがあって生まれたわけではありませんし、私の好みでこの世に出てきたわけでもありません。自然のはからいによるもので、人の知能の外、人の領域ではないと思うからです。
さすがに病気にならないようにしようということぐらいは考えます。しかし、死なないようにしようと思っても、死ぬと決まっています。死んだ後の魂についても、さまざまな議論がありますが、生きているうちは、確かなことはわかりません。人の領域ではないことに、思いをめぐらせても真理に近づくことはできません。それなら私は一切を考えず、毎日を自然体で生きるように心がけるだけです。
生まれて死ぬことは、
考えても始まらない。
人間の知能の外、
人の領域でないこともある。
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一〇三歳になってわかったこと
生きているかぎり、人間は未完成。大英博物館やメトロポリタン美術館に作品が収蔵され、老境に入ってもなお第一線で制作を続けた現代美術家・篠田桃紅。「百歳はこの世の治外法権」「どうしたら死は怖くなくなるのか」など、人生を独特の視点で解く。