「酔いどれ小籐次留書」シリーズ
佐伯泰英 幻冬舎文庫 各¥630
豊後森藩下屋敷の厩番・赤目小籐次は、酒の失態から奉公を解かれ、浪人の身となってしまう。しかし、それこそが小籐次の狙いだった──。孤高の浪人の壮絶な闘いを描く、人気時代小説シリーズ。NHK BSプレミアムで連続ドラマ化。最新作『状箱騒動』では、うづと太郎吉の祝言で仲人を務めた小籐次は水戸へ旅立つが、街道筋で藩主の状箱が盗まれたことを耳にする。
電車の中で、新聞で、テレビで
最近気になる、あの文庫本
私事で恐縮ですが、書評を書かせていただいている仕事柄、誰がどんな本を読んでいるのかが気になって仕方ありません。
特に電車の中です。通勤、通学、旅の途中の皆様が手にしておられるのは文庫本が多いのですが、カバーがかかっているためタイトルが見えません。 なので開いておられるページを気付かれないようにチラ見しますと、やはりといいますか、若い方々は人気作家さんのベストセラー作品を読んでおられることが多いですね。福山雅治が天才学者をやっているあの本とか、阿部寛が刑事をやっているあの本とか……人気ありますねぇ。あ、でも司馬遼太郎の本にもちょくちょく出合います。歴女歴男はまだまだ健在だなあと。
でも残念ながら若者の多くが見入っているものは言うまでもなくスマートフォンであるわけでして、そうなると文庫本を手にしておられるのはオジサマ方ということになります。で、そのオジサマ方が熱心に読んでおられるものに時代小説が多いのです。
これまた私事ですが、新聞をめくると書籍関連の広告に目が行ってしまいます。最近、一面にドーンと出ているのは「佐伯泰英○○シリーズ」。NHKでも時代劇を放送しておりますが、佐伯先生の作品が原作となったものがありました。大人気なのです、佐伯先生の時代もの文庫本。
歴女ではないし……のアナタ
そんなのもったいないですよ
今回、ご紹介いたしますのは、佐伯泰英先生の「酔いどれ小籐次留書」シリーズ(幻冬舎文庫)です。
歴史には興味ないし、時代ものって「水戸黄門」とか「大岡越前」とか、お年寄りのものでしょうって声も聞こえてきそうです。でも待ってください。このシリーズには本好き女子のツボにはまりそうな要素がてんこ盛り。読まず嫌いは損なのです。
まずは作者、佐伯泰英先生をご紹介しましょう。一九四二年生まれ。『闘牛』でデビュー後、ハードボイルドなタッチのミステリー作品を手掛けていかれます。あれ、と思うでしょう。そうなんです。佐伯先生は最初から時代小説ではなく、紆余曲折を経て人気作家となられたお方です。そういった経歴をお持ちの先生ですから、描かれる時代小説の世界も、ベタな時代ドラマではありません。ドキドキハラハラのリーダビリティで、格好いい男の生き様をしゅっと書いておられるのです。これがですねえ、読んでいて実に気持ちいいのですよ。まずは「時代小説=古くさい」といった固定概念を取っ払って「酔いどれ小籐次留書」シリーズを手にとっていただきたいのです。
ちなみに歴史小説との違いを説明しておきますと、坂本龍馬や織田信長といった実在する歴史上の人物が史実に基づいて描かれているのが歴史小説です。時代小説は(時には実在の人物も登場しますが)江戸時代を中心に、架空の登場人物が現代小説のようにエンタテインメント的な展開を繰り広げるもの、と認識していただければと思います。
ハリウッドばりの激渋オヤジ
赤目小籐次にキュンとなる
さて、前置きが長くなりましたが「酔いどれ小籐次留書」を紹介いたします。
主人公は赤目小籐次、四十九歳。シリーズ開始時の描写で説明しますと「五尺一寸(一五三センチ)の矮躯(わい く)を一層貧弱に見せているのは大顔だ。禿げ上がった額に大目玉、団子鼻、両の耳も大きい」。
え~っ、がっかり……。
