百歳を超えてもなお第一線で制作に励んだ美術家の篠田桃紅さんが、一〇七歳で逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。
自分の道を追い求め、最後まで現役を貫いた桃紅さん。その凛とした強い姿勢から紡がれる珠玉のエッセイ集・第2弾『一〇三歳、ひとりで生きる作法』より、感動のメッセージをお届けします。(連載『一〇三歳になってわかったこと』もあわせてお読みください)
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以前にくらべて、心を留める音が、身辺に少なくなったような気がする。
心を留める、というのは、その音にふと心が惹かれることで、あらかじめ聴こうとして聴く音楽もあるが、どちらかというと自然の音。たとえば、風の音とか波の音。そして人がなにげなく立てる物音のたぐいである。
とにかく、都会ではやたらといろいろな音が押し寄せてきて、なかには心惹かれる音も混ざっているのかもしれないが、 さまざまな騒音にかき消されて、心耳(しんじ)を澄ます、というような音には、なかなか出会わない。
人は、コンクリートの箱のなかに住み、外部の音は遮断できたつもりでも、空調機は機械の音を立て、インターホンや携帯などの電話も機械音。昔の訪れの人声、門や格子の開閉の音も耳にしなくなった。
私は、少女の頃、隣室の母の立てる物音に耳を澄ましたのが、心を留めた音の始まりだったように思う。
母がなにか片づけものをしていたらしい。キュッ、キュッ、と紐を締める断続音が快く聴こえたのは、キュッ、キュッ、が生き生きとした弾力ある音で、リズムがあったためでもあろう。きっと心楽しく片づけものをしていたので、まだ若かった母の心のリズムだったかもしれない。きものの衣擦れ、畳の上を摺る足音、扇をはたはたとさせる音など、よき音、として心惹かれた。
人と人のかかわりも「おとずれ」「おとなり」と「おと」という言葉から始まる。しかし、その音を機械に任せてしまってから、人と人のあいだも、あわれが浅くなったような気がする。
戸に霧雨のあたる音、落葉や霜を踏む音、熊笹を吹き分ける風。昔は毎日、そんな音に囲まれて暮らしていた。
学校まで小一時間、私は姉と歩いて通っていたが、霜も踏めば若草も踏んだ。竹の皮がぱさりとはがれる音を、藪のそばを通るときどきに聴き、はっとした。橋の下をゆく小流れの雪解けの水音も聴いた。
今でも、そら耳にそういう音を聴くことがあり、堪えがたいほどに、その頃がなつかしくなる。目よりも耳に宿る印象は強いように思われる。
町のなかも、筆をつくっている店の前を通ると、いつも竹を切る音がしていたし、数珠を磨いている家の、珠と珠との擦れる、かそけき音などは、ふしぎと鮮やかに耳によみがえる。
人が立てる物音、自然の音。それらの持つ深い息づかい、繊細さ、豊かさ、そういうものが聴き取りにくくなったことは寂しい。機械の音が、失われたそういう音に代わりえるかどうか、疑わしい。
私は、音をかたちに置きかえるような気持ちで筆をとることも多い。音を墨いろに託すのであるが、特にその意識なく描いた墨いろから、音が聴こえてくることもある。それらはいつも遠い日の音である。
生前、モダン・ジャズ・カルテットのジョン・ルイスさんが、
「あなたの墨の色のなかには、私が表現したいと思っている音がある」と言ってくれたことがあったが、遠い日の音は、古今東西、人の心を留める魅力を持っているように思う。