新型コロナなど感染症予防に力を発揮する、いま注目の「ダチョウ抗体マスク」。
その開発者で京都府立大学学長、獣医学の博士でもある塚本康浩氏の新刊『ダチョウはアホだが役に立つ』が話題だ。
ここでは本書から一部を紹介する。ダチョウを研究しようと牧場をおとずれた塚本青年を待ち受けていた事実とは?
* * *
野心家じいちゃん連合との出会い
ダチョウ牧場「オーストリッチ神戸」は広さ約1万坪。サッカーフィールド4つ分ぐらいあります。初めて行ったときは、丘陵地にダチョウが放し飼いにされている光景に度肝を抜かれました。
オーナーの小西さんはなんともダイナミックでおおらかなじいちゃんです。
「ダチョウの研究をしたいんで、ときどきここに来てもかまいませんか?」
そう申し出ると、ニコニコ笑って、
「好きにしてええよ」
と快く受け入れてくれました。
小西さんはもやしや豆類などを作る会社を創業し、息子さんに社長をゆずって会長職についていました。
もやしの製造過程で出荷に適さないものが出ると、それらは産業廃棄物になるそうです。その処分に年間で2億円くらいかかるといいます。
じつはダチョウはマメ科の植物が好きなんです。それを知った小西さんは「そや、ダチョウを飼うたろ」と思いつきます。出荷できないもやしを食べさせ、最終的に肉として売り出せるなら、鳥だけに一石二鳥ちゃうかというわけです。
そこで相談したのが友人の田中さんでした。
田中さんは田中さんで、将来この近辺に地下鉄が通るらしいというウワサを信じて、「今のうちに土地を買っとけば大もうけできるんちゃうか」と踏んだんですね。そして買った土地を空き地にしておくのももったいないから有効利用しよう、と考えた。
こうして野心ある2人のじいちゃん連合が、ダチョウ牧場をはじめたわけです。
ところが実際は最初からつまずきっぱなしだったようです。南アフリカからヒナを輸入し、関西国際空港にいそいそと迎えに行ったら3割は死んでいた。鈍感力の高いダチョウでも、さすがに長距離の移動がこたえたのでしょう。
生きていた23羽をトラックの荷台に載せて神戸の牧場に着いたら、なぜか20羽になってたそうですわ。何度数えても、数があわない。高速道路で落ちてしまったんでしょうね。野良ダチョウになってたりして……。
そんなダチョウ牧場に現れたのが、大学院を修了して間もない不肖・塚本康浩だったというわけです。神戸のダチョウ牧場に通っては、夕方に大阪の大学に行く、という生活が始まりました。
ぼーっと眺めること丸5年
最初はひたすらダチョウをぼーっと観察する日々でした。僕はもともと鳥が好きですし、ダチョウを動物行動学的な研究の対象にして、それで論文が書けたらええなと思ったんです。
「ときどき来てもええですか?」なんて言ってましたが、実際はほぼ毎日通っていました。家から近くもないのに、平日も週末も片道1時間以上かけて、ついダチョウ牧場に足が向いてしまうんです。
当時すでに結婚していましたが、ヨメはんも獣医ですし「もともとヘンな人間やし、しゃあないなぁ」くらいに思ってたんちゃいますか。
ダチョウ牧場で働いているのは田中さんのところの社員です。土建業だから、いかついガテン系の兄ちゃんばかりでした。
アホみたいにぼやーっと口を半開きにして飽きもせずダチョウを眺めている僕のことを、初めは敵でも見るような目で見てましたわ。
僕は獣医なので、ケガをしたダチョウがいれば治療もします。ダチョウはアホやからよく頭を木にぶつけて、血腫ができたりするんです。
ある日、その血の塊におもむろにメスをザクッと入れて、わざと派手めに血を噴き出させ、デキる獣医感を演出しながら治療してみました。
すると「あいつ、やるやん」と、兄ちゃんたちの僕を見る目が変わりました。僕のたくみな刃物使いとふき出す血が、彼らの心にぐぐっと刺さったようです。おかげで兄ちゃんたちとも打ち解け、受け入れてもらえるようになりました。
そんなこんなで通うこと5年。ダチョウの行動の規則性を探ろうと観察を続けた結果、規則性がない、という規則だけがわかりました。
