百歳を超えてもなお第一線で制作に励んだ美術家の篠田桃紅さんが、一〇七歳で逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。
自分の道を追い求め、最後まで現役を貫いた桃紅さん。その凛とした強い姿勢から紡がれる珠玉のエッセイ集・第2弾『一〇三歳、ひとりで生きる作法』より、感動のメッセージをお届けします。(連載『一〇三歳になってわかったこと』もあわせてお読みください)
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室生犀星(むろう・さいせい)の詩の一節に、「けふも母ぢやに叱られて すもものしたに身をよせぬ」(今日も母に叱られて、すももの木の下に身を寄せた)というのがあるが、叱られたり、なにか悲しいことがあるときなど、家族から身を隠す場所が、庭とか、家のなかとか、どこかにあったものだ。
裏庭の木の陰や、屋内なら、納戸の前の裏廊下の突きあたり、というような人のあまり来ない、いわば無用の空間。
そこは、子どもでも大人でも、やり場のない思いのあるときなど、ふと気がつくといた、というような場所であった。そういう場所はふしぎとなつかしい。
少女の頃の家を思い出すと、茶の間、客間といった空間の思い出よりも、一人ぽつんといた階段横の板敷きとか、留守番をおおせつかって、寂しく、裏窓の下にうずくまっていた日のこと、そういう時間のほうが鮮やかに思い出される。
板敷きのうす暗さ、冷たい踏み心地、裏窓のガラス戸を開けると、窓下のどくだみの花が強く匂ったことなど、 私の感覚は昨日のことのように覚えている。
たまたま一人にされ、そういう空間で、少女は少女なりの、あるいは大人になりかけたときなりの、「人」とか「生」とかへの思いを育んだ、そういう時間だったのではないかと思う。
一人のときばかりでなく、姉や友だちとも、当人たちにとっては深刻な話をして、身の上にかかわる後々の話もした。
なぜ自分たちの部屋でなく、そこで話をしたのか。そういう場所だと話す気になるのか。人間と、空間の機能とのかかわり合いを考えさせられる。
きっと少女にとって、食卓とか勉強机とかのない、つまり日常から離れた場所は特別で、大人たちには聞かれたくない話、 なんとなく隠微なものを秘めた話は、家のなかでも一番陰気でうす暗い、人気(ひとけ)の少ない裏窓下、板敷きの湿った匂いがふさわしかったのだ。
そういう空間が今の住まいには少ない。
幼い者のためばかりでなく、老いた者にも、そういう場は要るのだ。居間とか寝室とか一応の機能を持つ部屋同様、そういう無用の場が要る。ともすれば、目的を持った部屋より、もっと大切なものかもしれない。ほんとうはムダではないのではないかと思う。
家庭を持たない私ですら、いつも無用の場を求めている。
人の目的意識や、建築家の空間処理の手から漏れたような場所、そういう場が家のなかに欲しい。だが意図してそういう空間をつくることは、たいそうむずかしいことらしい。
*室生犀星―(1889~1962年)詩人、小説家。