百歳を超えてもなお第一線で制作に励んだ美術家の篠田桃紅さんが、一〇七歳で逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。
自分の道を追い求め、最後まで現役を貫いた桃紅さん。その凛とした強い姿勢から紡がれる珠玉のエッセイ集・第2弾『一〇三歳、ひとりで生きる作法』より、感動のメッセージをお届けします。(連載『一〇三歳になってわかったこと』もあわせてお読みください)
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「墨に五彩あり」という中国の言葉がある。
目に見える色はこの世にかぎりなくあるが、墨はあらゆる色を含んでいるという意味である。つまり、空の青さは、青の絵の具よりも、太陽の赤は、赤の絵の具よりも、墨が真実の色を表現しえる、と言っているのである。
墨は目に見える色を、人の想像力で、心の色に置きかえることができるからだ。
私は、昔から歌人、會津八一(あいづ・やいち)さんの歌が好きで、よく書いてきたが、會津さんは自宅の庭で、長年、真っ赤な葉鶏頭(はげいとう)を育てていた。葉鶏頭は背丈よりも高く生長し、色も実に見事なものだったらしく、燃えるような赤色に、道を行く人が足をとめ、感嘆の声をあげていたほどであったという。
手塩にかけた葉鶏頭を、會津さんは赤い絵の具ではなく、「からすみを いやこく すりて」と、唐墨を濃く磨って描いた、という歌を書き残した。葉鶏頭の真実の色を、墨に託したのである。
私は、葉鶏頭を歌った會津さんの書を遺品として譲り受け、表具して、十月になると、床の間に掛けていた。
私も、會津さんと同じ思いを抱いている。
八十年以上、富士山を眺めているが、あのあらゆる色を含む赤富士を目の当たりにすると、絵の具で描き表わすことは到底できない神妙さを感じる。
真実の色は、見たいと希(ねが)う人の心のなかでしか、再び、会うことはできない。
*會津八一―(1881~1956年)歌人、美術史家、書家。雅号は、秋艸道人(しゅうそうどうじん)、渾斎(こんさい)。