これが現代劇なら、リストラ間近の残念な感じのオジサンということになりましょうか。
ですが小籐次は違います。先祖伝来の秘剣「来島(くる しま)水軍流」の達人、向かうところ敵なしの剣の使い手なのです。「ハゲていて、強くて、格好いいオヤジ」をハリウッドスターで挙げてみましょう。ブルース・ウィリス、ニコラス・ケイジ、ショーン・コネリー……うう~ん渋い。それがどんな苦難にあっても決して屈さず、とにかく強い。死なない。「24」のジャック・バウアー顔負けの不死身っぷり。
その小籐次が自らの名を知らしめたのはシリーズ第一弾の「御鑓(お やり)拝借事件」でした。他藩主から辱めを受けた主君の恨みを晴らそうと、敢えて脱藩。大名行列を襲って各藩の大事な御鑓を奪い、彼らから詫びを取り付けるといった奇策に出たのです。
以後、各藩の恨みをかった小籐次は多くの刺客に命を狙われることになりますが、その対決シーンのひとつひとつが格好いいのです。たとえば第一弾の『御鑓拝借』ラストでの、こんな場面。
「つつつっ
と右斜めへと走り込みつつ、次直(つぐ なお)二尺一寸三分を抜き差した。
赤目小籐次の破れ傘を能見の豪快な上段打ちが襲い、陽炎(かげ ろう)が海上を逃げ去るようにゆらめき抜かれた小籐次の次直が能見の懐を横手から深々と斬り裂いていた。
ぐえっ
能見の長身が一瞬反り返り、次にはくの字に曲がって前のめりに倒れ込んだ。
墓地から戦いの緊迫がふいに消えた。
赤目小籐次は放心の体(てい)で立っていた。」
どうです? 剣の強者(つわ もの)同士による命を懸けた戦いの様子。互いの息づかい、相手との間合い、静寂の中に響き渡る剣の音など、あらゆるものが伝わってきませんか。チビハゲの小籐次ですが、心を鷲掴みにされてキュンとなってしまうのです。
それに小籐次、実は底なしの酒好きです。大酒を呷って、単身で敵に向かっていく様は、バーボンをこよなく愛するアメリカの私立探偵みたいではありませんか。そう、『酔いどれ小籐次留書』はお江戸版ハードボイルドなんです。
市井の暮らしや情も見える
華のお江戸へタイムスリップ
本シリーズは小籐次の強さや格好良さだけを前面に出したものではありません。浪人の身になった小籐次は縁あって紙問屋の主(あるじ)の世話になり、芝口新町(今の汐留(しお どめ)あたり)の新兵衛長屋に落ち着くことになります。そこで刀研ぎ屋として暮らすのですが、長屋の人々をはじめ、江戸の人々と親交を深める様子が実にいきいきと描かれており、読み手を江戸の世界へ引き込んでくれるのです。南町奉行所の秀次親分とは協力して様々な事件を解決し、読売屋や版木屋は小籐次の活躍をネタにして世に広めている。そして北村おりょう──マドンナ的存在との恋の行方も物語に艶(つや)を添えています。「酔いどれ様」と親しまれている小籐次は無敵のヒーローでありながら、情け深い江戸っ子たちに囲まれ生きているのです。
また、豆知識に出合えるのも楽しみの一つです。時間を表す「九つ」が午前・午後零時で、二時間刻みで「八つ」(午前・午後二時)、「七つ」(午前・午後四時)となることや、「陰間(かげ ま)茶屋」とは男娼の売春スポットのことであるなど「へえ」となる話がちりばめられています。
オジサマ方の愛読書にしておくなんてもったいない! 女子のみなさん、「酔いどれ小籐次留書」を読んで知識を、センスを磨こうではありませんか。
『GINGER L.』 2013 SUMMER 11号より
食わず嫌い女子のための読書案内
女性向け文芸誌「GINGER L.」連載の書評エッセイです。警察小説、ハードボイルド、オタクカルチャー、時代小説、政治もの……。普段「女子」が食指を伸ばさないジャンルの書籍を、敢えてオススメしいたします。
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