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日本野球よ、それは間違っている!

2021.03.20 公開 ポスト

ロッテ・佐々木朗希 初登板の謎広岡達朗

プロ野球開幕まで2週間となった3月12日、ロッテの2年生投手・佐々木朗希が初めて実戦に登板した。岩手県大船渡高校時代に球速163キロをマークしたドラフト1位は、入団後1年近く一軍に帯同しながら、公式戦の登板は二軍も含めて一度もなかった。

2年目の今季も、3月5日の実戦形式練習で最速152キロを計測したが、対外試合の登板は12日の中日戦が初めてだ。この日は最速153キロを出し、1イニングを三者凡退に抑えたが、お披露目はこの1イニングだけだった。

昨年は一軍で「自習生活」

 

県立高校で花巻東高校時代の大谷翔平(エンゼルス)より速い球を投げた大器を二軍で実戦経験を積ませることもなく、一軍で「自習」だけさせてきたのはおかしいではないか。しかも2年目のオープン戦初登板は1イニングで、最速153キロでは怪物ではなく、普通の投手だ。

ここで思い出すのは高校時代、夏の甲子園大会岩手県予選決勝戦に佐々木が登板回避したことだ。試合は大谷の母校・花巻東高校に大敗して東日本大震災の被災地・大船渡の甲子園出場の夢は消えた。

当時の監督は決勝戦でエース佐々木を温存した理由について、「故障を防ぐため」「この3年間のなかで一番壊れる可能性が高いのかなと思った」「本人は、私が投げなさいと言えば投げたと思うが、私はその決断はできなかった」と語っている

私はこの事態を、著書で「私が“大谷二世”の出現に喜ぶ半面、いちまつの不安を感じるのは、この長身の青年に漂う、ひ弱さである」と書いた

なぜ高校時代から10キロもスピードダウン?

当時の監督が選手の将来について最大限、配慮したのはわかる。しかしその後、新人投手に対し、親鳥が卵やヒナを抱くようなロッテの姿には過保護の匂いがする。

高校時代に163キロの速球を投げた投手がいま、153キロしか出ないのはなぜか。ロッテはこれまでどんな指導をし、佐々木はどんな練習をしてきたのか。

ただ私は、スピードガンがすべてだとは思っていない。スピードが130キロだろうと140キロだろうと、生きた球を投げる投手は成功する。逆に150キロだろうが160キロだろうが、最初(初速)から終わり(終速)まで同じスピードだったら打たれる。

つまり「生きた球」とは「伸びのある球」ということだ。スピードガンでは遅くても、球が打者の近くでスッと伸びると打者は振り遅れる。そういう球が投げられない投手は成功しない。

体力不足でノースロー

ロッテに入団後の佐々木は春のキャンプから昨年の公式戦が終わるまで、一軍に帯同し続けた。

この間、投球練習は行ったが、ロッテ担当記者によると、5月26日の登板(シート打撃)のあと、疲労の回復が思わしくなかったためしばらくノースローを続け、7月にキャッチボールを再開。ブルペンで投球練習を始めたのは10月に入ってからだったという。

私は中日戦の1イニングしか見ていないが、初実戦の佐々木は身長190センチの体が大きいだけで、まだ子どものような印象を受けた。あれだけ騒がれて入団した新人を、一軍に帯同するだけでこれまで実戦に使わなかったのはプロじゃない。アマチュアだ。

まだ体ができていないなら「大学か社会人で体を作ってから来い」といえばいい。それでもドラフトで指名・採用したのなら、二軍で体と技術をしっかり鍛えてから一軍に上げたらいいのに、戦力として使えない投手を1シーズン一軍に置いたのはおかしい。

この方針はチーム全体の流れや先発投手の過ごし方を学ぶためだというが、疲労で4か月も投げられなかった投手を一軍に帯同させたのは順序が逆だ。

巨人の大器・秋広も二軍で基本を学べ

同じような大男が巨人にもいる。身長2メートルで、なお成長中の高卒ルーキー・秋広優人である。二松学舎大学附属高校卒の内野手・秋広は甲子園出場経験はなく、ドラフト5位で入団した。

まだ18歳のビッグサイズはキャンプ中の紅白戦や練習試合で実績を残してマスコミの寵児(ちょうじ)となった。オープン戦が進むにつれてヒットが減り、19日時点で打率は.200まで下がったが、開幕を控えて一軍級の投手が出てくるのだから、ビギナーズ・ラックがいつまでも続くわけがない。

プロの体は筋トレより野球で作れ

秋広は長身だが体が柔らかく、バットコントロールもいいが、佐々木と同じように線が細く、下半身を中心に技術的な問題も多い。スポーツ新聞には「巨人で高卒新人の開幕一軍は王貞治以来」と気の早い見出しが躍っているが、プロ野球はそんなに甘い世界ではない。

甲子園優勝投手で人気抜群だった王も初めはプロの壁に苦しみ、打者としては3年間芽が出なかった。秋広も地に足を着け、二軍で体作りから励んだほうがいい。

ただ勘違いしてはならないのは、体を作るのは筋トレと肉食ではない。佐々木も秋広も、長い野球人生を乗り切るプロの体は野球で作れということだ。

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広岡達朗

1932年、広島県呉市生まれ。早稲田大学教育学部卒業。学生野球全盛時代に早大の名ショートとして活躍。54年、巨人に入団。1年目から正遊撃手を務め、打率.314で新人王とベストナインに輝いた。引退後は評論家活動を経て、広島とヤクルトでコーチを務めた。監督としてヤクルトと西武で日本シリーズに優勝し、セ・パ両リーグで日本一を達成。指導者としての手腕が高く評価された。92年、野球殿堂入り。『動じない。』(王貞治氏・藤平信一氏との共著)、『巨人への遺言』『中村天風 悲運に心悩ますな』『日本野球よ、それは間違っている!』『言わなきゃいけないプロ野球の大問題』(すべて幻冬舎)など著書多数。新刊『プロ野球激闘史』(幻冬舎)が好評発売中。

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