前に書いたみたいに家族がぐちゃぐちゃに交じっても誰も気ぃつかへんし、意味もなくみんなで走ったり、とにかく行動が支離滅裂。いつもわやくちゃで、わけのわからんことしか起こりません。どないしても行動をパターン化することができないのです。
若い学者にとっての5年はかなり重要です。その間、論文をいっこも書いてへんわけやから「なにしとんねん」という話です。
それにじいちゃん連合にも研究のためという名目で5年も勝手に牧場を使わせてもらった末、今さら「何もわかりませんでした。撤退します。ほなサイナラ」とはさすがに言えません。
「この先どないしたらええんやろう」という焦りが込みあげてきました。
そこで動物行動学をいったん頭から追い払うことにしました。なんかほかにダチョウで研究できること、ないやろか。
するとまず頭に浮かんだのが、殺しても死なないような強靭(きょうじん)さです。あんなにアホやのに絶滅せず生き延びてこられたというのは、体の中に、ほかの生き物にはない強さの秘密があるんちゃうか。
ひょっとしてそこに鉱脈があるんちゃうか、とひらめきました。
大発見の予感
前も書いたとおり、ダチョウは大ケガをしてもめったに死にません。傷から感染症になることもなく、いつの間にか治ってしまうし、病気らしい病気もせず長生きします。
大学時代から鳥の感染症を研究していた僕は、ダチョウの強さはいったいどこからくるのか、俄然興味がわいてきました。
そこで鳥が感染するコロナウイルスをダチョウに注射してみたところ、ものすごいスピードで抗体ができたのです。おおざっぱに言うとほかの動物の半分以下の時間しかかかりません。
ダチョウはとんでもなく自己治癒力が高く、抗体を作る能力がずば抜けている。もしかしたらこれはすごい発見ちゃうか。ちょっと震えがきましたわ。
そやったらダチョウさんの血から抗体を精製して、ニワトリがウイルス性の病気にかかるのを防ぐ研究を始めるのはどうやろ! 進むべき道が見えた気がしました。
それにですよ、研究目的ということであれば、いよいよ大学でダチョウを飼えるかもしれへんわけです。「ここはなんとかがんばらなあかん」と、むくむくと下心が湧いてきます。
そこで「ニワトリのコロナウイルスである伝染性気管支ウイルスの診断薬の可能性を探る」という題目で実験計画書を書きあげました。なにしろダチョウの飼育がかかっとるわけです。もう、渾身の力を振り絞って書きましたわ。
大学の委員会に提出したところ、まんまと、いや、運よく飼育が認められました。
右腕となる青年のスカウトに成功
ただ、大学でダチョウを飼うとなると、手伝ってくれる学生が必要です。そこで指導している学生のなかで目をつけたのが、当時大学院生だった足立和英君です。
足立君は水の中の生き物が好きで、本当はイルカの研究をやりたかったようですが、当時は川に棲んでいるコイから環境ホルモンの実態を明らかにする研究をしてました。
環境ホルモンの研究だから、汚い川であるほどいいわけです。元エジプト陸軍の軍人だったエジプト人留学生と彼と僕で、大阪のきったない川に行き、足立君に綱をつけて橋からぶら下げて全身ドボンと川に落として、コイを獲ったこともありました。
バラエティ番組で体張ってるお笑い芸人でもなかなかせえへんでしょう。通りがかった人はリンチか殺人事件の現場やないかと勘違いしたかもわかりません。
ところが、そこまでしても研究がなかなかうまくいかず、当時足立君は行き詰まっていたんですね。
「足立君、大学でダチョウ飼おう思うとるんやけど。コイはちょっとおいといて、ダチョウの研究やらへんか?」
すると渡りに船とばかりに、二つ返事で
「やります!」
こうしてまんまと足立君という協力者を得たわけです。僕はダチョウに乗るのもうまいですけど、人を乗せるのもうまいんです。
さっそく神戸の牧場に行き、生後3ヶ月のメスのダチョウを3羽購入。こうして、世界一大きい鳥を飼うという長年の夢を叶えることができたわけです。
* * *
爆笑必至の科学エッセイ『ダチョウはアホだが役に立つ』好評発売中!
ダチョウはアホだが役に立つの記事をもっと読む
ダチョウはアホだが役に立つ
2021年3月17日発売『ダチョウはアホだが役に立つ』の最新情報をお知らせいたします。